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第九十六話 幸せですか?

 それから数日後に映画賞の授賞式に招待され、正式に私のスケジュールに予定が組み込まれた。


 都内の高級ホテルの大きな会場で行われることになっていて、衛星放送でも生中継が予定されている。


 『OneRoom』からは私と桜井さん、それから共演した俳優の藤吉さんが出席する。



 授賞式当日。14時過ぎにレッドカーペットイベントが始まるため、朝から会場近くのホテルで支度を整えていた。


 何度も一緒にお仕事をしたことがある『Tutu』のメイクさんに、用意していたドレスに似合うヘアメイクをお願いする。


 シックなブラックの、足元まで隠すロングドレス。七分丈の袖はレースで編まれていて程よく透け感がある。


 ドレープが効いたスカートの裾は、歩くたびにひらめき、その美しさが気に入っている。


 いつもは長く下ろしているだけの髪は、アップスタイルにしてもらった。首元にいつもかかっている髪がないことが頼りなくて、何度も触ってしまう。


「首にも何かつける?」


 鏡越し、梓くんと目が合った。私の前に、コンビニで買ってきてくれた飲み物を置いた。


 真希乃ちゃんが言っていたように一緒にレッドカーペットを歩く……なんてことは、もちろんしない。控え中の私の身の回りの手伝いをするから、と付き添ってくれている。


「でも、これ以上つけたら派手にならない?」

「シンプルで華奢なやつは?」


 これとか、と目の前に広げられたアクセサリーの中から、細いシルバーチェーンの先に小さなストーンがついているものを梓くんは指差した。メイクさんも「良いと思いますよ」と笑っている。


「じゃあ、そうしようかな」

「……祈里、緊張してる?」


 梓くんが私の顔を覗き込む。私は「うっ」と言葉を詰まらせた。


「……分かる?」

「分かるよ。なんか全体的に強張ってるし」

「それはそうだよ。こんな大きな賞に出席すること自体、想像もしていなかったんだもん」


 一年前までは仕事が全くなかったんだよ、と返せば、梓くんは「本当、人生何があるか分かんないよなぁ」と笑った。


 そんな他人事みたいに梓くんは笑うけれど、こんなに私の人生が変わったのは梓くんのせい……いや、梓くんのおかげなのに。


「ねぇ、梓くん」


 私の言葉を遮るように、ドアがノックされる音が響く。「荒木さんかな」と梓くんが来訪者の確認に言ってくれた。梓くんの予想は正解だったようで、荒木さんの「日下部さん、お疲れ様」という声が聞こえてくる。


「祈里ちゃん、そろそろ出発の時間になるけど、準備は大丈夫?」

「うん、ちょうど終わったところ」


 梓くんが選んでくれたネックレスをつけて、ドレスの裾を踏まないように気をつけながら椅子から立ち上がる。


 私の立ち姿を見た荒木さんが「綺麗だね!」と小さな拍手とともに歓声を上げてくれた。


「一枚写真いい? 真希乃ちゃんに、祈里ちゃんのドレス姿の写真送ってって言われててさ」

「ふふふ、真希乃ちゃんらしい。あとでその写真、私にも送ってくれる?」


 荒木さんにスマートフォンで撮影してもらう。


 ノミネート作品が発表されたときからファンの人たちにもたくさんの祝福のメッセージをもらっているから、それに対する感謝の気持ちを込めてあとでSNSに写真を投稿することにしよう。


