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三十七 妖界の魔除け

妖界軍の行動が素早く、青渚たち三人が丘に降りる前に撤収した。

「なんてことだ……」

青渚は修良の後姿と妖界軍を消えた方向を見つめて嘆いた。

「修良で幸一を交換することになった……まずいですね、これは」

景媛のいつもの笑顔も歪んだ。

「わたしたちはなんの役にも立たなかった、宗主にどう説明すれば……」

高乗は悔しそうに拳を握り締めたら、隣の青渚の呟きが聞こえた。

「なんで俺たちは修良に対応しなければならないんだ……!」

「心配したのはそこ!?」

「『そこ』じゃないんだ!俺たちの目の前で幸一が妖怪に連れ去られたぞ!修良は俺たちに八つ当たりをしたらどうするんだ!!」

思わず恐れを口に出した青渚に、修良の涼しい声が届いた。

「今回は、完全に私の失算だった。幸一は私が連れ戻す。それと、玄天派はこの件にもう構わないでほしいと宗主に伝えてくれ」

「そんな面倒なことは自分で伝えてくれないか!」

青渚の抗議声の中で、修良は一陣の灰色風と共に姿が消えた。


*********


妖界に到着したら、珊瑚は幸一を妖界城の奥にある「動力部」といところに連れた。

動力部は妖界の霊気を集め、妖界全体の平衡を調和することろ。

そして、霊気の観測や分析、もっと多くの霊気を生み出させるための研究もここでやってている。

動力部は球体型の大きな穴の中にある。

一本の大樹の幹のような柱は天地を貫通し、穴の中心に立っている。

柱の形は木に似ているが、色は真っ黒で、材質は完全に石。

幹の底からいくつか太い樹の根が広がる。根の先が辿りついた壁に、数枚の扉が嵌っている。

周りに、仕事をしている妖怪の役人がちょこちょこいる。

珊瑚から動力部の紹介を聞いた幸一は首を傾げる。

「人質の俺をこんな重要なところに連れていいのか?」

「幸一を普通の牢屋に入れても、修良さんはすぐそこを突破するだろう。ここは妖界の一番守備の固いところ。仙道が総力をあげても侵入できない」

「なるほど……確かに、先輩を阻止するなら、一番守備の固いところがいいな」

あさりとその理屈を飲み込んだ幸一を見て、珊瑚は思わず笑った。

「幸一は自分の立場が分かって言っているの?」

「いや、立場もなにも、事実だから……」

二人が話している途中、壁にあるの一枚の扉が開かれた。

その中から古兀ここつ老人が出た。

「ようこそ、人間の子よ」

古兀はにこやかに幸一に歩んできた。

「わしはここの役人じゃ。しばらくおぬしはわしのところに預かる。いいかのう?」

「俺は問題ないです」

幸一は珊瑚のほうを見た。

「ほほほ、本当にいい子じゃ。この子の案内をわしに任せてもいいじゃろな、若将軍」

古兀も珊瑚に視線を送った。

「……ああ、そうしよう」

珊瑚の表情が少々複雑になったが、小さくうなずいた。

「珊瑚、どうした?どこか具合が悪い?」

幸一は珊瑚の小さな変化に気付いた。

「別に、修良さんの対応を考えると頭が痛くなっただけだ」

珊瑚は苦笑で誤魔化した。


古兀は幸一を扉の中に案内した。

そこに別天地があった。

百人も余裕に入る大きな洞窟。天井が球体の形になっていて、広い床に何本の木の根が敷いてる。

石板や水晶、大釜、火炉など、法術関連のものがたくさん置かれて、壁際に立っていくつかの「棺桶」が立っている。

一番目立つものは、洞窟の真ん中にあるひょうたん形の大型煉丹炉れんたんろ(*1)。

*1 煉丹炉:火炎で素材を溶かし、錬金する道具。

「わしはまだ仕事がある。悪いが、しばらくご自由にくつろいでおくれ」

「あの、隣で見学してもいいですか?お爺さんの邪魔をしません!」

幸一はこの妖怪の職場にかなり興味があり、目を輝いて古兀の仕事を期待している。

「ええ、構わない」

古兀はとある演壇のような石卓に向かって、その上に立っている長方形の石板に触れた。すると、床の木の根から細い枝が生え、棺桶のほうに伸ばす。

一つの棺桶の蓋が開いた。

その中に、たくましい半人半狼の兵士が眠っている。

「これは……!」

幸一はすぐ気付いた。その兵士は扉が破られた夜、自分と一度戦い、珊瑚に掴まれた百妖長だ。

