トントン。
「ふぅ~。こんなところかな」
俺は次回のライの授業内容を書いた紙をまとめ、大きく息を吐いた。集中していたからか、もうすっかり夜が更けてしまったな。
ゆらゆらと室内を照らすロウソクも、いつの間にか大分短くなっていた。「カイト様はお偉い旅の学者様なので存じ上げないのかもしれませんが、夜に使うロウソク代もただではないのですよ」と使用人の方々に呆れ交じりに言われたのを思い出し、また怒られてしまうなと苦笑する。
『ふ、ふわぁ~。お疲れさまでした』
「待っていてくれたのか。先に眠ってしまっても良かったのに」
『仮にもご主人様がお仕事しているのに、先に眠るのもどうかと思いまして』
大きな欠伸をしながら、愛用の止まり木に留まってヒヨリは眠そうに目を擦り片手を挙げる。
『まったく開斗様ったら凝り性さんですね。ユーノさんが出発してから毎日こんなに遅くまで』
「そのユーノに頼まれたからな。それに……
今日でユーノが村から出立して三日目になる。
村の人達には、ユーノは貴族の娘として留学に行ったという説明がバイマンさんから行われた。
しかし当然あの場に居た村人にはそんな建前は通じない。聖都の一団の第一印象がアレだったので、そんな所に行って大丈夫なのかという声まで上がった。これだけでもユーノが村人からどれだけ慕われていたか分かる。
だがバイマンさんの再三の説得によりどうにか納得し、今ではある程度は村の日常も穏やかさを取り戻していた。問題なのは、
『そうですねぇ。今のライ君にはその方が良いかもしれませんね。なんせこの前は大変でしたし』
ヒヨリのその言葉に、俺はユーノが出立した日の夜中の事を思い出す。
◇◆◇◆◇◆
キイィっ!
皆が寝静まった真夜中、屋敷の入口が小さな音を立てて開き、中から人影が姿を現す。
人影はきょろきょろ周囲を見渡し、何かを決心したかのように外へ向かい、
「こんな夜更けに散歩かい? あまり感心はしないな」
そう呼びかけられる声に、人影はビクッと身を竦ませて振り向く。そう。
「……先生」
『それとヒヨリさんも居ますよ~!』
屋敷を一人抜け出そうとするライと、それを引き留める俺とヒヨリの構図だった。
ライはすっかり旅支度を整えていた。肩から色々詰め込まれた鞄を背負い、腰にはすっかり愛用となった木剣と、以前ホブゴブリンとの戦いで使っていた鉄剣の二振りが下げられていた。どうやらあの後自分用に貰い受けたらしい。
「予想が当たったか。ユーノを追うつもりだな?」
「止めないでくれよ先生。……分かってはいるんだ。今から追いかけても間に合わないし、関所どころか森を抜けるだけでも難しいって。でも、でもさ。じっとしていられないんだよ。だから」
「
俺を振り切っていこうとするライに対し、今一番効くであろう言葉を投げかける。
「ユーノと約束したんじゃないのか? 次に会う時にはしょげた顔は止めていつもみたいに笑ってと。今のライはとてもそんな様子には見えないぞ」
『そうですねぇ。言っては悪いですが、今のライ君が会っても寧ろ追い返されるんじゃないです? そんな兄さんなんて嫌いっ! 顔も見たくないわ……なんて』
「…………そうか」
おや。ヒヨリがからかう様な物言いに、ライが割と真面目に反応したか。これにはヒヨリも少し慌ててフォローに入るが、ますますライの表情は暗くなっていく。……仕方ないか。
「ライ。俺達が何故今日この時間にここで待っていたか分かるか? 頼まれたからだよ。バイマンさんに」
「……父さんに?」
「ああ。ライなら多分今日か明日にでもこっそりユーノの後を追いかけるだろうから、もしそうなった時の為にここで見張っておいてくれと。ちなみに明日はバイマンさん自身で見張ると言っていた」
こうして見事予想が的中したのは流石親と言うべきか。俺は驚いているライに近寄り、少し目線を下げてゆっくりと話しかける。
「ライ。オレもバイマンさんも、ユーノを追いかけようとする君を止めようって訳じゃない。ただそれには色々と準備が要るってだけなんだ」
「準備?」