「それじゃあ、行こうか」と、荒木さんが扉を開けてくれる。


 いよいよ授賞式が始まるんだ。


 そう思うと、より一層緊張感が高まってくる。ドキドキとして苦しい胸の下を軽く手で摩った。


「堂々と、胸張って行っておいで」


 そんな私の背中を梓くんが励ますように優しく撫でてくれる。


 その手の温もりから、『Tutu』と初めてお仕事をするときも、梓くんは私にそうやってメッセージを送ってくれていたことを思い出す。


 胸がじんわりと温かく、ほぐされていく感覚。


 あの日と同じように背筋を伸ばして、顎を引く。世界が、パッと明るくなる感覚。


「ありがとう、梓くん」


「行ってくるね」と微笑み返す。背中を撫でてくれる。微笑んでくれる。梓くんのそんな何気ないひとつひとつの仕草が、私の背中をいつだって押してくれる。


 梓くんは、そのことを、知っているのかな。



 授賞式は大きなトラブルなくスムーズに進行されていった。


 『OneRoom』からは桜井さんがノミネートされた全作品の中から五名ほどが選ばれる監督賞を受賞した。


 私も、共演した藤吉さんも惜しくも俳優として何かの賞をいただくことはできなかったけれど、それでも自分が関わった作品が選ばれたことが本当に嬉しかった。


 大きな歓声と拍手に包まれて、授賞式は幕を閉じた。


 会場の中で、花束とトロフィーを持った桜井さんと藤吉さんと写真を撮る。SNSへ投稿することに二人から許可ももらった。控え室として使っているホテルに戻ってから投稿することにしよう。


 藤吉さんは、まだ別テーブルに残っている人の中に友人を見つけたようで、私たちに挨拶をするとそちらへ声を掛けるために離れて行った。


 私は、改めて監督賞の受賞を祝う言葉を桜井さんにかける。桜井さんは「ありがとうございます」とふわりと笑った。


「祈里さんと出会えてなかったら、たぶんこの賞はいただけてなかったと思います」

「いやいや、私は何も。桜井さんの脚本と撮影が素晴らしかったから、いただいた賞だと思いますよ」

「いいえ。『OneRoom』は、祈里さんがいたから完璧な作品になったんです」


 僕が描いていたヒロインのイメージにピッタリだったから、と桜井さんは真っ直ぐな眼差しで私を見た。


 また一緒にお仕事しましょうね、と桜井さんはジャケットで軽く手を拭うと、その手を私に握手を求めるために差し出してくれた。


「はい、ぜひ。また、桜井さんの作品に出演できるのを、とても楽しみにしています」


 差し出された桜井さんの手を握る。頭の中に、桜井さんと出会ったばかりのころや、『OneRoom』の撮影をした日々が思い出される。


 あれからもう一年が経つのかと、月日の流れの速さに驚くとともに、『OneRoom』で主演を務めてから私の女優人生は大きく花開いたことに感動と感謝が溢れる。


「素敵な映画の主演を、私に任せてくださって、本当にありがとうございました」

「梓先輩に感謝しないといけないですね。僕、本当に祈里さんに出会えて良かったです」

「そうですね。私たちを出会わせてくれた、梓くんに感謝ですね」


 この場にいない梓くんに感謝し合う自分たちがなぜだか面白くなってしまって、私達は顔を見合わせて笑った。


 一頻り笑い合ったあと、桜井さんと目が合う。桜井さんは「祈里さん」と微笑んだ。


「今、幸せですか?」


 その問いかけは、温かく、とても優しい声色だった。


「はい」


 私はそれに、力強く頷いた。真っ直ぐ、嘘偽りなく、その気持ちが桜井さんに届くように。


「今、とても幸せです」


 私の答えに、桜井さんは「よかった」と嬉しそうに目を細めた。


 桜井さんの心の中を覗くことは私にはできないけれど、けれど、私の幸せを本当に心から喜んでくれているような笑顔に私には見えた。


「あ、そうだ」


 桜井さんは思い出したようにそう言うと、内緒話をするように私の耳元に口を寄せる。何を言われるのか、と私も耳をそばだてる。


「ぜひ呼んでくださいね、二人の結婚式」


 周囲に聞こえないよう、桜井さんは小声でそう紡いだ。


「は、はい」と思わず照れながら頷く私に、桜井さんは肩を揺らして笑った。


「祈里さんを悲しませたら、僕が許さないって言ってたって梓先輩に伝えておいてくださいね。僕、もう恋心通り越して、親のような気持ちなので」


 そう、桜井さんはイタズラっぽく笑う。その桜井さんのユーモアは、優しさで溢れている。

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