早足で歩くエセラインを追いかけ、石畳を蹴る。不機嫌を背中で語る姿に、ゾランはムッとしながらエセラインの広い背中をバシッと叩いた。
「エセライン! 何だよ、怒ってんの?」
「――怒ってないと?」
「っ……、お、怒るようなことじゃないだろ?」
エセラインの菫色の瞳は、不機嫌に細められている。美しい顔が怒る様子は、迫力があるのだと、ゾランは内心ヒヤリとした。
「ゾランは、自覚が足りないんじゃないか?」
「自覚? 自覚って……」
エセラインがゾランの胸をスッと指さす。
「お前は、俺のなに?」
「――っ、と、こ……恋人、です……」
だんだん語尾が小さくなって、顔を赤くして俯く。顔からシュウと音がしそうだ。両手で頬を叩いて、チラリとエセラインを見上げる。エセラインはふんと鼻を鳴らして、少しだけ表情を崩した。
(そ、そうなんだよな……。恋人に、なったんだよな……)
今でもちょっとだけ、信じられない。自分には過ぎた相手のような気がする。エセラインは容姿が整っているし、アカデミー出身で優秀で、冒険者としても実力がある。それに、クレイヨン出版社のエースだ。それに比べると、自分はなんて平凡なんだろうと思う。背も高くないし、体格が良いわけでもない。どこにでも居る赤毛で、能力だって平均だ。自分のどこが良いのか分からないが、エセラインはゾランが良いと言ってくれている。
「恋人が、他のヤツと二人きりになるようなこと、嫌だろ」
「う……、それは、そうだけど……。でも、本職のモデルを雇うのが大変だっていうのは、解るじゃない? ミラは女性だし、彼女に頼むよりは俺の方が……」
「……」
ゾランの言葉に、エセラインはムスッと唇を結んだ。エセラインとアロイスは馬が合わないようだが、エセライン自身も別にアロイスが悪い人間だと思っているわけではないだろう。単純に、ゾランと二人になるのが嫌なようだ。ただでさえ、下宿先がおなじだということが、気に入らない様子でもある。
「じゃあ、二人きりにならないようにするから。ほら、ダイナーで描いてもらえば良いでしょ? アロイスの部屋には入らないし、俺の部屋にも上がらせない」
エセラインは眉をピクリと動かし、「それなら……」と頷いた。機嫌が直ったらしい様子に、ホッとする。
「……見苦しいと思うか?」
ぼそりと呟いた言葉に、「え?」と首を傾げる。エセラインはバツが悪そうな顔をして、ゾランの手を握りしめた。
「自分でも、見苦しいと思うんだ。心が狭いって……。けど」
「そんなこと、全然思わないけど。なんというか……その、嫉妬されんのは、悪くないと言いますか……」
口に出すと、恥ずかしい言葉だ。嫉妬されて浮かれているなんて、独占欲を出されているようで嬉しいだなんて、恥ずかしくて堪らない。だが、エセラインのそういう態度は、自分を好きで居てくれるのだと実感できるし、正直悪い気はしないのだ。
「全く、ゾランは俺のこと心配なんかしないのに、俺ばっかり嫉妬してるな」
「そ、そんなことないけど?」
「そうか?」
疑わし気な目に、ゾランは「そうだよ」と唇を尖らせる。
「だって、エセライン、モテるじゃん? 俺は結構、気にしてるけど」
「ふうん?」
「あ、信じてないだろ」
「まあ、そう言うことにしておくか」
そう言う唇は、少し笑っている。他愛ないじゃれ合いをしながらクレイヨン出版社のあるビルの前へと、いつの間にか辿りついた。いつもよりもあっという間についてしまったような気がして、少しだけ物足りなさを感じる。
クレイヨン出版社の入っているビルは、煉瓦造りの古い雑居ビルで、一階が雑貨屋になっている。カシャロにはこういう低層のビルが軒を連ねていて、田舎から出て来たゾランは都会だなと感じる風景だった。オシャレなカフェや雑貨屋、石畳の道。カシャロは美しい街だと思う。
雑貨屋の夫人に挨拶をして階段を上がっていく。出版社の扉を開いて、ゾランは元気よく挨拶をした。
「おはようございます!」
「おはようございます」
二人の声に、扉の前にいたテオドレが振り返った。
「おう。相変わらず二人そろって出勤か」
「あれ。テオドレが早いの珍しいね」
テオドレは、クレイヨン出版社のライターの中では古株で、ゾランたちの先輩にあたる。勤務態度はあまり真面目ではなく、いつも飲みに使った領収書を紛れ込ませては、経理であり秘書のルカから文句を言われている不良社員だ。不真面目な男だが、社会面の真面目な記事を担当しており、仕事はかなり細やかだったりするのが、ゾランは少し意外だと思っている。
「まあな。ちょい、遠出するんでな」
「出張?」
「まあ、そんなとこだ」
雑談をしているところに、奥の部屋から封筒を抱えてルカがやって来る。
「テオドレ。ああ、ゾランにエセライン。おはようございます。テオドレ、これですね」
「お、おう。悪いな」
テオドレはルカから封筒を受け取り、曖昧に笑う。なんとなく、いつも目が合えばケンカをしているイメージしかない二人なので、テオドレの態度が少し違和感があった。ルカと目を合わせずにソワソワしている。
(ん? 何かあったのかな、この二人)
テオドレはそのまま、そそくさと逃げるように部屋を出ていく。ルカはその背を見てふんと鼻を鳴らした。
「あの人が居なくなると、急に静かになりますね。お二人とも、コーヒー飲みますよね? 淹れてきますね」
「あ、うん。ありがとう」
ルカの背を見送って、ゾランはエセラインと目を合わせると互いに肩を竦めた。