蒼鋭そうえい軍の百妖長・近武きんぶじゃ。扉を破り、人間界を襲った一人じゃ」

古兀が話している間に、枝は棺桶に何周か絡みついた。

枝から白い霊気が発され、棺桶と近武を包んだ。

その霊気に触れられた近武の目がぱっと開いて、口から長い獣の牙が出た。

近武は苦しそうに唸りながら、たくましい手足で木の根と棺桶を引き裂けるようにもがいた。

だが、もがけばもがくほど、木の根が彼をきつく縛る。

「お爺さん、これは、何をやっていますか?とても苦しそうに見えます」

幸一は心配な口調で古兀に訊ねた。

「魔除けじゃ。扉を破り、人間界を襲う兵士たちから、魔の気配が感じられたのじゃ。その魔のせいか、全員が乱心して、誰一人も理性に戻れないんじゃ」

「全員が!?」

「そうじゃ。じゃから、こうして、妖界の霊気を浄化に利用し、彼らを正常に戻そうとしておる。じゃがのう……」

古兀は長いため息をついた。

「わしらが使える浄化術を使い果たしても、せいぜい彼らを眠らせることができ、理性を取り戻させることが出来ぬ。これを見るのじゃ――」

古兀は袖から一枚の丸い鏡を出して、幸一に渡した。

鏡に映したのは、深淵のような深い穴の中で、狂乱に吠えている野獣型の兵士たち。

「!!」

鏡を通してもその狂った気配を感じられ、幸一は思わず大きく息を吹いた。

「霊気も法具も限られている。鎮静をかけたのは、百妖長たちだけじゃ。もっと多くの兵士は、あのように黒い牢屋に縛られ、いつかくるのも分からぬ救済を待つだけじゃ」

「……」

「こんなことをおぬしに言ってもどうかと思うが、どうか若将軍を恨まないでほしいのじゃ。自分の同胞がこんなにも苦しんでいる姿を目にしたら、焦るのは無理もない」

「それは分かっています。珊瑚は彼の責任を果たしているだけです」

自分が人質にされたことに、幸一は最初から気にしていない。

むしろこのほうが望ましい。

自分の知らないところで修良の消息を待つより、現状はずっと心地いい。

「おぬしの兄弟子がわしらの知らない何かを掴んだのは間違いないじゃろう。その何かが乱心した兵士を救える方法につなげば、彼が我が同胞を殺害したことのわずかな罪滅ぼしになる。さもないと……妖界は決して彼を見逃さない。彼を待つのは、恐怖と絶望の深淵じゃ――」

古兀は背中を幸一に向けて、わざと調子を抑え、身の回りに険しい妖気を浮かばせた。

案の定、幸一はそれを危険な信号だと捉え、さっそく身を乗り出した。

「俺にできることはありませんか?先輩が妖界との関係を少しでも緩和できれば、俺は全力を尽くします!」

「……」

古兀の口元が吊り上げられた。

「なくもないが、おぬし個人にとって、不利になるかも」

「構いません、教えてください!」

修良のために焦った幸一は、古兀の狙いが自分だとに気付かなかった。


動力部から去った珊瑚は、妖界城の資料庫に向かった。

そこで、修良の力や旧世界についての情報を調べた黒須少尉が彼を待っている。

悠長に説明をする時間がないので、黒須くろす少尉はなるべく簡潔に珊瑚に事情を伝えた。

「古代の研究者たちの推測によると、滅んだ旧世界は膨大な遺跡が残しています。その遺跡に、私たちの世界へ繋がる道が存在しています。私たちの世界が誕生してから、何回か旧世界からの力に影響されました。妖界の『朽ち果てる深淵』・人間界の『世界の縫い目』は、旧世界からの破滅の力によって形成された説もあります」

「ということは、あの修良先輩が使ったのは、旧世界からの力ですか?」

珊瑚の質問に一度頷いて、黒須少尉は続きを話した。

「可能性が高いでしょう。そして、旧世界からの道を開けたのは、一匹の鬼だと言われています」

「鬼?」

「旧世界が滅んだ時、一匹の鬼が逃れ、新世界に来ました。だから完全に閉じたはずの旧世界から新世界への道ができました」

「その鬼は新世界でどんな形で存在していますか?特徴は?」

旧世界の鬼ときたら、二人とも自然に謎の多い修良に連想した。

「そこまでの記録がありません。だが、これで乱心した兵士たちの断片的な言葉の意味が見えてきました。『見つけ』、『扉』、『力』、『あの世』、『魂』……彼たちは、旧世界の力を求めているようです」

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