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第三十七話 遊園地デート

 一週間の休暇最終日。とてもよく晴れているけれど、吹く風は心地良く、過ごしやすい。


「遊園地だー!」


 マスコットキャラクターのクマとウサギの着ぐるみが出迎えてくれるゲートを抜けた私は、誰がどこからどう見ても浮かれていること間違いない。


「珍しいな、そんなにはしゃいで。あんまり騒ぐとバレるぞ」


日下部くんの言葉に慌てて着けてきたサングラスがズレていないかを確認する。日下部くんもいつもは被らない黒いキャップを被っていて、私の変装に付き合ってくれているようだ。綺麗めな服装をしていることの多い日下部くんの、見慣れないカジュアルな服装に実はドキドキしている。


「遊園地、初めて来たから」

「そうなのか?」

「こういうところ連れて来てもらえるような家庭でもなかったし」


 幼稚園生だったころ、珍しく機嫌のよかった父親が「遊園地に連れていってやる」と言ってくれたことがあった。けれどそこは、遊園地ではなく競艇場で、ただ父親の賭け事に同行させられただけだったのだけれど無垢で純粋だった私は、そこをずっと遊園地だと思い込んでいた。小学生のときに友人と話していて、遊園地がそういう場所ではないと知ったときひどくショックを受けたのを覚えている。


 今思い出しても顔が引きつる。遊園地と騙してそんなところに子どもを連れていくなんて、と怒りも込み上げてくるが、「どうした?」と私の顔を見て怪訝そうにする日下部くんにはとてもそんな話はできなくて、「どうもしてないよ」と首を横に振った。


「日下部くんは何か乗りたいものとかある?」

「そうだな……」


 二人で園内マップが書かれているリーフレットを覗き込む。


「絶叫系は平気?」

「特別好きってわけでもないけど、乗れないわけじゃない」

「本当? 私は乗ったことないから、どんな感じなのか乗ってみたいかも」

「祈里が好きなやつに乗ろうよ。全アトラクション制覇してみたいなら、それに付き合う」

「いいの? それじゃあ、そうしたいな! 疲れたらいつでも言ってね」


 一番近いものから乗っていこう、と空中ブランコから指を差す。いいよ、と笑ってくれる日下部くんはいつにも増して柔らかい雰囲気を纏っている。もしも私たちに子どもがいて、こうやって遊園地に遊びに来ることがあったとしたら、きっと彼は今日と同じような顔で子どもを見ているのだろうな……。


(って、まだ結婚もしていない……というか、正式にお付き合いもしていないのに、なに考えてるの私)


二人の子どもの話なんて、まだまだ全然早すぎることに気付いて笑ってしまう。

 でも、今日は二人の関係を一歩また進ませるために考えていることがある。先日、荒木さんに二人で話をしにいった日、荒木さんに言われた「後悔しないように」という言葉でようやく私の覚悟が決まったんだ。私は、日下部くんが好きで、大好きで、彼を幸せにしてあげたい。今ならそれが、私にはちゃんとできる気がする。今、それをちゃんと伝えないと、私はずっと後悔してしまうだろうから……。


 日下部くんが勇気を持って私に話してくれたように、私も今日、日下部くんに改めて自分の想いを伝えようと思っている。

 遊園地で気持ちが浮ついているのももちろんあるのだけれど、気持ちを伝えることを考えたらドキドキしてしまって、変にテンションが上がっているところもあると思う。全く平静を装えていないところが、女優として恥ずかしいけれど。



 女優として、非常に恥ずかしい。

 平静を装うとか装わないとか、それ以前の問題が発生している。


「大丈夫か? ちょっと休もう」

「ご、ごめんね……」


 五つ目のアトラクションで乗ったコーヒーカップ。スタッフのお姉さんが「回しすぎないように気を付けてくださいね」と注意喚起していた意味が、ようやく今分かった。

 カップの中央に置かれたハンドル。あれは触ってはいけないものだ。というか、あんなにグルグル回してしまったのに日下部くんは全く平気そうなのにも驚きだ。


「日下部くんは大丈夫?」

「あー、まぁ。慣れてるっていうか。……とりあえず座って。なにか飲み物買ってくる」


 近くにあったベンチに座るように促される。体がふわふわとしていて気持ちが悪い。売店があるほうへと走っていった日下部くんに、お礼を言うのを忘れてしまった。


(日下部くん、コーヒーカップ慣れてるんだ)


