「春に刈られた毛をほぐして繊維をほぐしたら薄い毛の膜をつくるの。それを束ねてロープ上にしてね、その束をさらに組み合わせてくしで削りながら引き延ばしていくのよ。その作業を繰り返して、徐々に均一にしていくの」
「これがその状態ですか?」
「そうね。それから不純物を取り除いて、繊維をそろえて巻き上げていくの。ここまでが中間工程ね。ここで染色したものがトップ染めといわれるものよ」
「綺麗な色ですね……」
見せられたウールトップは、ふわふわで綿菓子のようだった。美しい白いウールトップと一緒に、鮮やかな緑に染められたウールトップを見せられる。
「この染料は最近開発されたものなの。とても発色が良くて綺麗だし、価格も安いから、これからのトレンドは緑になるでしょうね」
「なるほど」
ゾランは頷きながらメモにペンを滑らせた。
「ここからようやく、糸紬よ。前紡、精紡と撚りをかけて紡いでいくの。さらに加工を加えて双糸にして、染めたりしてようやくウールが完成よ」
「なるほど。勉強になります」
「ウールは髪の毛と同じでキューティクルに覆われているの。水分を含むと拡がるし、揉んだりすると絡み合って縮んでしまうから縮んでしまうことがあるのよ。でも吸湿性が高いから暖かいし、燃えにくかったりするわ」
愛想よく説明してくれた加工場の職員に礼を言い、ゾランは工場を後にした。
今日の取材はこれで終わりだ。午後は事務所に戻って記事を整理する予定である。
(エセラインも昼に終わる予定って言ってたけど……)
都合が合えば落ち合って、二人でランチデートをしようというのが、エセラインの提案だった。本当はそこまで余裕があるわけではなかったが、誘われてゾランは一も二もなく頷いた。エセラインとは以前、旅行記のデート特集でデートをしたことがあるが、プライベートでデートをしたことはまだない。つまり、今日が初デートだ。
(初デートか……。ちょっと、緊張するな)
ただランチを食べるだけの予定だというのに、妙に緊張してしまう。パン屋のガラス窓に映った自分の姿を見て、前髪を直してみたり、自分の姿がおかしくないか確認して、足早に広場へと向かった。
クレープの屋台がある広場は、昼時だからか人が多い。ランチ時の良い香りが店先から漂って、ゾランの腹を擽った。人ごみの中を視線をさ迷わせてエセラインの姿を探す。
「ゾラン」
呼び声に振り返ると、蕩けるような笑みを浮かべて、エセラインが駆け寄って来た。
「待ったか?」
「ううん。今丁度来たところ。お腹ペコペコ」
「はは。そうだな。近くに良い店があるんだ。そこに行こう」
「うん」
店内は混雑していた、どの席の人も同じ料理を食べているので、名物料理なのだろう。ゾランもお勧めされるままにたっぷりのマッシュポテトが添えられたチキンのソテーを注文する。バーベキューソースがかかったパリパリにグリルされたチキンと、クリーミーなマッシュポテトの相性が最高だ。
「んん~~~っ。これ、凄く合うね」
「下町の料理だけど、美味しいんだ。マッシュポテトのお陰で腹いっぱいになるから、ここに来る人はみんなこれを注文するんだ」
「濃い味付けのチキンと一緒に食べると、格別に美味しいっ。それに、すっごくクリーミー」
バターと生クリームをたっぷり使った、リッチなマッシュポテトだ。ゾランもシェパードパイを作る時にはこうしたマッシュポテトを作るが、ここまでクリーミーには仕上がらない。どんなコツがあるのだろうと、気になってじっくり味わう。舌の上でクリームを転がして堪能していると、エセラインが穏やかな表情で自分を見ているのに気がついて、急に恥ずかしくなって思わず顔を背けた。
「な、なんだよ」
「ん? 可愛いなと思って」
「っ! お、おいっ」
