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第八十二話 恋する久留生

 駅構内や街中で、私たちが出演する映画のポスターも少しずつ目にするようになってきた。


 コスモプロダクションの事務所にも映画会社からポスターが届き、荒木さんが嬉しそうに壁に貼っていた。ルーチェの騒動がキッカケであったとはいえ、主要人物を演じた俳優が全てコスモプロダクションだなんてすごい、と荒木さんはポスターを眺めながら目を輝かせていた。


 映画の本上映に先立って、都内の映画館で試写会が行われることになった。羽風監督と私、それから主演を務めた真希乃ちゃんと久留生さんが呼ばれた。夜に試写会が行われることもあり、未成年のルイちゃんは残念ながらお留守番組となってしまった。


 試写会が始まる三十分ほど前にルイちゃんから「早く大人になりたい」というメッセージが泣き顔付きでグループチャットに送られてきていた。


 ルイちゃんが参加できないことが寂しいのは私も真希乃ちゃんも同じだ。


「なにか大きい賞とか取って、授賞式にルイちゃんも一緒に行けたらいいんだけど」


 登壇前の舞台袖で、唇を尖らせて真希乃ちゃんが言う。


「そうだね。そのときはルイちゃんと一緒にレッドカーペットを歩きたいな」

「羽風監督、頑張ってくださいよ」


 そっと客席を覗いていた羽風監督の背中を真希乃ちゃんが叩く。監督は、「ひっ」と小さく悲鳴を漏らした。そして恨めしそうな目で真希乃ちゃんを振り返る。


「緊張してんだよ、驚かすな」


 羽風監督は長い髪を後ろでひとつに括り、パリッとスーツを着こなしている。以前、雑誌の対談をしたときよりもカッチリとした雰囲気で、本人の言う通りより一層緊張が顔に出ていた。


「監督、こういうの苦手なんですか?」


 額に汗をかいているようだったから、「ハンカチ使ってください」と、持参してきたハンカチを手渡す。「ありがとう」と弱々しい声で監督は言うと、汗を拭いながら溜息を吐いた。


「俺は裏方の人間で、こういうところに出るのはあんまり慣れてねぇんだよ」

「裏方って……。人気監督が何言ってるんですか。試写会なんて何回もやってるでしょ」


 羽風監督の腕を真希乃ちゃんがツンツンと肘で小突く。


「何回やっても慣れねぇんだよ」


 はぁ、と監督は溜息を吐いた。


「桜井はこういうとき堂々としててすげぇなぁ」


 この場にいない桜井さんの名前を出して、羽風監督は遠い目をした。確かに以前、桜井さんと一緒に完成披露試写会に参加したとき、桜井さんは随分と堂々としていたのを思い出す。


「もし何かの賞を受賞しちゃったらどうするんスか」


 私たちの会話を黙って聞いていた久留生さんも会話に入ってきた。監督はそれに「うーん」と唸り、顎に手をやる。


「そんときは俺、休むわ。お前たちに頼む」


そしてとても真剣な目で、そう言った。


「いいわけないでしょ」


 真希乃ちゃんと私、そして久留生さんの声が重なって、舞台袖に響いた。



 試写会は無事、何事もなくスムーズに終わった。今日観に来てくれた方たちの反応も上々だった。

 最初は緊張でガチガチだった羽風監督も、映画の上映を挟んだあとは随分と緊張がほぐれていたようで、撮影中のことや映画に対する想いというのをしっかりと話せているようだった。


「お客さんと一緒に撮った集合写真、あとで私に送ってくれる?」


 控え室に戻りながら、私が手に持っているスマートフォンを指差しながら真希乃ちゃんは言った。


「うん、もちろん」

「ありがとう! 私が撮ったやつ、なんかピントがボケボケでさぁ」

「暗いところで撮ったからだろ」


 久留生さんが真希乃ちゃんに言う。「ちゃんと確認しないから」とどこか呆れ笑いを含んでいる。真希乃ちゃんはそんな久留生さんに眉間に皺を寄せた。


「羽柴さん、俺も設定ミスってボケボケなんで、あとで写真ください」


 ぺこ、と頭を下げる久留生さんに、私は「えっ」と抜けた声を上げてしまった。あんなにも強気な感じで真希乃ちゃんに言っていたのに!


