カシャロ市内の画材店は、庶民が手に届く品を扱う画材店から、高級画材ばかりを扱う画材店まで、幅広く揃っている。普段は安いスケッチブックや鉛筆を扱う店に行くゾランだったが、今日はスケッチ旅行の為と、少しだけ良い品を買いに行くことにした。普段使いするなら少々贅沢な品だが、特別な絵の具やスケッチブックを使うのは気分が上がるし、宝物のような気持ちになる。
「この店、前から気になってたんだ」
「かなり画材が豊富だな。俺は絵は描かないから詳しくないが、筆だけでも数百本……いや、千本以上ありそうだ」
エセラインも画材の豊富さに驚いて、感嘆のため息を吐いている。ゾランは金の装飾のついた豪華なスケッチブックや、高級紙を使ったスケッチブックなど、見ているだけで楽しい品を眺めてはため息を吐く。
「これ、持ってるだけでも楽しくなりそう。良い画材を使えば、上手くなるような気がするよね」
「実際、そうだろう? プロが良いものを使うのは、結局それが良いもので、仕事の出来に関わるからだ」
「まあ、それはそうなんだけど」
エセラインの感想に、情緒がないな、とゾランは笑った。絵を見ることは好きなようだが、描くことは本当にからきしらしい。
「でも、エセラインは器用だし、すぐに上手くなりそう」
「そんなものかな。絵の上手い自分なんて、想像出来ないけど」
「ある程度は理論だから……。俺は生まれた村に、画家を目指していたおじさんが居てね。その人に、ちょっと教えてもらったよ」
「そうなのか」
「まあでも、何と言っても、数を描くことだけど。触れて、慣れていないと、やっぱり上手くならないから。文章だって、そうでしょ?」
「確かに。入社直後に書いた記事と、今とじゃ、全然違うな」
ゾランは笑って、「そう言えば」と顔を上げた。
「ん?」
「俺、エセラインより半年、入社が遅いから、エセラインの最初の記事って、読んだことないな」
「……別に、読まなくて良いぞ」
「ええーっ? それはズルくない? エセラインは、俺の記事を読んでるわけでしょ? 良いよ、あとでバックナンバー確認するから」
「……くそ。こんなに恥ずかしいもんなのか……」
「くくっ、珍しい顔」
気恥ずかしいのか、口元を押さえて赤い顔をするエセラインに、ゾランはクスクスと笑った。笑ったのが気に入らないのか、エセラインが肘で突いてくる。じゃれ合っている二人に、店の店員がコホンと咳払いして、二人は赤面して唇を結んだ。
「ス、スケッチブック、選んじゃおう」
「あ、ああ」
店員が見ていると思うと、恥ずかしい。早いところスケッチブックを選んでしまおうと、店内の商品を物色する。豪華な装丁のスケッチブックには心惹かれたが、これを扱うほど絵が上手いわけじゃない。自己満足ではなく、身の丈にあった商品にしようと、質の良い紙の質素なスケッチブックを選んだ。エセラインの方は絵の経験がない分、奮い立たせるために少しだけ装飾のあるスケッチブックにしたようだ。
その他にも、携帯できる筆や固形絵の具を購入し、店を出た。と、そこに見知った声が掛けられる。
「ゾラン、エセライン!」
「アロイス」
通りの向こうから、大きな鞄を抱えてやって来たのは、ダイナーの店員であるアロイスだった。
「こんなところで会うなんて! あ、もしかして、ゾランたちも絵の具を買ったの?」
「うん。昨今のブームに乗ってみようと思ってね」
「そうなんだ! 今度一緒にスケッチしよう!」
人懐こい笑顔でそう言うアロイスに、ゾランは頷いて店の方へ視線をやった。
「もしかして、この店、よく使うの?」
アロイスの給与ではやや背伸びした店だが、夢のための投資は惜しまないということだろう。絵描きというのも、なかなか大変なものだ。
「うん。一応画材を補充しようと思ってね。ホラ……例の! 今日からなんだ!」
「ああ!」
先日言っていた、貴族から声が掛ったという話は、どうやら今日からだったらしい。不足がないように、買い足してから行こうということだ。
「そっか。頑張って!」
「ありがとう!」
手に持っていた大きな鞄には、どうやらキャンバスが入っているらしい。鞄を抱えなおして店に入るアロイスを見送る。
「例のって?」
「ああ――。アロイス、良い仕事を貰えたみたい」
「へえ。やるじゃん」
アロイスに声をかけた貴族が、今後も彼を使うかは分からない。だが、チャンスを手に入れた友人を応援したいと、ゾランはそっとエールを送った。