恥ずかしげもなく言うエセラインに、自分の方が恥ずかしくなる。ゾランは熱くなる頬を押さえてごまかす様にグラスに注がれた炭酸水を飲み干した。
「この後はまた取材か?」
「ううん。事務所に戻って、記事の整理をしようと思ってるけど」
「それなら、途中まで一緒に帰ろう。俺はそのまま二番街のほうへ行くんだが」
「う、うん」
なんとなく、デートの続きなのだと感じて、ゾランはしどろもどろに返事をした。
◆ ◆ ◆
「で、綺麗な糸になるんだって。一頭の羊が毛糸になるまでに、凄い工程がかかるみたい」
「面白いな。これがその毛糸?」
「うん。参考に少し貰って来たんだ。まあ、俺、編み物とかしないし、記事が書けたらどうしようって感じだけど……」
手の中には、鮮やかな色に染められた毛糸がある。セーターなどにどれほど糸が使われているのかゾランは知らないが、恐らくはこの三カセほどの糸では編めないのではないかと思う。
「ワルワラ夫人に上げて見たらどうだ? 彼女なら自分で使わなくとも、知り合いが多いだろう」
「あ、そうだね。そうする」
ゾランとエセラインの共通の話題は、食べ物やカシャロの街についてのことが多いが、結局は仕事の話が多かった。エセラインはゾランとは違う視点を持っているし、互いに違う紙面を担当しているので、話す内容は多岐に渡る。今日も毛糸が出来るまでを取材に行ったゾランの話を、エセラインは熱心に聞いてくれたし、ゾランもエセラインの冒険者の取材内容をよく聞いた。
(以前は冒険者の記事を書くのが花形だと思っていたけど、今はちょっと違うな)
一面を取ることこそが正義だと思っていたが、今ではもっと違う意識がゾランにはある。互いにライバル意識はもちろんあるが、エセラインがいい記事を書けばゾランも嬉しいし、一面だとか生活欄だとかそういうこと関係なく、同じ紙面を作る仲間だという意識が強くなった。それに、冒険者のことについては、エセラインの方が詳しいし向いているだろう。だが、ゾランが記事をかいたらきっと、違う視点になることも解っている。互いの良いところを伸ばしあって、記事を作ることが出来れば、その方が良いと思えるようになったのだ。
そういう、ポジティブな考え方が出来るようになったのは、ゾランが半人前を抜け出して、クレイヨン出版社の一員になれた証拠なのだろうと、最近は思う。
「あ、絵描いてる」
ゾランはふと、広場でキャンバスを拡げる男性に目をやった。男性はのんびりと視線を広場に向け、行きかう人の姿を切り取っているようだった。よくよく見れば、男性から少し離れた場所にも、同じようにキャンバスを拡げて絵を描く青年が居る。さらにその横に、スケッチブックを片手に真剣な表情で鉛筆を動かす女性の姿もあった。
「なんだか、絵を描いてる人が多いね?」
「ああ。この広場は前から絵描きが多かったが、それでも多い気がするな」
ゾランたちが興味深く絵を見守っていると、絵を描いていた男性が顔を上げてニコリと微笑んだ。
「やあ、どうも」
「こんにちは」
ゾランたちの会話を聞いていたのだろう。男性は絵を絵筆を動かしながら広場に居る他の絵描きの方へ視線を向ける。
「最近、絵を描く人が増えたようですねえ」
「そうみたいですね」
「絵の具が安くなったので、絵を描こうという人が増えたようです」
「そうだったんですか?」
男性の話によれば、緑の絵の具が安く買えるようになったらしい。それで、絵を描く人が増えたのではないかとのことだった。ゾランはその言葉に、(そういえば染料が安くなったって言ってたっけ。絵具にも関係があったんだ)と納得した。
「いずれにしても、若い人が絵の具を買えるようになったのは良いことです。私も昔は食い詰めながら描いていましたから。今は絵は趣味になってしまいましたがね」
そう語る男性の目は、どこか自分が手に出来なかったものを懐かしむような切なさが滲んでいた。