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四十三 本望

修良の身を案じて、幸一は必要以上な霊気を放出し続ける。

白い光が彼の体からどんどん溢れて、周りにも広がる。

その光に触れた黒い虚空と灰色の霧は徐々に消えて、透明な空気が戻った。

「もういいんだ。これで十日もあれば治せる」

そろそろ十分な霊気を集めて、体も人の形に戻り始めたので、修良は少しだけ幸一を離れた。

「もう放出したから、残った分の霊気ももらってよ」

でも幸一は一歩前に押した。

修良は左手でやさしく幸一の頭を撫でて、教育者の口調で言った。

「気持ちは分かる。でも、薬を多く飲めば飲むほど病気が早く治るのではない。私より、その霊気でこの空間を浄化してくれないか?私の破滅の力と、珊瑚さんの妖気がぶつかり、ここは混沌な力が溢れていて、かなり不安定な空間になっている。放置すると、妖界に迷惑かける」

「先輩……」

幸一はちょっと感動を覚えた。

「妖界のことを思っているね。あの夜、百妖長たちを殺したのはやはり何かの誤解だよね!」

「それはもう珊瑚さんと話を付けた。後で珊瑚さんが妖界に説明してくれる。私も一度玄天に戻って宗主に説明するよ」

修良から安心な微笑みを見せられ、幸一はやっと修良の帰還を確信できた。

「分かった。ここを俺に任せて、先輩は休んで待ってて!」


幸一はすっかり晴れた気持ちで空の上に浮かんで、掌に光の玉を作り、広がっている霊気を操作する。

形のない霊気が一枚一枚の白い羽に変化し、舞い踊るように霧の中を廻す。

すると、濃厚で混濁な霧がだんだん薄くなり、形跡も残らないままきれいに消えた。

使命を果たした白い羽たちはキラキラする星の光になり、寂れた朽ち果てる深淵を飾る。

バラバラに飛ばされた紅凛軍の兵士たちも、遠いところでこの不思議な景色を目にした。

もっと不思議なのは、霧が浄化されたあと、深淵の土地に現れた奇跡だ。

「これは……!」

古兀は驚きで体を強張った。

足元の不毛な土地から、小さな緑が芽生えている。

「おぬし、やはり、生命の源のような霊気を持っているのか……!」

星の光が珊瑚の体にも降りかかった。

珊瑚は何か清らかで、生き生きした喜びが体に浸透するのを感じた。

使い果てたはずの妖力もうずうずと回復し始めたようだ。


自分の要求にも関わらず、その光景を見た修良は嬉しくないように呟いた。

「……やりすぎた」

「修良さん」

珊瑚は修良の近くまで来て、二人しか聞こえない小さな声で話をかけた。

「さっきの交渉は、それがしのほうが一枚上手のように見えるが、もしかしたら、それがしはとんでもない損をする承諾をしたのかな?」

「どういうこと?」

修良はわざと知らんぷりをした。

「修良さんは旧世界の破滅の力を見せてくれたが、旧世界の力が妖界の役に立たないなど、一言も言っていませんね。修良さんが持っている力が役に立たなくても、ほかの人が持っている力はそうと限らないでしょう」

意味深い笑みを浮かべながら、珊瑚は幸一を眺めた。

「じゃあ、約束を破るつもり?」

修良は密かに口元を上げた。

「いいえ」

珊瑚は陽気な笑顔を返した。

「世界か友かと聞かれたら、それがしは友を選ぶほうだ」


珊瑚はその言葉を吐いたら、その左目に細い黒影が吹き出された。黒影が一縷の煙となり、シュンと空に消えた。

「!」

(魔が、消えた……!)

修良はまだ確信を持っていないうちに、珊瑚の背後に一本の新しい光が現れた。

(まさかこの狐、昇格したのか……?そうか、そういうことか。)

「……珊瑚、その『啓示』とやらはどうやって『魔』を兵士たちに植え付けたのか知っているのか?」

少し躊躇っていたが、一応『協力』を承諾したし、珊瑚の幸一への「友情」も本物のようで、修良は気付いたことを珊瑚に伝えた。

「あなたたち妖怪にとって、一番魔が生まれやすい、魔に取り込まれやすいのはどういう時?」

「!昇格が迫る時だ!」

修良が提示した手掛かりで、珊瑚はピンときた。

「私が殺したあの鼬の百妖長は、昇格に苦労したとかいっぱい文句を残した。聞いた話だと、妖怪が昇格の寸前に詰まる時期がある。下級妖怪にその時期がより早く訪れる。正しいのか?」

珊瑚はうなずいて、修良の話を認めた。

「その通りだ。つまり、『啓示』は兵士たちの昇格への執念と昇格のために蓄積した力を利用したのか。

「その上に、昇格回数の少ないものは魔と対抗する経験が浅い。大規模な乱心の発生がありうる」

「爺さんの話によると、朽ち果てる深淵の力を触れると『啓示』が現れたが、それがしは何も感じなかった。一体どこから……」

珊瑚は顔を引き締めて、真剣に考えた。

「それは更なる調査が必要だ。だが、危険性の高い対象が分かれば、防げるための対策ができるようになるのだろ」

「ああ、そうだ。ありがとうな、修良さん」

「感謝する必要はない。一応『協力』を承諾したしな」

修良はもう珊瑚に振り向かずに、空から降りてくる幸一を迎えに行った。

「分かるよ。それがしも、しっかり約束を守る」

珊瑚は修良の背中に向けてもう一度承諾した。


「――事件の経緯は以上です。天修良の力は、確かに旧世界からのものでしたが、彼本人は妖界と敵対する意思がないと言って、事件の調査にも協力的な態度を示しました。これまでの乱暴な行動は、魔を恐れ、取り乱した結果だと認めました」

