カシャロの中心街に、王立図書館は存在する。歴史のある由緒正しい建造物で、カシャロ市内でも古い建物の一つだ。石畳の続く庭園には、その荘厳な姿をスケッチする絵描きたちの姿も見受けられる。ゾランはそんな彼らを眺めながら、図書館の扉を潜り抜けた。
「こちらが入館証になります」
司書が発行してくれたのは、図書館の入館証である。発行手数料は600バレヌ。カシャロ市民またはカシャロで働いている人間ならば、誰でも発行してくれる。ゾランの場合は戸籍を実家のある村から移動させていないため、カシャロ市民ではないのだが、市内で働いているため準市民の扱いになる。
(うわあ……)
ゾランは図書館を眺め見て、感嘆の声を上げた。見渡す限り、本、本、本の山である。本棚がいくつも並び、壁一面がまた、本で埋め尽くされていた。本は陽の光に弱いため、図書館はやや薄暗い。明り取りの窓が上の方に着けられており、室内までは届かない造りだ。
ゾランは司書に、グラゾン地方の歴史があるあたりを訪ねた。今回の目的は、グラゾンのことを調べるためだ。地方の歴史が一まとめに置いてあるという区画を案内され、そちらの方へと向かう。図書館を利用する人の多くは、何かを調べる人が多いらしい。アカデミーの学生や、大学教授、研究者などの利用者が多いようだった。
(昔、うちの村にやってきた貸本屋は、絵本や物語が多かったけど……ここは、そういう本を借りに来る人は少ないみたいだな……)
流行の物語なども置いているようだが、利用者はそれほど多くないようだった。カシャロでは本よりも、演劇のほうが人気なのかもしれない。
(えーと……、グラゾンはラック地方に分類されるから……。これかな?)
ラック地方の歴史がまとまっているという本を取り出し、机に広げる。目次を辿り、グラゾンの歴史の項目を開く。
(――えーっと、古代、中世、近代とあるみたい)
古くは二万年以上前に人類が定住したとある。石器時代の遺跡がいくつか発見されており、土器を焼いた遺構などもみつかっているようだ。
(へえーっ。洞窟壁画も見つかってるんだ。行ってみたかったな)
石器時代は狩猟が主であり、農耕は行っていない。そののちに農耕が伝えられると、大規模な開拓がはじまり、巨石建造物文明が始まる。建造物の遺構のスケッチには、見覚えのある意匠がいくつかあった。ゾランがグラゾンの井戸でみた意匠によく似ている。
(あ、この辺りだな。井戸の遺構。思ったより、随分古かったんだ)
その後、中世になり、モールス王国が支配すると、貴族の保養地として発展する。バレヌ王国に国が変わってからも、長い間その役割を担って来たようだ。だが、その繫栄が近代に入り陰りを見せる。長い間、地元で奇病として伝わっていた風土病の大流行。謎の病気のせいで、保養に来た王族が罹患し亡くなっている。そこからグラゾンは保養地としての役割を放棄され、見捨てられた土地になった。
(グラゾン熱の原因を特定したのは、マレク・スク医師であり――スク! ヴェリテ・スクの家系の人かな? スク家の人だったんだ)
スク家は、グラゾンに根差し長い時間をかけて、病気の特定と根絶に尽力している。その過程で、スク家からも多くの犠牲者が出ていた。文字を辿りながら、ゾランはヴェリテのことを思い出す。一度しか会ったことのない青年だったが、穏やかで、どこか芯の強さを感じるひとだった。
グラゾン熱の話は、ヴェリテ・スクによる根絶宣言で幕を閉じていた。
「はぁ……」
吐息を吐き出し、ゾランは一度天井を仰いだ。なんとなく、長い歴史に触れて、身体が火照ったような感覚になる。あの、厳しくも美しい土地を思い出すと、その思いが一層強くなった。
(あ……。スク家の系図だ……)
土地の有力者として、スク家の系図が付録として掲載されていた。古くは初代バレヌ王に仕えた官人であり、グラゾンの管理を任されてからも医者や政治家、学者などを多く輩出している。項目を斜め読みしたゾランは、ある一点を見た時に視線を止めた。
(――家系魔法『ボックス』)
その一文に、ドキリと心臓が跳ねる。
ゾランの中に、封印状態で休眠している魔法。ヴェリテ・スクから渡された、『約束』。
(珍しいとは聞いていたけど……家系魔法、だったのか……)
ただの魔法ではない。その事実に、ゾランは少しだけ違和感を抱いたのだった。