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第八十三話 ショコラ男子

 二月十二日。十八時に仕事が終わり、久留生さんに連絡を取る。


 十九時ごろに帰宅に合わせて、久留生さんも梓くんと私が住むマンションへとやって来た。丁寧に手土産付きで。


「今日はよろしくお願いします」


 そう言って玄関先で深々と頭を下げた久留生さんは、紙袋を私に手渡してくれる。中にはコーヒー豆が入っていて、袋越しからもほのかに苦い良い香りが漂っていた。


「どうぞ、中に入って」

「お邪魔します」


 久留生さんを部屋の中へ上がるようにと促す。


「仕事終わりにごめんね」

「全然。私も楽しみにしてたから」


 リビングの扉を開ければ、お菓子作りの準備を手伝ってくれていた梓くんがボウルを片手に振り返った。


「久留生、お疲れ」

「梓もお疲れ」

「今日は梓くんも一緒に作ってみたいって」

「いいかな?」


 梓くんが久留生さんに尋ねる。久留生さんは驚いた顔をしながらも、「もちろん」とどこか嬉しそうに頷いた。


 ダイニングテーブルには、生クリームや板チョコ、ココアなどの材料とボウルやヘラ、泡だて器が置いてある。


 久留生さんはエプロンを持っていないそうなので、梓くんが使っている黒いエプロンを貸した。


「先生、今日は何を作るのでしょうか」

「先生って」


 私を「先生」と呼んでかしこまる久留生さんに思わず笑ってしまう。梓くんも「先生教えてください」なんて乗っかってくるから余計に可笑しい。


「今日は、生チョコトリュフを作ろうと思います」


 先生役らしく、エプロンの紐を腰の後ろで結びながら答える。二人からは「トリュフ、おおー」となぜか歓声が上がった。


「久留生さんはお料理するの?」

「あんまり……。普段は外食が多いし」


 そう答える久留生さんの表情は若干緊張しているようだ。


「そっかそっか。でも大丈夫だよ、すごく簡単だから」

「俺もお菓子作りはほとんどしないから、一緒に頑張ろう」


 梓くんがそう言うと少し安心したのか、久留生さんの強張っていた表情が和らぐ。梓くんが同年代の男性と交流しているのを見るのは新鮮で、私まで頬が緩んだ。



 まな板の上にクッキングシートを敷く。その上に置いた板チョコを細かく包丁で刻んでもらう。まず先にお手本を見せてから、久留生さんと梓くんに挑戦してもらった。


 二人ともコツを掴むのが早いのだろう。最初は硬い板チョコに苦戦しているようだったけれど、すぐに慣れた手つきに変わってきた。


 二人に板チョコを刻んでもらっている間に、鍋で生クリームを温める。板チョコが刻み終わったタイミングに合わせて鍋を二人の元へ持っていき、その中にチョコレートを流して、溶かしていく。このときにリキュールを入れてもいいのだけれど、真希乃ちゃんはお酒が苦手だと言っていたから今回はやめておこう。


 チョコレートと生クリームがしっかりと馴染んだら、ラップをして三十分ほど冷蔵庫で寝かせる。


「緊張する」


 冷蔵庫に入れてもらうところまで久留生さんにやってもらうと、久留生さんはそう言って息を深く吐いた。


「女の子たちは、いつもバレンタイン前はこんな感じなんだね」


 梓くんが感慨深そうに頷きながら笑った。そして二人で「大変だな」と顔を見合わせるから、「そうだよ、大変なんだよ」と私も笑った。


「好きな人に美味しいって言ってもらえるかな、とか。綺麗にできるかな、ラッピングはこれでいいかなって悩むんだよ。でも、大変だけど、好きな人のことを考えながら作る時間は、すごく楽しい」


 自分で言って照れくさくなって、肩を竦めて笑えば、久留生さんは「ちょっと、その気持ちは分かるかも」と頷いた。


「大変だし、緊張もするけど、今俺、すげぇ楽しいから」


 久留生さんは感情をあまり顔に出さない人だと思っていた。いつもどこか冷静で、梓くんとはまたちょっと違うクールさがある。表情筋があまり動かない人、というか……。


 けれど、真希乃ちゃんのことになると違うようだ。


 優しく微笑む口元と目元を見て、そう思う。私に、作り方を教えて欲しいとお願いしてきたときもそうだった。思い返せば、真希乃ちゃんの傍にいるときや、真希乃ちゃんのために行動している久留生さんは、とても表情豊かだ。


