『クジラの寝床亭』を出てからも、エセラインはどこか不機嫌だった。普段はあまり感情を表にしない彼なので、こういう様子は珍しい。
「どうかしたの?」
「……別に、大した話じゃない」
淡々とした口調で、エセラインはそう言って歩みを早くする。どう考えても、様子がおかしい。
「なんだよ、それ」
思わず、ゾランまでムッとしてしまう。エセラインは「あ」と、ゾランの態度の変化に気づいて、戸惑ったようだったが、何か口にすることはなかった。そのまま、互いに無言で石畳の路を歩く。いつもなら他愛ない話をしながら出勤するのに、一体何だというのだろう。思わず、石畳を踏む力も強くなる。
(なんだよ、俺は関係ないって?)
なんとなく、面白くない。そりゃあ、何でもかんでも話したりするわけじゃないとは、ゾランも思っているが。それでも、こんな風に突き放されたことはないのだ。いつだって、エセラインはゾランに対して誠実だった。
「――っ、そう言えば」
しばらくして、エセラインが呟いた。強引に話題を変えるようなやり方に、ゾランはすぐに気持ちを切り替えるのが嫌で、視線だけエセラインの方を向ける。
「この前、墓参り行ったんだ――。丘の上に、共同墓地があるだろ。あそこに両親と妹が眠ってる」
「あ――そう、なんだ」
墓参り。の言葉に、怒っていた感情が霧散した。
エセラインの家族は、事件に巻き込まれて『宵闇の死神』に殺された。アカデミー在学中で不在だったエセラインだけが、生き残った形だった。エセラインは一人で、墓参りに行ったのだろう。その姿を想像し、物寂しい気持ちになる。
ゾランはエセラインが家族を失った『ネマニア事件』の概要を記事で読んだが、その場に居た人たち全員が殺されただけでなく、燃やされたせいで遺体の判別は難しい、悲惨な事件だった。事件のあったネマニア邸は、今は取り壊されて無くなったが、跡地は用途の目途が立たず、更地となったままだ。皆、凄惨な事件の記憶が忘れられないのだ。
「色々、報告があったからな」
「……うん」
ここ数ヵ月は、目まぐるしい日々だった。『宵闇の死神』に遭遇して、生き残ったり――。
(多分、エセラインは『宵闇の死神』を追いたいのだろうし)
あの殺人鬼が、何故人殺しをし続けているのか。何のために家族が犠牲になったのか。エセラインは知りたいはずだ。そして、『宵闇の死神』に、償って欲しいと感じているだろう。
「そっか……。報告、出来た?」
「ああ。お前のことも、報告してきた」
不意に自分の名前が出て来て、驚いて変な声が出てしまう。
「え? 俺?」
「同僚で、信頼できる仲間で――」
「っ……」
仲間で。その先に込められた意味を感じて、ジワリ熱が浮く。
エセラインは、なんと報告したのだろうか。少しだけ、気になった。
「それで、墓地で意外な人を見かけて」
「意外な人?」
「ラウカだよ」
「ラウカが?」
エセラインの口からラウカの名前が出てくるとは思わず、驚いて目を丸くした。
ラウカ・ハベルという男は、ラウカ社という新聞社を立ち上げた人物で、不正や汚職に真っ向から立ち向かう、過激な内容の新聞を書くライターだ。ラウカ社の記事は大衆には人気だが、そのお陰でラウカは何度も命の危険に晒されたらしい。
ラウカ自身がランク5の魔法使いであることなど、強者の一面もあるため、退けられている形だ。だが、危険を避けるため、所属しているライターは秘匿されている。
そして、このラウカ・ハベルという男こそ、ゾランに影響を与え、記者になる道を歩ませた男だった。ラウカはゾランの憧れであり、目標である。
「ラウカも墓参りだったみたいだけど、すぐに立ち去ってしまって挨拶は出来なかった」
「そうなんだ。ラウカも、親戚とか居るのかな」
バレヌ王国で一般的な墓参りのシーズンからは外れている。親しい人が眠っているのだろう。
「かもな。あの人、南部訛りがあるから、カシャロに親戚がいるとは思わなかったけど」
「え、訛り出てる?」
「出てるぞ。ゾランも――ルカも、ちょっとあるよな」
「うっそ……。マジか……」
思わず口許を押さえるゾランに、エセラインが薄く笑う。
「俺はゾランの訛り、好きだけどな。優しい感じがする」
「なっ……。なんだよ、それ……」
いつもだったら「馬鹿にするな」と怒っていたハズなのに、どうしても言葉が出てこなかった。