「ああ。聖都までの通行証や、バイマンさん自身が村を離れられるよう村長の仕事の調整。森を抜ける為の準備だって必要だ。だけどどれも今日や明日ですぐに出来る事じゃない。それにライ自身も準備が整っているとは言えない筈だ」
ヒヨリに言われたばかりの事を思い出したか、ウグッと言葉に詰まるライ。今しか説得する機会はないと、一気に俺は言葉を並べ立てる。
「何日掛かるか分からないが、準備が出来たら必ず話すし、連れて行ってほしいとバイマンさんに掛け合っても良い。だから今はまだ待ってほしい。無理に一人で後を追おうなんて思わず、ユーノに胸を張って会えるように準備をしてくれ。頼むっ!」
◇◆◇◆◇◆
『という涙混じりの開斗様の懇願で、どうにかライ君は思い止まってくれたんでしたよね!』
「涙混じりではなかった気がするけど……そんな事もあったな」
俺はそう返しながら、少し疲れた身体でベッドに腰掛ける。
あれから今日まで、ひとまずライは一人で追いかけようとはしなくなった。
しかし授業の時も訓練の時も、どこか以前より物事を修めるのに貪欲になったというか、自分に足りないものを必死に探しているというか。良く言えば向上心の高まり。悪く言えば気負い過ぎという具合だ。それにはバイマンさんや屋敷の使用人達も心配していた。
ただ今のライは、目の前の物事に集中しているからこそここに留まっているような感もあり、やるべき事が無くなったら今度こそ一人でユーノを追いかけて行きかねない危うさもある。
『そういえば、バイマン様の方の経過は如何なものでしたっけ?』
「ああ。予定ではもう二、三日で返事が来るらしい。それまでライが我慢してくれると良いんだが」
ユーノが出立したその日、早速バイマンさんは王都まで書状を出した。現状の報告や、オーランドさんが持っていた王族の署名入りの書状について。急ぎ聖都までの通行証も準備するようにとも送っているので、それが着き次第日程の設定をしてユーノを追いかけるという話だ。
しかしそんな諸々の案件がすんなり通るのかと、一度バイマンさんに尋ねてみた。すると「問題はない。王族にはこちらも少し伝手がある。多少の便宜ぐらいなら図ってくれるだろう」と少しだけ悪い顔をして返された。
『王族と伝手があるって……バイマン様本当にただの男爵です?』とヒヨリが訝しんだが、まあその辺りは色々あるんだろう。能力と地位は必ずしも比例しないという一例だな。
『まあ何はともあれ、上手い事ユーノさんを追いかけられそうで何よりです。なんせワタクシとしても開斗様としても、ユーノさんを見守るのは最優先事項ですので』
「俺としてはあの時、
俺はライの事も気にかけているが、ヒヨリの第一優先はあくまで勇者だ。ならここに留まらずに、一体でさっさと行くという手もあるにはあるのだが、
『あはは……まあそれが出来れば良かったんですけどね。この世界用に準備したこのボディにも色々と制限があるんですよぉ。あんまり長い時間や距離を開斗様から離れられないとかね』
成程。そう言えばそんな事も以前言っていたな。だからこそわざわざ異世界に、俺という一般人を送り込まなければならなかった訳で。流石に隣国となるとその制限に引っかかるらしい。
「そうだったな。……じゃあ今日はそろそろ寝るとしようか。待たせてすまないな」
『いえいえ。ワタクシが勝手に待っていただけですので。ただ開斗様もあまり根を詰めすぎて周りを心配させませんように。さもないと……ワタクシの珠のお肌がしおしおになっちゃいますから』
どこかおどけながらもこちらの事を気遣ってくれる相方に、いつもごめんなと両手を合わせて謝りながら、俺はゆっくりとベッドに入る。
さあ。いずれユーノを追いかける前に、出来る限りライの調子を心も身体も整えないとな。明日も忙しいぞ。
ビーっ! ビーっ!
「何だっ!?」
それは、またしても日常を壊す警告音。
眠りに就こうとしていたところを飛び起き、俺は慌てて展開した予言板に目を通す。そこには命の危険を示す赤文字で、
“七日後。聖国聖都にて、
これまでで最大の死亡ルートがやってこようとしていた。