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第5章 夜を裂く足音、朝を待つ街

第1話 コーヒーの香る朝に



「ウルス侯爵がバレヌ王室によるリオン国への武器提供開始を発表。予算四十億バレヌ相当の軍事支援を行うことを決定……。国内の醸造所支援のためにコーヒー規制を検討か。輸入品のコーヒーに対し増税を検討……」


 眉間にしわを寄せながら新聞とにらめっこしているゾランに、穏やかな声がかけられる。


「難しいこと言ってるね、ゾラン」


「アロイス。社会面も読んで置かないとと思ってさ」


 コーヒーを運んで来たのは、最近、ゾランの下宿先でもある『クジラの寝床亭』で働くようになった青年、アロイスだ。コーヒーの香りを吸い込みながら、ゾランはホゥとため息を吐く。


「コーヒーが増税なんかしたら、暴動ものだよ。カシャロ市民は黙ってないと思うね」


「本当に。でもどうなんだろう。ウルス侯爵肝いりの政策みたいだしね」


 アロイスの言葉に、ゾランは目を瞬かせる。


「そうなの? 良く知ってるね、アロイス」


「まあ、貴族関連の噂なんかは、敏感じゃないとね。僕はサロンには出入りしていないけど、画家を目指しているから」


「へえーっ、画家かあ!」


 画家、という職業のことは、正直に言えばゾランは良く知らない。貴族向けの絵などはサロンで発表され、高値で買われて行くというが、そういった画家はほんの一握りだという。


「まあ、僕はまだまだ。せいぜい皿に絵を描いたり、そんなものだよ」


 庶民のインテリアと言えば、小さな絵皿を飾ったり、手仕事を飾ったりといったものだ。名の売れていない画家はポスターの絵を描いたり、壁や皿に絵を描くような仕事が多いという。百年ほどまえは、絵は教会のものだった。そのことを思えば自由になったが、絵を売って生きるのは楽なことではない。


「ゾランも、絵を描くだろ? 新聞に小さな絵を載せているのを見てるよ」


「えっ。ちょっと恥ずかしいな、画家を目指してる人に見られるのは……」


「暖かくて、良い絵だと思うよ。僕は好きだけどな」


「そ、そっか」


 気恥ずかしさに俯いていると、不意に背後に人影を感じて顔を上げた。


 金色の髪を揺らして、エセラインが立っている。


「何の話だ?」


「エセラインっ!」


 パッと明るい笑顔を見せるゾランに、眉間にしわを寄せていたエセラインの表情が緩む。エセラインはいつものようにゾランの向かいの席に座った。


「随分、話し込んでいたようだが、暇なのか?」


「あはは。朝は忙しいんだけど、つい、ね。エセラインはカフェオレかな?」


「ああ」


 注文を聞くと、アロイスはカウンターの向こうに引っ込んでいく。ゾランは新聞を畳んで、向かいに座るエセラインを見た。何も変わっていないはずなのに、彼の顔をみていると、ソワソワするような、うずうずするような、そんな感情が沸き上がる。


「エセラインって、アロイスにちょっと当たり強くない?」


「……それは」


 自覚していたのか、唇を曲げるエセラインに、ゾランは首を傾げる。エセラインは菫色の瞳を逸らして、ハァとため息を吐く。


「そりゃあ、下宿先一緒で、朝から親しそうにしてたら、ついこうなるだろ」


「え?」


 何を言われたのか一瞬解らずに、ゾランはポカンとした。だが、すぐにその意味に気づき、カァと顔が熱くなる。


「そっ……。それは、アロイスに気の毒だよ。別に、何でもないんだし……」


「解ってはいるが……」


 互いに気恥ずかしくなっているところに、アロイスがサンドイッチとカフェオレを手に戻って来る。


「はい、ゾランはサンドイッチ、エセラインはカフェオレだったね。お待ちどうさま」


「あっ、ありがとう。アロイス」


「どうも」


 いつも通りのサンドイッチだが、切り口がやや不格好だ。どうやらアロイスが作ったらしい。思わず笑ってしまうゾランに、エセラインがムッとする。


「あー。エセライン、アロイスって画家を目指してるんだって。エセライン、絵を見るの好きだろ?」


「へぇ?」


 エセラインは興味を持ったようで、カフェオレを啜りながら顔を上げた。


「まだまだだけどね。けどいつか、サロンで発表したいとおもってるよ。そうだ、ゾラン。君、モデルになってよ」


 アロイスの発言に、ゾランは驚いて目を丸くする。エセラインは先ほど柔和になった顔を、再び大きく顰めた。


「え? 俺っ?」


「うん。ここに来てからは知り合いも居ないし、本職のモデルを雇うのは結構お金がかかるからさ……。人助けだと思って! ね?」


「う、うん……」


 人助けだと言われてしまえば、断る理由も思いつかず、ゾランはつい頷いてしまう。エセラインが「ゾラン」と強い口調で咎めたが、アロイスは人懐こい笑みを浮かべて、「ありがとう!」とカウンターの中に戻ってしまった。


「ゾラン……」


「べ、別に、ただの絵のモデルだろ?」


「……はぁ」


 深いため息を吐くエセラインに、僅かな罪悪感を抱きつつ、ゾランはサンドイッチをぱくんと飲み込んだ。






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