 コーヒーカップに慣れてるっていうのも、自分で考えていてよく分からないけれど。


(遊園地、何度か来たことあるのかな)


 もちろん、両親や友人と来る機会は何度もあっただろう。でもそういうことじゃなくて、私と来るみたいに、恋人と遊びに来たことがあるのだろうか。

 日下部くんが、知らない女性と遊園地にいる姿が脳裏に浮かぶ。もしそうだったとしたら、そのときも日下部くんは、今日の私にしてくれたみたいに優しい眼差しをその人に向けていたのだろうか。

 ずっと私のことを想っていてくれていたみたいだけれど、過去に恋人がいたかどうかはまた別の話だ。私たちはもうそれなりに良い大人で、健全であればあるほど、恋人の一人や二人いるのが当たり前だろう。日下部くんは背も高くて顔も整っているし、彼に好意を寄せる女性は多かったのではないだろうか。


「しんどい?」


 首筋に冷たい感触。いつの間にか俯いてしまっていた顔を上げれば、心配そうに眉をひそめる日下部くんと目が合った。首筋にあるのはペットボトルの冷たい飲み物のようだ。急いで戻って来てくれたのだろう。肩で息をしている。


「氷が入った水ももらってきた」

「ごめんね、ありがとう。ちょっとはしゃぎすぎちゃったみたい」


 蓋つきのカップを受け取れば、カラカラと氷同士がぶつかる音がする。ストローから一口吸い上げた冷たい水は、乗り物酔いで気持ち悪い感覚をシャキッとさせてくれるようだ。それと同時に、心に広がりつつあったモヤモヤも落ち着いてくる。

 何を私は一人前に嫉妬なんてしているのだろう。日下部くんにひどいことをして別れた過去があるのに、日下部くんの過去に嫉妬してしまうなんて間違っている。


(私以外の人とどんな恋愛をしてきたのか、気にはなるけれど……)


 気にしたところで過去は変えられないし、日下部くんが今、私を好きだと言ってくれる気持ちを大切にできればそれで良いじゃないか。

 日下部くんのほうを見れば、未だ心配そうな顔をしているから、「だいぶ落ち着いてきたから大丈夫だよ」と安心させるために笑顔を作る。


「もう少しゆっくり休もう」

「でも時間が勿体ないよ」


 休んでいる間にもどんどんと閉園時間は近付いてくる。せっかく休みを合わせて来たのに……。二人でゆっくり出掛けられる時間もなかなか作れるものじゃない。私も休みが明けたら、すぐに撮影が始まる。だからこそ、今を目一杯楽しんで、思い出を作って、日下部くんに想いを伝えるつもりだった。


「俺は、こうしてる時間も楽しいよ」


 くつろぐように、日下部くんはベンチの背もたれに背中を預ける。


「遊園地に来て、はしゃいで、コーヒーカップで目まわしてダウンする好きな人なんて、なかなか見られるものじゃないし」

「なっ!」


 くすくすと日下部くんが肩を揺らして笑う。羞恥心から自分の顔が耳まで赤くなるのが分かる。それを冷ますために、冷たい水をグッと勢い良く飲み込んだ。


「まぁ、それは冗談で。俺は、祈里とこうやって、ただベンチに座ってる時間も有意義だし、楽しいと思う」

「そんなこと……」

「じゃあ、祈里は退屈?」

「そんなことは……ないけど」

「それなら、いいじゃん」


 ゆっくりしよ、と日下部くんは遊園地の景色を楽しむように周囲へと視線を向ける。私も同じように、少しだけ深く背もたれに背中をつけた。遠くにあるジェットコースターからなのか、楽しそうな叫び声が聞こえてくる。

 正面にあるアトラクションに並んでいるカップルとふと目が合う。彼女のほうが私に気付いたのか、彼氏のほうへ耳打ちで何かを伝えているのが見える。

 不意に頭に優しい重みがかかる。驚いて頭に手をやれば、日下部くんが被っていたキャップを私に被せていた。どうやらカップルが私たちに気付いたことに、彼も気付いたらしい。


「私、観覧車に乗りたいかも」


 行こう、と立ち上がって日下部くんの手を取る。目が合ったカップルに、内緒にして欲しいと合図するために、人差し指を唇の前で立てれば、彼女たちはコクコクと何度も頷いてくれた。

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