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第12話 遭難



 赤く長い髪。白の革のコート。手には鈍く光るショットガン。ゾランの敬愛するライター、ラウカ・ハベルその人だった。思いがけない存在に、ゾランは驚いて目を瞬かせる。


「ラウカ?」


「何故、こんな場所に……」


 ラウカの方も、ゾランが居ることに驚いているようだった。ラウカはホゥと息を吐いて、ショットガンをコートの下に仕込んであるホルスターへと納める。慣れた仕草に、ドキリとした。いつもはコートの下に隠れていて解らなかった。ラウカは銃を扱えるらしい。


「お、俺は、取材です。グラゾンの蒸留所を取材に来たんです。その、ウイスキー蒸留所と、併設されている新しいホテルの……」


「――なるほど。ここは、私有地のはずだけど」


 そう言ってラウカは屋敷を見上げた。その表情が、物寂しい。


「あ、済みません。牧場に行く途中で迷って……。建物が見えたから、思わず」


 ゾランの言い訳に、ラウカはクッと喉の奥で笑った。


「記者の好奇心かな。まあ、関心はしないけどね」


「本当にすみませんでした。あの……ここは、ラウカの?」


 私有地、という言葉に、ゾランはそう問いかけた。ここは誰かがまだ所有している場所なのだろう。グラゾン一帯はサンテ商会が購入したという事だったが、恐らくここは含んでいないのだろう。


「オレの、ってわけじゃないけどね。ここは、スク家の持ち物だよ」


「スク家? じゃあ、ヴェリテの――」


 肖像画が、誰かに似ていると思った。ヴェリテ・スクの家系の人物なのだろう。ヴェリテとは一度しか合わなかったが、眼鏡の奥に優しい光が宿っていたのを、今でも思い出す。


 ヴェリテの名前を出したゾランに、ラウカの表情がサッと陰った。眉を寄せ、ゾランを凝視する。


「何故、ヴェリテのことを?」


 冷たい瞳の色に、一瞬ぞくりと背筋が粟立つ。


「えっ……。あ、その……」


 言い淀むゾランに、ラウカの瞳の奥が光ったような気がした。妙な緊張に、ゾランは唇を舐める。獰猛な獣に、品定めされているような気分だった。


「何を知っている?」


 ラウカが一歩、脚を踏み出した。ブーツが床を踏む、ギシっという音が響く。反射的に後退ってしまったゾランに、ラウカが手を伸ばす。


「そ、そのっ……」


 ゾランが口を開いた、その時だった。


 ミシミシ! と大きな音を立て、床に大きな亀裂が走る。ゾランが「あ」と思った時には、腐った床が大きく避け、ガラガラと音を立てる。床板が外れ、地面がむき出しになる。


「っ……!」


 ラウカの表情が陰る。ゾランは足元に目をやった。地面だとばかり思っていたのに、床の下は大きな空洞になっている。慌ててそこから逃げだそうとするも、既に片足は空を掻いていた。


「わあああっ!!」


 何とか無事な床に乗ろうとするも、あと一歩のところで届かない。手を伸ばしたが、届かなかった。


(嘘だろっ……!? 落ちるっ……!?)


 身体が宙に投げ出される。無情にも重力に引かれ落下する。落下特有の浮遊感の気持ち悪さにギュッと瞳を閉じる。このまま落下すれば、無事では済まない。


 ゾランの身体を、誰かが抱き寄せた。驚いて、ゾランは目を見開く。


「チッ……」


 低く呟き、ラウカはゾランを抱えると、落下する木材の上をブーツで踏みつける。


「ラウ、カ……っ」


「クソっ……疾くと駆けよ――『駿足』!」


 ラウカが『駿足』の魔法を使う。瓦礫を蹴り上げ、落下する速度を緩和させようとするラウカを見て、ゾランはハッと思い出した。


(そうだ、俺も魔法、新しく貰ったんだ)