 なんだか新たな一面に気付いた気がして勝手に嬉しくなる。


 梓くんと久留生さんで最近の近況を報告しあったり、私の仕事の話をしたりしている内に、あっという間に三十分が過ぎた。


 冷蔵庫の中から、先程冷やして寝かせていたチョコレートを取り出す。


 チョコレートがベタついていないことを確認して、小さく丸める作業に移る。トリュフといえば、綺麗な丸い形が魅力だ。


「くっ……意外と難しい」


 久留生さんは苦戦しているようで、小さく唸り声を上げながら丸めている。梓くんは普段料理をしていることもあってか、とても綺麗な丸いチョコボールを作り上げていた。


 丸めたチョコレートにふるいを使ってココアパウダーを振りかけていく。コロコロところがして、全体にパウダーを纏わせれば出来上がりだ。


「で、できた……!」


 久留生さんが天を仰ぐ。梓くんも疲れたようで、肩の力を抜くようにホッと息を吐いた。


「すごい! お疲れさま、二人とも」


 久留生さんは、さっそく出来上がったトリュフを小さな箱の中に詰めていく。久留生さんが丸めたトリュフは大小のバラつきや歪な丸になっているものも多いが、頑張りが伝わってくる。


 最後、蓋をしめて赤とゴールドのリボンをかけて、メッセージカードを差し込む。「なんて書いたの?」と聞けば、「それはさすがに羽柴さんにも教えれない」と返された。その頬が耳まで赤くなっているから、きっと何か良いことが書いてあるのだろう。


「羽柴さん、本当にありがとう」

「ううん。全然。こちらこそ手伝わせてくれてありがとう」


 楽しかったよ、と久留生さんに返す。


「あ、一応手作りのものだから早めに渡して、早めに食べてもらってね」

「うん。十四日に一緒の仕事が入ってるから、そのとき渡す。早めに食べるようにも言っとくよ」


 それから三人で器具などの片付けを済ませれば、時間は二十二時を少し過ぎたころになっていた。

 久留生さんは生チョコトリュフの入った包みを大事そうに抱えると、もう一度私たちに深く頭を下げた。


「遅い時間まで本当にありがとう。良いものが作れたと思う」

「真希乃ちゃん、喜んでくれたらいいね」

「うん。じゃあ、また事務所か仕事で。梓もありがとう」

「俺は何もしてないけど。気を付けて帰れよ」


 うん、と頷いた久留生さんを玄関先まで見送る。どこかホクホクと満足そうな顔をした久留生さんを見送り、玄関扉を閉めた。


 甘い香りがまだ部屋中に漂っている。


「楽しかったね、三人でお菓子作り」

「こういう機会でもないと作ることはなかっただろうから、俺も楽しかったよ」

「また何か一緒に作ろう」

「ああ、そうだな」


 リビングに戻る。テーブルの上には、梓くんが作ったトリュフがお皿の上に並んでいた。


「梓くんはこのトリュフ、どうするの?」

「バレンタインには少し早いけど、祈里に」

「私にくれるの?」

「初めて作ったものだし、ぜひ祈里に食べて欲しいな。祈里を想って、俺も作ったから」


 照れたように梓くんがはにかむ。「嬉しい」と返せば、「さっそく一口いかがですか?」と梓くんがトリュフをひとつ摘まんだ。


 それは私の口元へと運ばれてくる。


「はい、あーん」

「じ、自分で食べられるよ」

「たまにはいいじゃん」


 ね、と口を開けるように促される。拒否権はなさそうだ、と遠慮がちに口を開いた。

 そこに梓くんの手によってトリュフが入ってくる。


 生チョコの滑らかな触感とチョコレートの甘さ、それからココアパウダーのほろ苦さが鼻を抜けていく。


「どう?」

「……甘い、です」


 梓くんが作ってくれたトリュフは、梓くんのせいで存分に味わう余裕はなくて、顔の熱さにばかり気を取られてしまう。


 明日、梓くんがいないときにこっそり食べることにしよう。

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