さて。事前にもう一度確認しておくが、俺は別に戦士でも何でもない、多少柔道と剣道を齧っただけの一般人だ。
そんな俺が、突然飛んでくる殺意の乗った刃物に対して丸腰で出来る事など限られている。つまり、
「危ないっヒヨリ!?」
『開斗様っ!?』
俺は咄嗟にヒヨリを抱え、地面に倒れこむように身を伏せた。その上を黒刃が通り過ぎていくのを見て冷や汗をかきながら、そのまま転がるように近くの景観維持用に植えられた木の陰に隠れる。
閃光が収まり、周囲はまた暗闇と静寂を取り戻している。空には雲が出ていて光明は期待できない。
「ヒヨリ。大丈夫か?」
『ワタクシは大丈夫です。ありがとうございます開斗様』
「礼はこれを乗り切ってから。……使者が来たにしては物騒だな」
今の黒刃。あれは躱さなければ俺とヒヨリの両方に直撃コースだった。威嚇目的ではなく殺意の乗ったそれだ。様子を見に来ただけの使者がそんな事をするだろうか?
『流石にそんな訳ないでしょうね。となるとこれは……別件?』
「さてね。偶々やってきた強盗か、それとも対外的には珍しいモンスター扱いのヒヨリが狙いかは分からない。だが」
ビーっ! ビーっ!
“十秒後。頭上より襲撃あり。開斗及びヒヨリに重傷の恐れ”。
“
「今は逃げた方が良さそうだな。……走るぞっ!」
再び警告音と共に現れ、暗闇の中で仄かに光る予言板の黄色の文字列。それが連続した内容をサッと流し読みし、俺はタイミングを合わせてヒヨリを抱えて草陰から飛び出した。
その一瞬後、俺達が隠れていた場所に何者かが上から強烈な蹴撃を浴びせてきた。その瞬間、雲が僅かに晴れて星明かりにより襲撃者の姿が露わになる。
そいつは全身を黒いローブとフードで覆い、ご丁寧に両手も黒いグローブのような物を着けていて性別も体型も分からなかった。強いて言うなら少し小柄という所だろうか。
しかし今の動きだけでも、相当体術に熟達しているのは分かる。その上、
「…………シッ!」
「このっ!?」
小さな呼気と共に、一気にこちらへ間合いを詰めて振るわれる手には、先ほど飛んできたのと同じ黒い刃が握られていた。それがヒヨリめがけて伸びるが、狙われているのは分かっていたので咄嗟に片手で払いのける。
スパっ!
俺の片手に鋭い痛みが走り、服の上から浅い切り傷が出来る。だが幸いヒヨリには切り傷一つなく、そのまま相手の腕の部分を掴み、
「はああっ!」
ダンっ!
片手で相手の腕を巻き込み、足払いと合わせて相手を地面に引き倒す。勿論相手もただではやられず、すぐに俺を払いのけながら跳ね起きるが、
『目を閉じて開斗様っ! もう一回ヒヨちゃんフラッシュっ!』
カッ!
「……っ!?」
「今だっ! しっかり掴まっていろっ!」
今度は至近距離でヒヨリの閃光が放たれ、一瞬対応が遅れて目が眩んでいる襲撃者を置いて俺は一目散に駆け出した。
目指すは宿の本棟。こうして闇に紛れて襲ってきたという事は、他の人に知られたくないという事。宿には護衛の兵士達もいる。つまりはそこに入るだけで行動を抑制できるし、助けを求める事も出来る訳だ。
またヒヨリはそこまで速く飛べる訳ではない。普通に飛んで逃げても格好の的だ。なら俺が抱えて逃げた方がまだマシか。
ザッザッザッ!
走る中、すぐに後ろから謎の黒フードが追ってくる気配がある。そう簡単には諦めてくれないか。
ビーっ! ビーっ!
ヒュンヒュンっ!
そこからはもうギリギリの戦いだった。
警告音は常時鳴り響き、その度に直感で飛んでくる刃を回避していく。走りながら内容を読み取る余裕はないが、攻撃のタイミングだけでも分かるのはとても助かった。
しかし、それも長くは続かなかった。
ドクンっ!
「ぐっ!?」
『開斗様っ!? 腕がっ!?』
急にさっき斬られた方の腕の力が抜け、ヒヨリを取り落としそうになって慌ててもう片方の腕で抱えなおす。
ヒヨリの悲鳴に近い声に腕を見ると、傷の部分が濃い紫色に変色していた。どう見ても毒だ。どうやらあの刃に毒が塗られていたらしい。
気づいた瞬間押し寄せる吐き気と眩暈。そして頭痛と乱れた心臓の鼓動に体がふらつく。毒なんて普通に生活していたら受ける機会なんてないが、まるで酷い風邪にでもなったみたいだ。
それでも必死に走り続けるが、普通に走れば一分程度の本棟までの距離が今はあまりにも遠い。
スパっ!
「うわっ!?」
今度は足に鋭い痛みが走ったと感じた時には、俺は走りながらその場に転がっていた。見ると足も腕と同じく変色している。
呼吸も荒く、少しずつ目も霞んでいく。どうにか這って宿まで行こうとするが、そこに足音が追い付いてきた。
『開斗様しっかりっ!? ちょっとそこの方っ! どちら様かは存じませんが、それ以上近づいたらワタクシがただじゃ……ふぎゃっ!?』
飛び上がって俺の前に立ち塞がるヒヨリが、小さな悲鳴を上げてその身体を襲撃者に掴まれる。
「構わない。元より
『なっ!? 狙いはワタクシっ!? あぐっ!?』
その襲撃者の淡々とした声は女性の……それもおそらく少女のものだった。ヒヨリが驚きの声を上げる中、ギリギリと掴まれる手の力が強くなって苦しそうに悶える。
「やめろっ!? がっ!?」
俺は必死に立ち上がって止めようとするが、ふらふらの身体で伸ばした手はひらりと避けられ、痛烈な蹴りで反撃されてゴロゴロと転がる。
「お前はそこで寝ていて。……
襲撃者は淡々とした中に隠しきれない憎悪を滲ませ、もう片方の手に黒刃を持ってヒヨリへと突きつける。
「や、やめ……ろ」
声を振り絞るがそんな事で止まる筈もなく、刃はそのままヒヨリの白い肌に突き立てられ……、
『おっと。そこらへんにしときな』
……突き立てられる直前、そう誰かの声が響いた。いや、声だけではない。
ズンっ!
「かはっ!? ……これ、は?」
つい先ほどヒヨリの本体が放った圧。それに近いがどこか違う圧が、俺達と襲撃者にまとめて放たれたのだ。ヒヨリのそれに比べてやや弱めなものの、体調最悪の所にそんな圧をかけられて少しずつ意識が遠のいていく。
「お前は……何故こんな所に」
『言っとくがこれでも善意で言ってんだぜぇ? お前さんも
そう話しながら歩いてくる誰かの姿はよく見えない。しかし、そのまま更に何か二言三言話したかと思うと、襲撃者はそのまま闇夜に紛れるように姿を消した。そして、
『さて。わざわざ妙な反応を出してこの
(だめだ。意識が……)
そんなとんでもない発言を最後に、俺の意識はそこで闇に呑まれた。