「栄斗も他人のこと言えないじゃん!」


 そう言って、真希乃ちゃんは久留生さんの腕に軽くパンチする。痛くはなさそうだけれど、久留生さんは「いてっ」と小さく声を上げた。その口元が、嬉しそうに弧を描いているのを私は見逃さなかった。久留生さんは真希乃ちゃんをからかって、その反応を見て楽しんでいただけのようだった。



 控え室で帰り支度を済ませる。バッグの中の荷物を整理していると、既に帰りの準備ができた真希乃ちゃんと久留生さんが私の控え室に顔を出した。


「私たちもう帰るけど、祈里ちゃんは? 一緒に帰る?」

「ううん、私は荒木さんがこれから迎えに来てくれるから。荒木さんと一緒に帰るよ」

「分かった、じゃあお先にー」

「あとで二人に写真送っておくね」

「ありがとう」


 またね、と手を振ってくれる真希乃ちゃんに私も手を振って応える。久留生さんは、真希乃ちゃんに「先に車行ってて」と車のキーを投げ渡すと、「羽柴さん」と声を潜めながら私に近付いてきた。


「うん? どうしたの?」

「十二日って、時間ある?」

「十二日? ちょっと待ってね」


 バッグからスケジュール帳を取り出して、予定を確認する。仕事は十八時まで入っているが、その後の予定はなさそうだ。


「十八時まで仕事だけど、そのあとは大丈夫」

「真希乃にバレンタイン何かあげたくて……。もし良かったらなんだけど、何か作り方教えてもらえないかな」

「えっ!」と思わず目を丸くしてしまう。

「もちろん、いいよ! めっちゃ素敵! 私の家で良いかな? 梓くんもいるけど」

「全然。むしろ、いいの? ありがとう」


 助かる! と、久留生さんは両手をパンッと合わせて私に頭を下げた。


「また十二日、仕事終わったら連絡するね」

「本当にありがとう」


 お疲れさま、と久留生さんは、珍しくテンション高く手を振って控え室を出て行った。そんな久留生さんと入れ違うように、荒木さんが私の控え室に入ってくる。


「久留生くん、なんかすごく元気そうだったけど。何か試写会で良いことあったの?」

「恋する男の子って尊いね」


 はぁ、と思わず幸せの溜息が零れる。荒木さんは「恋……?」と首を傾げたが、「まぁいいか」と流してくれた。


「今日は何か変わったことはなかった?」

「うん、何も。楽しく終わったよ」


 お客さんの映画に対する反応も良くて嬉しかったと伝えると、荒木さんも「それはよかった」と笑顔を見せてくれた。


「何より、祈里ちゃんが塞ぎこまずに、楽しんでくれててよかった」


 お父さんのことがあったから気になっていた、と荒木さんは安心したように息を吐く。


「お父さんのことは怖いけど……でも、約束したから。梓くんと」

「日下部さんと?」

「うん。私は、私の幸せのために生きるって。そう思ったら、怖い気持ちも和らぐから」

「そっか」


 荒木さんは小さな子どもを労わるような優しい手で私の頭を撫でてくれる。


「立派に成長したねぇ、祈里ちゃん。俺は嬉しいよ。昔は何もかも諦めてるみたいな目をしてたのに」


 泣き真似をする荒木さんに、「なにそれ」と笑ってしまう。

何もかも諦めてるような目が私にはどんなものかは分からないけれど、自分で自分の幸せを考えられるようになったのは、確かに成長というのかもしれない。


「今まで色々とご心配をおかけしました」


 冗談めかして深々と頭を下げる。


「なんだか祈里ちゃんがお嫁にいっちゃうみたい」

「気が早いよ」

「あ、日下部さんとその予定ができたら早めに教えてよ」

「はい、はい」


 早く帰ろうよ、とショルダーバッグを肩にかけて、荒木さんの腕を取って急かした。「はいは一回でしょ」、「俺は真面目に言ってるんだから」と荒木さんの小言が飛んでくる。それさえも幸せだ。



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