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第11話 思いがけない出会い



 朝食を終えたゾランは、取材用の道具一式を鞄に詰め、腰に『海鳴り』を挿してホテルの外へとやって来た。道はまだところどころぬかるんでいるが、歩くには問題なさそうだ。長閑な村の風景を眺めながら、時にカメラで写真を納めていく。


「蒸留所の見学は明日にして、今日は牧場の方に行ってみようかな」


 朝食が素晴らしかったので、さっそく牧場の方に興味が出て来たゾランは、足を延ばして牧場に行くことにした。ゾランも実家では鶏を飼っていたし、近所には牛を飼っている家もあった。支配人の話では比較的大規模に行っている農場らしく、それを聞いたゾランはがぜん興味が湧いたのだ。


(エセラインは、カシャロに帰ったよね……?)


 予定通りならとっくにボヌールに着いているはずだし、ゾランの手紙も受け取ってくれただろう。それに、倒木で道が塞がれているのだ。もしこちらに向かっていたとしても、エセラインも来ることはかなわないはずだ。


(良いところだから、せっかくならエセラインと来たかった気もするけど――)


 そう思うと同時に、少しだけホッとしている自分も居た。同じ部屋で、一緒に過ごすには、まだ心の整理が出来ていない。エセラインの気持ちを知らなかった頃には何でもなかったことが、今はそうでは無くなっている。


(俺は――エセラインのことが、好き、なんだろうか……)


 最初は、ライバルで。自分のことなんか眼中にないのだと思って、妬んでいたようなこともある。けれど、仕事に対して真摯で、熱心で。ゾランに対しても、いつも敬意をもって接してくれていた。旅行記も一緒にやることが出来て、お互いに色々なことを知って。たくさん、同じものを食べて。


 エセラインのことは、もちろん好きだ。けれど、恋愛の好きなのかと自分に問いかけると、解らなくなる。ただ、じわりと胸が熱くなるのも、事実だった。これが恋なのか、まだ自信がない。あまりにも、隣に居るのが当たり前になり過ぎて、解らなくなってしまう。


 だから、エセラインと離れるこの機会が、チャンスのような気がした。自分の気持ちに、真剣に向き合いたい。そう思っている。


「ん……? 分かれ道……」


 しばらく小路を歩いていたゾランは、不意に道が分かれたことで足を止めた。支配人の話では、ホテルを出て東に真っ直ぐ行けば牧場に着くという事だったが、道が二手に分かれている。どちらに行くべきか迷ったゾランは、ふと足元のぬかるみに、足跡がついていることに気がついた。まだ真新しい足跡を見て、ゾランは足跡の方へと進むことにする。誰かが通った路ならば、何かはあるのだろう。


「んー……、なんだか、林になってきちゃった……。もしかして、こっちじゃなかった?」


 しばらく歩いたが、牧場は影も形も見当たらなかった。その代わり、周囲はだんだん木々が増え、林になってきてしまった。牧場というからには、当然林ではないだろう。もしかしたら、さっきの路を逆に行くのかも知れない。そう思ったが、林を抜けた先に牧場があるのかも知れない。


 悩みながら、ゾランはもう少し歩くことに決めた。足跡はまだ残っている。


「それにしても、気持ち良い場所だな……。夏に来ても良いかも知れない」


 夏だったら、きっと涼しくて良いに違いない。ホテルが開業すれば、貴族のような気分を味わえるあの部屋も、料理も、景色も素晴らしいのだ。きっと人気の観光スポットになるだろう。


「それに、芳しい蒸留酒もあるしね」


 人気ひとけのない林は、鳥の声や木々のざわめきが木霊するだけで、人の声は聞こえない。どこか、別の世界へ迷い込んだような気持ちになった。そうやってしばらく歩いていると、ゾランは林の奥に一軒の洋館があるのが目に入った。


「なんだろう……?」


 元は白いペンキが塗られていたのだろう、その洋館は、朽ちて今にも崩れ落ちそうだった。二階にあるバルコニーの支柱が折れ、大きく傾いている。窓ガラスもところどころ割れているようだ。長いこと放置されているのだろう。屋敷の壁は苔むし、緑にくすんでいる。


「ここも、お貴族様が住んでたのかな……?」


 好奇心から屋敷に近づき、そっと中を覗き込む。中途半端に開いた扉の奥には、まだ調度品が残っていた。テーブルに花瓶、ろうそく立て。壁紙はシミが広がっていたが、元は美しい花の模様が描かれている。どんな人が住んでいたのだろうかと、少しだけと思いながらゾランは中に入り込んだ。


「うわ……」


 屋敷に侵入したゾランは、エントランスホールだった場所を見上げて思わず感嘆の声を漏らした。天井に穴が開いているのか、室内に無数の光の柱が立っている。持ち主の肖像画だろうか、階段上に掛けられた絵が、こちらをみて優美に微笑んでいた。家族の肖像だった。当主らしい男性と、その奥方らしい女性。手前にはまだ幼い天使のような子供が二人並んでいる。


「綺麗……」


 思わず呟いて、絵を見上げる。壊れた屋根から漏れた光が、肖像画にスポットライトのように当たっている。床をギシリと軋ませ、絵画の方へ近づく。


(……この人、どこかで見たような……?)


 肖像画の夫人が、誰かに似ているような気がした。藍色の瞳が穏やかに輝いている。


 もう少し近くで見ようか。そう思って、一歩進んだ時だった。


 ガチャリ。金属の音と同時に、ゾランの後頭部に何かが付きつけられる。


「何者だ」


「っ……!?」


 低い声に、ゾランは息を呑んだ。いつの間にか、誰かがゾランの背後に立っていた。


「あっ……、すみません、勝手に……」


 ドクン、心臓が鳴る。恐らく、自分に突きつけられているのは、銃だと直感した。銃は珍しい武器だ。詳しくは知らないが、ゾランは一度『宵闇の死神』と対峙したときにその威力を目の当たりにしている。一撃で人を屠るような恐ろしい武器が、自分に突きつけられている恐怖に、ゾランは『宵闇の死神』と向き合った時の恐怖を思い起こした。


 ドクドクと心臓が鳴る。冷汗が頬を伝った。


 ゾランが動けずにいると、背後の人物が何か気づいた気配がした。僅かに銃口が頭から離れる。


「――『海鳴り』? お前――」


「え?」


 男が怪訝な声を漏らした。ゾランは驚いて目を瞬かせる。男が、銃を下した気配がした。


「クレイヨン出版社の」


 その声に、ゾランは恐る恐る振り返る。赤い長い髪が、さらりと揺れる。崩れた天井の隙間から漏れる幾つもの光が、彼を照らしていた。白い革のコートをなびかせ、手にはショットガンを持ってた。


「ラウカ――!」


 思いがけない存在との出会いに、ゾランは驚いて目を瞬かせた。







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