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第10話 遠雷



 西側の天気が崩れやすいことは聞いていたが、実際に黒い雲を見るまで、エセラインは一つも実感していなかった。ガウリロたちの指名依頼の取材を終えたエセラインは、ゾランを追いかけるべく馬車に乗り込んだ。ゾランを信用していないわけではないが、心配は尽きない。ただでさえ思い立ったら行動してしまうゾランはトラブルに遭いやすいし、最近は有名になったせいか狙われるようにもなった。


 いよいよ黒い雲が空を覆い、滝のような雨を降らし始めた時には、まだ予定のボヌールまで半日ほどの距離の場所だというのに、エセラインはそこで立ち往生してしまった。


(ゾランは大丈夫だろうか……?)


 ゾランたちの無事を祈りつつ、ようやく雨脚が弱まった隙をついてたどり着いたボヌールで、エセラインはゾランの残した手紙を受け取った。手紙には、嵐を避けるために旅程が早まったこと、無理に追いかけずカシャロに帰っても良いということが書かれていた。


 旅程が早まったということは、ゾランは嵐には遭わなかったのだろう。それだけは、安心した。だが当然、エセラインにはカシャロに戻る選択肢はなかった。何とかグラゾンへ行く馬車を探そうとしたものの、これからさらにやって来る嵐の中、馬車を走らせるものはいない。結局エセラインがボヌールを出発できたのは、嵐が過ぎ去ってからだった。


 そこからは順調に進むと思っていたのだが――。


 グラゾンまでもう少しという所で、エセラインは再び足止めを食らった。


「こりゃあ、ダメだ」


「酷いなこりゃ」


 作業員たちの声に、エセラインは顔を顰めた。前方に広がる道は、グラゾンへ続く唯一の道だ。その道を、巨大な倒木が塞いでいる。さらに土砂が崩れ、道に流れ込んでいた。


「グラゾンまで行きたいって言ってたな、兄ちゃん」


「はい。う回路はあるんですか?」


「いや、この道しかないよ。反対側の道に出るには、随分遠回りしなけりゃならなくなる」


「そう、なんですか……」


 エセラインは途方に暮れて倒木を見た。倒木を片付け、土砂を運び出さなければならない。復旧にはしばらくかかるだろう。土系統の魔法を所有しているものが、復旧に当たるらしい。エセラインは土系統の魔法は持っていなかった。ただ、待つことしか出来なさそうだ。


「グラゾンも孤立してしまうから、なるべく早く作業はするが……」


 作業員の言葉に、エセラインは何とも言えない気持ちになって唇を結んだ。




 ◆   ◆   ◆




 素晴らしいベッドで眠った翌朝、ゾランはすっきりとした目覚めを迎えた。カーテンを開けると昨夜の嵐が嘘のように、青空が何処までも広がっている。窓を開け、山間の冷たい空気を肺一杯に吸い込んだ。


「んーっ、良い天気!」


 こんなにいい天気になるなんて半信半疑だったが、経験者である商会の人間のいうことは正しかったようだ。窓から見える山の景色は、木々にたまった水滴がキラキラと反射して、とても美しく見えた。


「よしっ、気合入れて今日から取材するぞっ!」


 エセラインが居ない分、ゾランが頑張らなければ。そう思いながら、ゾランは気合を入れる。


 着がえを済ませて階段を降りると、既にエントランスには商会の人間やホテルの従業員たちの姿があった。皆集まって深刻そうな顔をしているのを見て、ゾランは首を傾げる。


「おはようございます。どうかなさったんですか?」


「ああ、ゾランさん。昨夜は眠れましたか? 風がうるさかったでしょう?」


「ベッドが快適だったので、熟睡でした」


「それは良かった。ですが、こちらは悪いニュースです」


 そう言ってホテルの支配人は顔を顰める。


「実は、グラゾンまでつなぐ唯一の路が、昨晩の嵐で塞がれてしまったようなんです」


「ええっ!?」


「復旧を急ぎますが、しばらくはご不便をかけるかも知れません。私たちもそちらに手伝いに出ますので……」


「そうなんですね……。何か、お手伝い出来ることはありますか?」


 ゾランの申し出に、支配人は笑顔で首を振った。


「ありがとうございます。しかし、我々には慣れっこですので、ゾランさんはどうぞ、取材を進めてください。最低限の従業員は残していきますので」


「そうですか……。解りました。良い記事を書けるよう、頑張りますね!」


「よろしくお願いします。楽しみにしていますね」


 支配人はニコリと笑うと、そのままゾランを食堂へと促した。ホテルは貴族が暮らしていた屋敷だけあって、荘厳な美しさがあった。元々ダンスホールだった場所を食堂に改装したらしく、素晴らしい天井画がゾランを出迎える。悠久の時を重ねても、色褪せない美しさだ。


 大きなダイニングテーブルの端に腰かけ、朝食が運ばれるのを待つ。


「お飲み物はフレッシュなライチのネクター。カフェオレはポットでたっぷりとご用意しました。それに、フルーツのサラダ。それと、パン・ペルデュになります。三種類のジャムとメープルシロップを添えてお召し上がりください」


「うわぁ……。美味しそうっ……!」


 バゲットを厚めにスライスしたパン・ペルデュは、ナイフを入れるとほろりと解けるように柔らかい。一口ぱくんと口に含むと、とろけて消えてしまうような触感だった。ミルクと玉子の風味がたまらなく美味しい。


「すごく、美味しいですっ。新鮮なミルクと卵ですね」


「はい。当ホテルの近くには牧場があり、毎日新鮮なミルクと卵を入手することが出来るんです」


「なるほど……!」


 搾りたてのライチも、なんとも言えない芳しい香りがして、とても美味しい。オレンジを中心としたフルーツのサラダも、山間の食事とは思えないほど、新鮮だった。


 山間部でこれだけ贅沢な食事が出来るのは、サンテ商会の輸送能力のおかげでもあるのだろう。贅沢な空間と、贅沢な食事。どれも素晴らしいものだった。


「牧場のほうは、見学出来ますか?」


「ええ、もちろんです」


 ゾランは早くも、この旅行記が良いものになると感じていたのだった。




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