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第6話 スポンサー


 ゾランとエセラインが、次の旅行記の計画に頭を悩ませていた時のことだった。外回りの仕事から帰ってきた、クレイヨン出版社の社長であるラドヴァンが、いつも以上に落ち着きなく事務所へ駆け込んできた。


「どうしたんですか、慌てて」


 と、秘書兼経理のルカが、ラドヴァンが息急ぎ切る様子に、怪訝な顔で水を差し出す。


 ラドヴァンはこのクレイヨン出版社を立ち上げた人物で、見た目は小柄で陰気な雰囲気だが、元S級冒険者クランに所属していた実績のある冒険者である。


 営業を兼務しているラドヴァンは、外回りの仕事も多い。今日も得意先の商店を回っていたはずだ。商店には新聞や旅行記を置いて貰っている。どんなに良い記事を書いても、新聞を置いて貰えなければ飯を食えない。


「ありがとう、ルカ。それよりっ、大変だよ。エセライン、ゾラン」


「え? 俺たち?」


「何かあったんですか?」


 名指しで『大変だ』などと言われ、ゾランは身構えた。だが、言葉とは裏腹に、ラドヴァンの表情はにこやかだ。


「スポンサーがついたよ! 君たちの旅行記に!」


「えっ?」


「スポンサー?」


 スポンサーと聞いて、ゾランは驚いて思わずエセラインを見上げた。エセラインのほうも菫色の目を丸くしている。


「酒の卸しをしているサンテ商会が、旅行記をいたく気に入ってくれてね。特に料理の記事は、お酒を飲みたくなると好評だったんだ」


「そ、そうなんですか」


「良かったな、ゾラン」


 エセラインが菫色の瞳に優しい光を宿す。本心から、ゾランの記事が好評だったことを喜んでいるようだった。


「えっと、それで、具体的にスポンサーって、どういうことなんですか?」


「ああ。まずは、旅行記に広告を掲載してくださる。広告が掲載されたのを見れば、他の商会からの広告掲載も期待できるだろうね」


 ラドヴァンの言葉に、ゾランも頷く。サンテ商会が広告を出したのを知れば、ライバル商会も黙ってはいないだろう。もちろん、大手の新聞社に流れる可能性もあるが、旅行記に新しい興味を持ってもらえるかもしれない。さらに、広告の結果、サンテ商会の商品が売れれば、その動きは確実なものになるだろう。


 これは、大きなチャンスだ。


 ゾランは思わずぎゅっと拳を握りしめた。


「まずはってことは、他にも何かあるんですか?」


 エセラインが話を促す。確かに、ラドヴァンは「まずは」と言った。ゾランも視線を向ける。


「実は、サンテ商会が持つウイスキーの酒造が、グラゾンにあるらしい」


「グラゾン?」


 聞いたことがない場所だと、首を傾げる。エセラインを見るが、彼も知らないようだ。


「グラゾンは北西にある山間部でね、林業とベリーの生産が盛んで、ハイト山脈から流れる綺麗な水でウイスキー製造をしてるんだ。自然豊かで、美しいところらしい。僕も冒険者時代に訊ねたことがあるけれど、まあ、何もない場所だね」


「その、グラゾンがどうかしたんですか?」


 首を傾げるゾランに、ラドヴァンがニコリと微笑む。


「そこに、取材に来て欲しいそうだ。旅費は向こう持ち。多少、書いて欲しい記事なんかはあるらしいけど、基本は自由に書いていいらしいから」


「えっ……? つまり、そのグラゾンという辺鄙な場所を、次の旅行記の候補地にしようということですか?」


「そうなるね」


 ゾランとエセラインは複雑な表情で互いに目を見合わせた。


 スポンサーがつくのは嬉しいが、山林や川しかないような場所を旅行記の舞台にしろと言われても、困ってしまう。そもそも、そんな旅行記を書いても人々が興味を持たなければ、旅行記自体の評判が下がってしまうだろう。


 安易に引き受けるべきではないのではないか。エセラインがそう口にしようとした時だった。ラドヴァンが人差し指を立てる。


「田舎と聞いて心配してるだろう。何の問題もない」


「え? そうなんですか?」


「この場所は、古くから保養地として有名な温泉街でもあるんだ」


「温泉……!?」


 温泉の話は、ゾランも聞いたことがある。山や海沿いなどに突然、湯が沸き出ている場所があり、その湯に浸かると疲れが癒され、傷の治りが良くなり、病気にも効くという。温泉の多くは、国の管理下にある。山間部の塩資源確保のためであったり、貴族の保養地であったりと、民間人が触れる機会は少ない場所だ。旅行に行くこと自体がメジャーでないこの時代、天然の温泉を利用できるのは冒険者くらいのものだ。


 ゾランが知る『温泉』も、冒険者から聞いた話である。


「実はこの場所は、四半世紀前まではある貴族の保養地だったんだが、家が潰れてしまって、その後廃れてしまったんだよね。その後、長い間打ち捨てられていたんだが、サンテ商会が蒸留所を造るにあたって、一帯を買い取ったんだ。その区画に温泉があってね、最近の旅行ブームを聞いて、温泉を売りにしたホテルを作ったらしい。


「それは……すごいですね」


 エセラインも驚いて目を丸くする。誰も来ないような辺鄙な場所にホテルを作ってしまうとは、サンテ商会の商会長はなかなか思い切った商売人らしい。かつて貴族が所有していた屋敷を改装したホテルに、民間人が宿泊できるのだ。贅沢な旅のプランとして打ち出せば、かなり反響を呼びそうである。


「面白い、かも――ね、エセライン」


「ああ。貴族の雰囲気を味わえる部屋と、かつて名を馳せた貴族の歴史。山間の料理と美味しい水と酒。ラドヴァンの話では景色も良いらしいし」


 今回の企画は行ける。そう確信した――が。


「そうだ。言い忘れていたけど、ホテルのオープンはまだ先なんだ。だから君たちはプレオープンの招待客ということになるけど」


「ああ、そうなんですね」


「どうも、部屋の準備が間に合っていないらしくて。相部屋になるらしいけれど、アシェ村の時も同室だったし、問題ないよね?」


「えっ」


 相部屋。という言葉に、ゾランは思わずエセラインの方を見た。エセラインも、一瞬ピクリと反応する。


 確かに、アシェ村の時は、一緒の部屋で眠った。なんなら、同じベッドで寝落ちしてしまったが――。


(あ、あの時とは――状況がっ……)


 あの頃は、まだエセラインの気持ちなど知らなかった。エセラインがいつからゾランのことを好意的に思っていたのかは知らないが――。


(それは、かなり……気まずいのでは――)


 内心動揺しながら、そんなことを表に出すわけにもいかず、ゾランは苦笑いをするのだった。







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