珊瑚は古兀を連れて、妖界議会で「啓示」の発生から、修良との戦闘までの経緯を述べた。

約束通りに、修良の罪を軽減するように説明をして、幸一の魂と力のことも伏せた。

「ということは、今回の事件の始まりは、その『啓示』というものだろうか?」

要人たちは少し議論してから、まず古兀に質問した。

「古兀、なぜ、それが世界の『意志』だと分かる?」

老狸は枯れた長い吐息をした。

「うまく表現できないかもしれぬが、逆らえない何か直接にわしらの意識に烙印を付けたような感じがしたのじゃ……」

「お前からも魔の気配がするが、我を失う感覚などはないのか?」

「最初は、微かな邪な気配を感じたのじゃ。じゃが、わしはいつも葛藤と共に生きておる。多少狂気があっても別に異様を感じない。それに、昇格できるほどの力を持っていない、暴走したくてもそれほどの気力がないわ」

老妖怪は自分を嘲笑うように掠れた笑い声を漏らした。

「古兀と同じ、魔に浸食されても自覚がないものがいるかもしれません。次の乱心を防止するために、まずは『啓示』と関わりがありそうなものを徹底に調べましょう。また、危険性の高い対象を絞り、特別観察をつけるのを提案します。それと……」

提案を述べたら、珊瑚は一度止まった。

姿勢を整えて、要人たちに頭をさげた。

「今回の紅凛軍の敗北において、それがしは全責任を取ります。即日から将軍の役職を辞退します。更に、妖霊殿の大司祭の候補も辞退させていただきます」


幸一の魂を抽出できなかったとは言え、古兀はすでに幸一に特別な力を持っていることに気づいた。

幸一に害を与えないという修良との約束を守るために、古兀を黙らせる必要がある。

大司祭の候補を辞退する。

それは、珊瑚が古兀に差し出した交換条件だ。


******


「先輩、これは、やりすぎじゃないか?」

幸一は修良の姿を見て、ちょっと困った。

修良の要求で、幸一は長い縄で彼を芋虫みたいな姿に縛り付けた。

「私は凶悪な手配犯だから、玄天派に戻る時にこのくらいが必要だろ。それに、幸一に縛られるのは私の本望だから。容赦はいらない」

修良は楽しそうに幸一を誘った。

「冗談はやめてよ、先輩は凶悪だなんて……先輩を縛る俺はより凶悪に見えるじゃないか……」

二人が妖界を出てからすぐ九香宮に戻らなかった。

修良の体が完全に人間の姿に戻るまでに時間が掛かる。

二人は人の少ない雪山の下にある温泉旅館で部屋を取って、しばらく静養した。

旅館に訪れた初日、修良は悪鬼の体を隠すために全身を覆う布を被っていた。

道で残された人外の足跡のせいか、この数日間、「雪男」の伝説が旅館の語り部のネタになっている。


二人がじゃれていたら、旅館の玄関から騒ぎがあった。

「玄幸一という人間はここにいるか!」

乱暴な叫び声と共に、部屋の扉が破られ、大きな影が突入した。

その人形の大物は羽織で体を隠しているが、露出する部分から白い毛と青い顔が見える。

その上に、大きな目に外に突き出した牙、まさに伝説中の「雪男」だ。

「ゆ、雪男!?」

幸一はびっくりした。妖怪に慣れているつもりだが、妖怪か人間か定義しがたい雪男を見たのは初めてだ。

「なるほど、語り部が言っていた『雪男』は私じゃなかったのか」

修良は何か納得したように軽く頷いた。

雪男は視線を幸一に釘付けて、懐から二枚の紙を出した。

「玄幸一、この身売り契約により、貴様はうちの種族を継続させるための重要な―――ガアアア!!」

雪男の話がまだ途中なのに、幸一はすでに拳を振り出し、一発で彼を倒した。

雪男はその場で口から白い泡を吹き、気絶した。

修良は雪男の巨体に破られた壁に向かってため息をついた。

「その壁に描いている花が気に入ったのに……後で賠償金額を訊こう」

「なんでまだそんな話を聞かなければならないんだ!!母は一体どういう道で俺を売ってたんだ!?」

幸一は悔しそうに雪男の襟掴み取る。

「おい、起きろ、事情を説明しろ!!」

「そうだね。この一件はちょっとおかしい」

修良は指を軽く鳴らすと、彼を縛る縄が自動的に解いた。

「だろ!?いくらなんでも、戸籍文書は雪男のところまで売りつける……」

「違う」

修良は幸一の方向を否定した。

「私と幸一がここにいることは、二人以外に誰も知らないはずだ」

「!!」

修良に言われて、幸一も気付いた。

「ということは、誰かが俺たちの居場所を突き止めて、奴に知らせた可能性があるのか?」

「幸一は一発でその雪男を倒さなかったら、もう聞けたのかもしれない」

「……申し訳ございません」

幸一は自分の未熟さに反省した。

「素直に感情に従うのは幸一のいいところだ」

修良はやさしく微笑みながら、床に置いてあるきれいに畳んだ服から戸籍文書の探知機を取り出した。

「どうやら、これはまだまだ引退できなさそうね」

「本物を見つけたのに、偽ものを回収し続けなければならないのか……」

買い手たちの悪を考えると、幸一は気が重くなった。

「もともと回収すべきだと思った」

修良は何かを期待するように探知機を幸一の頸に掛けた。

「なにせ、私以外のものが幸一の所有権を主張するのは不愉快だからね」

次の朝、雪山を越して麓の緑に恵みを注ぐ陽射しの中で、二人は出発した。


【陸界仙狐篇】 終わり

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