 ラドヴァンから譲渡された魔法があるのを忘れていた。何を貰ったのか頭を必死で動かし、海鳴りを手にする。


「っ――我らを護れ――『結界』っ! 身を護る、盾と成れ――『鉄壁』!!」


 魔力が身体から失われるのが解った。海鳴りが呼応し、魔法がさざ波のように拡がる。ラウカとゾランの身体を、黄色と青の光が包み込んだ。


(あ……、魔力、が……)


 力が抜けていくのを感じる。ゾランが最後に見たのは、目前に迫る地面だった。




 ◆   ◆   ◆




「うっ……」


 気を失っていたのは一瞬だったらしい。気づくとゾランは湿った地面の上に転がっていた。すぐ傍に、コートの埃を払うラウカの姿がある。


 カラン、カラン。床材が転がる乾いた音が木霊する。天を仰げば、穴の入り口はだいぶ上の方にあった。相当に深い穴にだったようだ。幸い、魔法のお陰か地面が柔らかかったお陰か、ゾランもラウカも怪我はないようだった。


 ラウカのは険しい顔で、上を見上げている。


「どうやら、地下にあった空洞が崩落したようだな。昨日の雨のせいか……」


「っ……これ、戻れるんですかっ……!?」


 ゾランも立ち上がり、穴を見上げる。床だった部分はかなり上にある。その上、周囲の壁には掴まれそうなとっかかりは見当たらなかった。当然ここに来ることなど言っていないので、誰かが見つけるまでには時間がかかるだろう。ゾランはゾッと背筋が寒くなった。


(このまま、助けが来なかったら――?)


 エセラインはカシャロに戻ってしまっただろう。せめて、彼がいてくれたら、きっとゾランを探し出してくれるのに――。


 不安そうなゾランの横で、ラウカは平静だった。顔を顰めながらポケットからハンカチを取り出し、風になびかせる。


「……風が吹いている。どこか、繋がっていそうだ」


「本当……!?」


 ホッと胸をなでおろすゾランに、ラウカは不審な表情を向ける。ガチャリ。金属の音と共に、銃口が再びゾランの方へ向けられる。


「っ……!」


「質問の答えを聞いていない」


 冷ややかな声に、ゾランはごくりと喉を鳴らした。ヴェリテ・スクが、彼にとって特別な人間だということは、解っていた。先ほどは驚いてしまったが、今度は大丈夫だ。ゾランは深呼吸して、静かに口を開く。


「っ、一度、カシャロで、ヴェリテに逢ったんだ……」


「カシャロで?」


「ごっ……五年前……。ラウカ社を探してて、ヴェリテに逢ったんだ」


「なぜ、ヴェリテがラウカ社の人間だと?」


 ラウカ社のライターは、存在を秘匿していた。誰が所属していたのか知っているものは少ない。ゾランは手でラウカに落ち着くよう制しながら、鞄の中から手帳を取り出した。古びた手帳を差し出すと、ラウカの眉がピクリと動いた。


「この、手帳に」


「それは……」


 ゾランはパラリとページを捲り、ラウカに見せた。以前は興味がなさそうに一蹴されてしまったが、この手帳を見れば一目瞭然のはずだった。ゾランはこの手帳を、暗記するほど読んでいた。緻密な取材と、ラウカの思考の証。最初のページには丁寧な文字で、文章が綴られている。


『ヴェリテ・スクへ愛を捧げる。ともに真理を追い続けよう』


 その文字を目で追ったラウカは、一瞬息を呑み――静かに、銃を下した。


「そうか……。お前は、ヴェリテに逢ったのか……」


「はい……」


 ラウカが一瞬、寂しそうな目をした。


「あの、この手帳、返します」


 一度は断られた手帳だったが、今なら受け取って貰えるのではないか。そんな気がして、ゾランはそう言った。だが、ラウカは静かに首を振った。


「でも」


「オレには、それを持つ資格がない」


「――え?」


 寂しそうな表情を切り替え、ラウカはいつもの顔に戻ると周囲を見回す。


「ゾラン、だったな」


「あ。はい」


「ひとまず、ここから抜け出そう。こっちだ」


「はい!」


 ラウカの視線の先に、洞窟のような大穴が広がっていた。風はそちらの方から吹いているようだ。ゾランは手帳を鞄に押し込めると、ラウカの背中を追いかけた。




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