「ふぁ……」
欠伸をしながら階段を降り、ダイナーの方へ顔を出す。『クジラの寝床亭』では、朝早くから紳士たちが、コーヒーと新聞を嗜んでいた。
「おはようミラ。と、アロイス」
カウンターの向こうには、既にミラとアロイスが働いていた。アロイスが人懐こい笑みを浮かべる。
「おはようゾラン。良い朝だね」
「昨日は眠れた?」
「それが、ここが今日から僕の城なんだと思ったら、ワクワクして眠れなかったよ」
「アハハ。解るな。俺もここに来たばかりのころは、ソワソワして落ち着かなかったんだ。一晩中、窓からカシャロの街を見ていたよ」
アロイスは寝不足のようだったが、それ以上に新しい生活が楽しいようで、生き生きとしている。ゾランも上京したての時は似たような感情だったので、彼の気持ちが良く分かった。
ゾランはそのままアロイスにコーヒーとサンドイッチを注文すると、新聞を手にとってテーブル席の方へと移動した。
新聞を拡げ、記事を確認する。人気の記事はやはり冒険者の活躍で、ダンジョン攻略の話は一面を取ることが多い。旅の楽しさを知ってからは、彼らの冒険の話はより一層、楽しくなったような気がする。遠くの街の冒険の話を聞くと、その町に行ってみたくなる。もちろん、モンスターと出くわすのはごめんだが。
(やっぱり、『翠緑の翼』は人気だよな。談合の件で『青銅騎士団』たち三大冒険者が落ち目になってからは、特に躍進した気がする。お。こっちの記事は『赤鹿の心臓』だ。A級目前だって。頑張ってるらしい)
人気者たちの動向を確認しながら、紙面を捲る。社会面の記事は、最近はしっかり読むようにしていた。外国の情報を、ゾランはあまり知らない。テオドレに聞いて、勉強中だ。
ほどなくして、カランカランとドアベルを鳴らして、入り口の扉からエセラインが入ってきた。スラリとした長身の彼は、一際目を引く。見慣れたはずの姿なのに、エセラインを見るとなぜか心拍数が跳ね上がった。
「おはようゾラン」
「あ、おはよう、エセライン」
ゾランはエセラインに自然に挨拶が出来て、ホッとした。デート以来、どうしても意識してしまう。と、そこに、サンドイッチの皿を持ってアロイスがやって来た。
「ゾラン、お待ちどうさま。サンドイッチ、僕が作ったんだ。感想教えてよ」
そう言ってテーブルに置かれたサンドイッチは、いつもより少し不格好だった。レタスが大きくはみ出して、真っ直ぐ立てずに斜めに倒れている。ゾランは思わずフフと笑ってしまった。
「ああ、ありがとう。アロイス」
アロイスが笑みを浮かべるのを、やり取りを見ていたエセラインが、怪訝な表情で見つめる。その視線に気づいたのか、アロイスがエセラインを振り返った。
「おはようございます。ご注文は?」
「――カフェオレ」
ムスッとした顔で答えるエセラインに、アロイスは変わらず笑みを浮かべたままだ。
「モーニングはご一緒にいかがですか? 自家製ベーコンにソーセージは絶品ですよ!」
顔をしかめるエセラインに、ゾランは苦笑いする。アロイスは『クジラの寝床亭』の料理を気に入っているようだ。
「アロイス。エセラインは朝はカフェオレだけなんだ」
「そうなんですか?」
「ゾラン、コイツ――この人は」
エセラインが不機嫌さを顔に滲ませる。
「彼はアロイスっていって、昨日から『クジラの寝床亭』で働き始めたんだ」
「初めまして。アロイスです」
「アロイス、こっちは同僚のエセライン。朝は必ず来る、常連だよ」
「……エセラインだ。よろしく、アロイス」
「同僚ということは、記者さんですか?」
記者というエセラインに、アロイスの興味が移る。アロイスはゾランのことも『素敵だ』というぐらいだし、興味があるのだろう。
「そうだよ。エセラインはうちの出版社のエースなんだ」
ゾランの紹介に、エセラインは眉を上げて唇を曲げた。気恥ずかしいのか、視線を背ける。
アロイスは「それじゃあ、あとで感想を聞かせて」と念押しして、キッチンの方へ戻っていった。
「――従業員、雇ったのか」
「そうらしいよ。まあ、ミラ忙しかったし。ああ、アロイスもここに下宿することになったんだ」
「は――。アイツ、ここに住んでるのか?」
「うん。昨日からね」
「それは――」
エセラインが複雑そうな顔をする。だが、ゾランはそんなことには気づかず、笑みを浮かべた。
「アロイスとは気が合いそうだし、良かったよ」
「――そう、か」
エセラインは顔を顰め、サンドイッチを口に運ぶゾランをじっと見つめていた。