それは、皆が寝静まった真夜中頃。
パタパタ。シュタっ!
『ふぅ~。お待たせいたしました開斗様。いやぁ最初はこんな所嫌だと泣き叫んでいたんですが、意外や意外。そこそこ出される食事は美味しいしクッションもふかふか。お隣さん達も話せば分かる御仁でして、割と快適だったのでついこんな遅くまで』
「はいはい。分かったから静かに。……行くぞ」
音もなく開けておいた窓に降り立ったかと思うと、夜の静寂をぶち壊さんばかりに喋りまくるヒヨリを制止し、俺達は当初の予定通りそっと部屋を抜けだした。
向かったのは事前に目星をつけておいた宿の敷地の片隅。建物の入口やモンスター用のスペースから大分離れ、それでいて物置等になっていない。つまり人の目に触れづらい小さなデッドスペース。後ろ暗い事を話すには絶好の場所だ。
「最終確認だが本当に出来るのか? ここに
そう。これから行おうとしているのはかなりの荒業。ヒヨリがここで一瞬だけ本体を顕現させ、聖都に居る神族に察知させる事で呼び寄せようというものだ。
本来なら公式な手続きを踏んで面会に臨む予定だったが、既に聖都中を巻き込む大事になりかけている以上時間をかけてはいられない。ライ達には申し訳ないが少し巻きで行かせてもらう。
また、最初はそんなに
『まあ以前にも言ったように、ワタクシの事はすぐに分かるでしょうけど直接やってくる可能性はかなり低いですね。なにせ神族とか一定以上の力を持った方っていうのは、大半がプライドが高くて自分ルールで生きている困ったさんですから。わざわざ自分で出向くようなフットワークの軽い方はあんまりいません。多分最初は子飼いの誰かに様子を見に来させるでしょう』
事前に聞いていた答えだが、再度聞いて頭の中で道筋を組み立てる。
直接神族がやってくる可能性は低い。なら次の一手は、様子を見に来た使者に訳を話して神族に取り次いでもらう事。
そのまま着いて行って直接神族との交渉に臨むのが最短ルート。次点でいったん使者に交渉内容を伝えて帰ってもらい、明日か明後日にでも正式な会談の場を設けてもらう事。
懸念点として、いかに同じような種族とはいえヒヨリの行動に神族が気を悪くする可能性だが、
『な~に。元より数日後に勇者をどうにかしようって考えている相手です。好感度が高い筈もありません。なら今更嫌われるリスクよりも、懐に飛び込んで何故こうなったのか知るメリットを取りましょうよ』
というヒヨリの案にも一理あり、こうして神族呼び寄せ作戦を決行する事になった。
一応最低限の保険に、ジュリアさんに訳を話して最悪俺を政治的に切り捨てる算段も付いているが、出来ればそうならない事を祈ろう。
『さてと。じゃあそろそろ始めますか! ……あ~開斗様。ワタクシが顕現している間くれぐれも』
「分かってる。直接見たらいけないんだろう? その間は後ろを向いているよ」
俺はそう言ってくるりとヒヨリに背を向けた。
前に姿を見たバイマンさんが、半分茫然自失状態になるほどに本体には相当な圧があるらしい。今回は神族に分かるよう結界を弱めにするため、近くにいる俺にも影響が出る。ただ直視さえしなければ一応耐えられる範囲内ではあるらしい。
あのバイマンさんがふらつくレベルだと俺では即意識が飛びかねない。ならばここは素直に見ない方が良いだろう。
『ありがとうございます。それでは……行きますよ!』
その声とともに背中の方から閃光が走り、
ズンッ!?
俺の背中を強烈な圧が襲った。
(動けないっ!? 振り返る事すらできないっ!?)
決してそれは物理的な圧じゃない。だがもし本当に重量として背中にのしかかったとすれば、俺は一瞬でぺちゃんこになっているのは間違いない凄まじい圧。
しかもこれは俺に対しての物じゃない。そこに居るだけで周囲に生じる無意識の圧に過ぎない。
遠くで動物の慌ただしく吠える声が聞こえてくる。ここからかなり離れているのに、それでも気配に敏感な者は気づいたのだろう。
そのまま何秒経っただろう? 数秒か、或いは数十秒。もしかしたら俺が気づいていないだけで何時間も経っているのかもしれない。
そう思わせるような強烈な圧の中で、
『……は~い。もう良いですよ』
そうのほほんとした声と再びの閃光があったかと思うと、背中越しの圧が消え去りそのまま俺はその場に崩れ落ちた。
「……はぁ……はぁ……はぁ」
どうやらまともに呼吸が出来ていなかったらしい。圧から解放されて、汗を噴き出しながら俺は息も絶え絶えに呼吸を整える。
『大丈夫ですかっ!? もう少し結界を強めに張っておけば良かったですかね?』
「……はぁ……いや、これで良い。これなら確実に相手にヒヨリの事が伝わっただろう」
背中を優しく擦られながら、俺はゆっくり立ち上がって振り向く。するとそこには、先ほどの圧を微塵も感じさせないいつものヒヨリが、パタパタとどこか申し訳なさそうな顔で飛んでいた。
ああ。確かに目の前のこの白い獣は、人知を超えた上位存在なのだろう。それはこの一瞬でよく分かった。だが、
『あうちっ!? 何をするんですっ!?』
あまりそのままだと互いに良くないので、軽く指でぺしっとヒヨリの額を叩いてやる。慌てて額を抑えながら涙目になるヒヨリに対し、
「そんな顔をするなよ。ヒヨリらしくないぞ。ここまでは最初から想定内。耐えられなかったのは単に俺の体力のなさが原因だ。だからもっといつもみたいに飄々と笑っているくらいが丁度良いんだよ」
『……そうですね。確かにこういうのはワタクシらしくありませんでした! ……では開斗様。このプリティでもちもちなワタクシを引っ叩いた罰として、暇が出来たら聖都のスイーツ巡りにでも付き合ってくださいな!』
「ハハッ! 良いとも。全部片が付いたら、バイマンさんから給金を貰ってそれで奢ってやるよ」
『言いましたね? 約束ですよ! フフフっ!」
そんな軽口を叩き合い笑い合う、もうすぐ神族からの使者が来るにしては和やかな時間の中で、
ビーっ! ビーっ!
突然の警告音と共に、予言板が勝手に俺の前に展開された。
“
「……っ!? ヒヨリっ!? 周囲に閃光っ!」
『ヒヨリさんフラッシュっ!』
予言板に記された
ヒュンヒュンっ!
本来なら闇夜に紛れて俺達を貫く筈だったそれ。何本もの黒塗りされた刃がこちらへと迫っていた。