「事務所には寄らないの?」
「ああ。今日は直接冒険者ギルドに行くことになっている」
エセラインのアパートを出て、並んで歩き出す。てっきり、クレイヨン出版社まで一緒に出勤できると思っていたのだが、どうやら今日のスケジュールでは事務所の方へ立ち寄らないらしい。冒険者の朝は早いので、こういうことは間々あった。
(ちょっと、残念)
ダイナーから出勤するのも、エセラインのアパートから出勤するのも、傍から見たら同じなのだが、なんとなく残念な気持ちになる。もしかしたら自分は浮かれているのかも知れないと、ゾランは気持ちを引き締めた。
「そっか。じゃあ、ここまでか。カシャロの外に出るの?」
「ああ。と言っても、近くの村に行くだけみたいだ。日帰りの予定だな」
「気を付けてね」
「ああ。ゾランも」
立ち止まり、なんとなく二人とも無言で見つめる。エセラインが繋いでいた手を引いて引き寄せ、額にキスを落とした。
「それじゃ」
「っ、うん」
エセラインの立ち去る姿を、ゾランは長い時間見つめていた。それを、横から揶揄うような声がする。
「ヒュー。朝から熱いねえ」
「っ! マルコ!」
いつから居たのか、トサカのようなモヒカン頭の男が、ニヤニヤと笑っている。アムステー出版のライター、マルコだ。
「いつから居たんだよ……」
「まあまあ。良いじゃねえか。それにしても、エセラインのことをライバル視してたっていうのに、随分な心変わりだな?」
「うるさいなあ」
マルコに指摘され、バツが悪い気分になって顔を背ける。マルコにはエセラインに対抗意識を持っていたころの自分を知られているし、なんとなく気恥ずかしい。それほど仲が良いわけではないが、何かと縁がある。腐れ縁の一種だろうか。
「最初の印象が悪い分、印象が悪くなりようがないってヤツかい? いやあ、青春だねえ。甘酸っぱい」
「茶化すなよ!」
「ハッハッハ。どうせクレイヨン出版社内でも揶揄われてんだろ」
「本当に、黙ってくんない?」」
苛立ちを見せるゾランに、マルコは急に真面目な顔をした。その様子に、ゾランは眉を上げる。
「なに?」
「いやな。お前、次の旅行記は決めたのか?」
「なんだよ、敵情視察?」
「まあ、そんな所だな」
「……まあ、決めてないよ。特には」
エセラインとも相談したが、イマイチアイディアが浮かんでいない。近郊が良いんじゃないかという話と、東の方に行くのはどうかという話をしただけだ。
「そうか。ならな、東はやめておけ」
「え?」
ちょうど東にしようかという話が出ていたので、その言葉に驚いてマルコを見た。マルコは真剣な顔をしていて、ふざけているようでも、ゾランを嵌めようと思っているわけでもないようだ。一度マルコには嵌められたことがあるが、あれ以来、冗談は言うが詐欺をされたことはない。命の危機があったことは、マルコなりに反省していたようだ。
「なんで?」
「なに。ちょっとしたきな臭い話さ。どうやら紛争が起きてるようでな。巻き込まれるのは本意じゃねえだろ? そういう仕事は、『鉄剣』の仕事だろ?」
『鉄剣』というのは、テオドレのことだろう。テオドレは冒険者時代、『鉄剣戦士団』というパーティーにいたらしい。クレイヨン出版社の中で、テオドレは社会面を担当している。紛争はテオドレの担当だ。
「紛争……。結構、酷いの?」
「さあな」
マルコは大仰に肩を竦めた。知っていても、ゾランに教える気はないということだろう。情報はお互いに飯のタネだ。
「ふうん。まあ、そっか。東はあまり旅行記向きじゃなさそうだね」
「おう。情報量は、ビール一杯で良いぞ」
「悪いけど、他の男と飲むと彼氏がうるさいんだよね」
「カーッ、惚気やがって」
ゾランはクスクスと笑って、情報量代わりにポケットからコインを一枚投げて渡した。マルコは眉を寄せたが、ため息を吐いてポケットにコインをしまった。
(しかし、そうか……。東はナシか。うーん。どうしようかなあ……)
企画を練り直すことになりそうだ。ゾランはハァとため息を吐いて、クレイヨン出版社の方へと足を向けた。