目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第17話 小さきものの声



 水滴が頬に落ちる感触に、ゾランは目を覚ました。いつの間にか眠ってしまっていたらしい。硬い地面で眠ったせいで、身体が痛かった。


「起きたか」


「あ……。ごめんなさい、俺……」


「いや、野営に慣れていないだろう。それより、体力を温存したほうが良い。気にするな」


 ラウカはそう言うと、カップを差し出した。白湯が入っている。受け取ってひとくちのむと、乾いた口の中がいくらか落ち着いた。


「ろくに準備もないからな、今日中には外に出たいが……」


「ですね……」


 そう言って携帯食の硬いパンの上にチーズを乗せたものを貰い、朝食を済ませる。ラウカが居なかったら、どうなっていたことかと思う所だ。


「俺も帰ったら、野営の準備をしておきます……」


「それが良い。いつどうなるかなんて、誰にも解らん」


 ラウカはそう言いながら懐から懐中時計を取り出した。既に日は昇っているらしい。一晩、ここで過ごしてしまった。


(ホテルのひと、心配してるだろうな……)


 牧場に行くことは言ったものの、一晩客人が帰ってこなかったのだ。騒ぎになってしまっているかもしれない。


「さて、のんびりしている訳にもいかないな。そろそろ出発だ」


「はい」




 ◆   ◆   ◆




 古い井戸の底は、まるで古代の遺跡のようだった。切り出した石には細やかな細工が施されており、豊かで優美な文明の痕跡を感じさせる。湿った空気の中を歩きながら、ゾランは光の魔法で照らされた幻想的な空間を眺め見た。


「すごい遺構ですね……」


 声が残響して響いていく。この空間は、どのくらい続いているのだろうか。


「かつては貴族の保養地だっただけあるな。元々、王族が訪れるだけの場所だったんだろう。図書館へ行けば、何か資料があるかも知れないな」


「帰ったら調べてみようかな」


 道中は、非常に安全だった。何度かケーブバットやイドワタリが出たものの、ゾランの出る幕はなかった。ゾランの役割と言えば、絶えず光を灯しているだけだ。


 どれくらい歩いただろうか。不意に光が差し込んでくる。見上げれば、木の根が石の隙間から根を張り、空洞を作り出していた。


「あそこ、光が」


「ああ。……どうやら、地上が近そうだ。この辺りに出口があるかも知れん。よく探そう」


「はい」


 気づけば、足元には井戸の名残だったせいか、浅く水が溜まっている。水をはねさせながら、ゾランは周囲を探った。


「あっ。こっち、道が……」


 横道を見ると、巨大な階段が上へと続いていた。井戸の口だ。空を見上げると木々で覆い隠されているものの、井戸自体は塞がれていなかったようだ。


「……昔グラゾンに来た時は、こんな井戸の存在なんか知らなかった。古代の人は、別の水源から生活を賄っていたんだな……。ここには、グラゾンコンクのいた痕跡がない……」


 ラウカは改めて、井戸の水を手で掬った。水は澄んでいて、まだ飲めそうなほど美しい。


「もしかしたら、グラゾンコンクを根絶しなくとも、道があったのかも知れないな……」


「……でも、人の生活圏が広がれば、やっぱり水の問題は出て来たと思います」


「ふ……。慰めか。だが、そうだな……。ただ、考えるのだけは、辞めては駄目なんだろうな」


「はい。俺たちは、記者ですから」


 ゾランの言葉に、ラウカは眩しそうに眼を細めた。


「オレは、記者とは言えないがな……」


「え? 何か言いましたか?」


「いや」


 呟きはかき消され、ゾランの耳には届かなかった。階段を踏みしめ、地上へと昇っていく。


「さあ、行こう、ラウカ!」


「――ああ」


 ゾランは振り返り、緑に飲まれる古い井戸を見下ろした。この場所で、生きて来た誰かが居る。そして打ち捨てられ、今では別の街が造られている。


 ラウカの言うとおり、グラゾンコンクとの共存の道もあったのかも知れない。記者であれば、生存圏を侵略した人間のエゴを、記事にする選択もあるだろう。だが、人が生きる場所を拡げれば、淘汰されるものもある。歴史の陰に見落とされるものも、この世界には多いのだろう。


