「グラゾンウイスキーか」
ゾランたちが土産にと買って来たウイスキーは、琥珀色をしてとても美しい。テオドレが満足げにボトルを眺めていると、いつの間にやって来ていたのかルカがウイスキーを覗き込む。
「あれ?」
「っ、何だよ! お前も貰っただろ。これはオレのだ!」
端正な顔が近くにあるのに、動揺したのを押し隠し、テオドレは瓶を抱える。その瓶を奪い取るようにしてサッと取られ、思わず「あっ」と声が漏れる。
「何すんだ!」
「これ、シェリー樽じゃないですか。私のはバーボン樽でした。違うものですね」
「あん?」
ルカがそう言って、ゾランが持ってきた二本のウイスキーのラベルをこちらに向ける。銘柄は同じだが、よくよく見るとラベルの色が少しだけ違う。テオドレが貰った方が薄いグリーンのラベルなのに対して、ルカの貰ったウイスキーのラベルは、ほんのり青みがかっている。品名も、良く見れば違う。仕込んだ樽が違うのだ。
「何だよ。違う種類か」
「そのようです」
ウイスキーの味は、仕込んだ樽の味で風味が大きく異なる。シェリー樽で仕込んだ場合、シェリー樽特有の果実の甘みが付与されるのだ。バーボンウイスキーを熟成させた樽は、樽を製造する際は内側を焦がしているため、焦がし方で香りに違いが出るという。バニラ、カラメルの甘い風味と香りが付与され、クリーミーな味わいに仕上がるのが特徴だ。
「これは……」
思わずゴクリと喉を鳴らす。こうなってしまえば、当然どちらの味も気になるのが、酒飲みというものだ。ルカの方も、テオドレと同じくらいの酒好きである。
「どうやら、どちらも試さないわけには行きませんね。今日あたりどうです?」
「ああ、良いだろう。利害の一致だ。仕方がない」
普段は犬猿の仲と言って差し支えのない二人は、顔を見合わせれば口げんかばかりしているが、こういう時は別である。既に、ルカの家には何度か行ったことがあるし、以前ほど抵抗は無くなっていた。
(なんだかな……)
元々冒険者だったテオドレと、どちらかと言えばインテリのルカ。特にテオドレは、過去に仲間だった者たちを喪ってからは、あまり人と関わることをしてこなかった。それでもいくらか前向きになったのは間違いなく、クレイヨン出版社の新しい仲間たちだった。その中には当然、ルカも存在する。
暗く復讐の火を胸に灯していたテオドレを、ルカは一蹴するように「なんだ、そんなもの」という風に相手にしていない。冷たいとか、興味がないとか、そういうことではない。「あなたの人生はそんなもののためにあるわけじゃないでしょう?」と、皮肉気に笑ってみせるのだ。
そんな男なので、テオドレはルカを好きにも嫌いにもなれない。心の在り方を、何処に置いていいか分からないままに、気がつけばケンカをして、笑い合い、一緒に酒を飲んでいる。
合うか合わないかで言えば、間違いなく合わないはずなのに――気づけば、不思議なほどに、かみ合っているようにも見える。
仕事を終えて市場で手ごろな惣菜を見繕うと、テオドレはルカと共に石造りのアパートへと入って行った。古いアパートは、もう何世代にもわたってリフォームされ、住人の個性に合わせて姿を変えている。ルカの部屋は、温室かと錯覚するほどに、植物が多く置かれていた。
「相変わらず、すげえ緑」
「どうぞ座っていて下さい。グラスを用意しますから」
リビングに置かれた丸テーブルにウイスキーの瓶を置き、木目の美しい椅子に腰かける。アンティークだが、丈夫で品が良い、ルカが選びそうな椅子だ。室内も、ルカの好みに設えられている。緑の溢れる部屋の中は、ミルク色の髪をしたルカに良く似合う。
「氷も用意しましたけど、最初はストレートで行きますか?」
「ああ、最初はストレートが良いな」
グラスを手に、ルカが戻って来る。このグラスは、以前は置いていなかった。テオドレが来るようになってから置かれるようになったのだろうと思うと、何故だか落ち着かない。胸の奥が、ザワザワする。
琥珀色のウイスキーをグラスに注ぎ、香りを確かめる。木の香りと、甘い果実のような芳香が、微かに鼻孔を擽った。
「良い香りだ」
「んー。良いですね。コレ、絶対美味しい奴ですよ。ゾランは美味しいものへの嗅覚が鋭いですけど、お酒にも敏感なんですかね」
「アイツは、そんなに飲めないだろ」
「今度、連れまわします? エセラインも一緒に」
「それも悪くないが――。途中でつぶれるだろうな。……んま」
口の中で転がすように風味を確かめる。アルコールの酒精の中に、まろやかな風合いがある。良い酒だ。
「ああ、良い……」
ほうと息を吐いたルカに、なんとなく視線を向ける。長い指がグラスを掴む仕草が、妙に色気があった。
「……っ」
思わず目を逸らしたテオドレに、ルカが視線を向ける。
「どうかしました?」
「、いや、そっちも開けてみよう」
「おや。もうグラス開けちゃったんです? 仕方ないですね」
言いながら自分もクイと一気に酒を呷り、もう一本のウイスキーを開ける。ドクドクと心臓が鳴る。早いペースで酒を飲んだせい――では、ないだろう。
胸がザワザワして、落ち着かない。
(一体、なんだってんだ……)
結局、胸のざわつきは治まることなく、テオドレは随分、速いペースで酒を飲み続けてしまったのだった。
◆ ◆ ◆
そして。
(あ、たま……痛てぇ……)
深酒のし過ぎで、頭が痛い。身体も酷く気怠いし、体中がギシギシと痛んだ。
(なんか、すげえ……身体が痛い……。てか、なんだ、この違和感……)
尋常じゃない違和感を抱いて、寝返りを打つ。シーツを滑る感触に、今更ながら服を着ていないことに気がついた。
「は――」
思わず、目を見開く。あたりはまだ薄暗く、星明かりの僅かな明かりがカーテンの隙間からこぼれて居た。
白いミルク色の髪が目に入って、ドキリと心臓が跳ねる。高い鼻梁、伏せられた瞼から伸びる長いまつ毛。形の良い唇は、僅かに空いて、静かに寝息を立てている。
(は?)
思わずギシリとベッドを軋ませ、上体を起こす。ズキリ、腰に鈍い痛みが走って、顔を顰めた。
床には脱ぎ散らかされた衣服が散乱している。明らかな痕跡に、頭を抱えた。
「マジか――……」
記憶にないが、やらかしたらしい。今更、ルカとどうこうなるとは、思っても居なかった。
どんな顔をすれば良いのか分からない。
僅かに、自信に覆いかぶさるルカの白い髪が、額を擽っていたという事実だけ。
(ルカは……覚えてるんだろうか……)
憂鬱な気分になりながら、テオドレは布団をかぶって眠ったフリを決め込んだ。