(俺は、そういう小さな声を、拾えるようになりたい)


 一面を取るような、『一流の』記者になりたいと思っていた。ラウカと肩を並べるにはと、それが目的になっていた。


 けれど、そうじゃない。ゾランが手を差し伸べたかったのは、あの日、あの夏の日に、カード泥棒にさせられそうになった、小さなゾランだったはずだ。


 ラウカが助けてくれたように、ゾランもいつか、誰かの助けになるように。誰かを導けるようになるために。


 真実は一面ではない。グラゾンコンク根絶を、エゴと思う人も居るだろうが、現実として、この場所は風土病から解き放たれ、人は病を克服した。その努力を、忘れてはいけない。


 景色を胸に刻み込んで、ゾランは草木の生い茂る地面を踏んだ。普段人が寄り付かない場所らしく、周囲は深い雑草に覆われている。獣道を歩きながら、ゾランとラウカは集落の方角を目指した。


 しばらく歩いていると、細い道に出た。農場へ向かうための路らしい細道を歩いていると、にわかに人の声が聞こえてくる。


「そっち、居たかーっ?」


「沢の方はどうだった?」


 その声に、ゾランは自分たちを探す捜索隊の声だと気がつく。ラウカと目を合わせると、ラウカは小さく頷いた。


 ゾランは小路を走り、人のいる方へと手を振る。


「おーいっ! 俺たちここです! 無事でーす!!」


「!」


 ゾランの声に、捜索していた村の人たちが気がついて振り返る。


「おお、無事だったか!」


「ご心配おかけしまし――」


「ゾラン!!」


 切羽詰まった声に、ゾランは言いかけた言葉を止めて、声の方を見る。


 ここに、居るはずがないのに。聞こえるはずのない声に、驚いて目を見開く。


「――え?」


 振り返ったと同時に、殆どぶつかる勢いで抱きしめられる。


 心臓が、ドクンと跳ねた。


「ゾランっ……!」


「エセ…ライン……?」


 どうしてここに? という言葉は、驚きすぎて出てこなかった。エセラインがゾランの様子を確かめるように、顔を覗き込む。頬に両手で触れられ、カァと熱くなった。


「何処に行ってたんだ? 怪我はないか?」


「ちょっ……、擽ったいっ!」


 過剰に心配するエセラインに、周囲の人も苦笑いしている。恥ずかしくなって引きはがそうともがくが、エセラインの力が強く離れられなかった。


「先日の大雨で、地盤が緩んでいた箇所があったんだ。昔埋めた場所もあるから、一応調査してみると良い」


 ラウカの言葉に、エセラインが顔を上げた。ラウカが居ることに驚き、目を見開く。


「ラウカ……!?」


「怪我はないはずだけどね。疲れているだろうから、休ませてやると良い」


 肩を竦めるラウカに、ゾランは苦笑した。ホッとしたら、確かに疲れてしまった。足は痛いし、井戸の底に居たせいでだいぶ身体が冷えている。


「ああ、災難でしたね……。さ、温泉に入って休んでください。料理長に言って、スープを用意させますから」


「ありがとうございます」


 やって来た支配人が、悲痛な顔をしている。彼もだいぶ心配したのだろう。疲労の色が見て取れた。


 ゾランは振り返り、捜索隊に崩落個所を告げているラウカの方を見た。


「ラウカ! その……、ありがとうございました。また――今度は、俺がご馳走しますから」


 ラウカは口端を少し上げて、軽く手を上げた。


 エセラインはラウカが何故いるのか聞きたそうだったが、それには言及せずにゾランを支えてホテルの方へと連れて行ってくれたのだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?