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第12話 気に病むことが無いように

 重い沈黙が流れる。この図書館の栞がどういったものなのかは知らないが、栞からはまだ存在感があり、光も残っていた。きっと、桂花は消えずにそこにいるのだろう。

 母の気持ちを考えると申し訳なさと気まずさがあったが、依織は意見を変えなかった。

「もういない人からそんなこと言われたら、無条件に守らなきゃって思っちゃうじゃん。でも、私にもアレクシスにも、そんなの守る義理は無いよ」

“依織……”

 桂花の声が沈んでいる。店の売り上げが伸びずに閉店の危機だった時も、小学六年生の時に依織が家出した時も、こんなに哀しそうではなかった。それこそ、友人達が死んだと報せが来た日以来だ。あの時は、突然店に訪れたアレクシスによって持ち直したようだが――

“そうね。それはその通りね……”

 依織の言葉を肯定した母の声には、反省を感じる元気の無さと落胆から来る重さがあった。

「……アレクシスは、どう答えたの?」

 細い針に胸を何回も刺されているような痛みがある。精神的な痛みだったが、確かに此処にある。母に言葉をぶつけることに対しての、罪の意識を示す痛みが。

(ああ、この痛みが……)

 慧に伝わる痛みと同じ種類のものだと、依織は気付いた。だとしたら、他社が”所持する”心の痛みを感知する誰かが存在してもおかしくないのかもしれない。

 こんなに非現実的な現実が、目の前に在るのだから――

 手にしたままの栞から、困惑した声がする。

“アレクシス……?”

「そう。分かったって、お母さんが居ないことに慣れるって、言ったの?」

 わざわざ律儀に依織に伝言しに来たくらいだ。物分かりのいい返事をしたのだろうか。

“……そういえば、話が逸れてしまって答えは聞いていないわね”

「ちょっと!」

 全く、この人は……ううん、この二人は……

 何だか、力が抜ける。それなら、自分が真正面から母と対立する必要なんか無かったじゃないか。死者の想いを尊重して、幸せに生きると言えば済んだことだ。

 依織自身には、桂花に本音を伝えたいという思いはあった。だが、それが正しい行為ではないことも理解している。

“でも、私は依織の本当の気持ちを知ることができて良かったわよ”

 その声は、いつものマイペースな桂花のものだった。微笑んで、依織の前に立っているみたいだ。心を読まれていそうな一言だったが、温かい空気に包まれたような気分になる。

“私の望みが押し付けであるのは分かっていた。けれど、どうしても伝えたかったの。 二人に負担をかけることになっても……”

 穏やかながらも、どこか一段低い声に不穏なものを感じる。もしかして、という思いが瞬間的に膨らんだ。自分の中では確信に近いものだったが、本人から直接聞いておきたかった。

「お母さんは、本当は誰かに……」

 殺されたんだよね、と言い切る前に、桂花の声が被さった。

“言ったでしょう? 『気に病むことが無いように』って”

「……!」

 強い口調の中に明らかな迫力がある。それでいて真顔ではなく、にっこりとしていそうな感じがした。母の声に押されて、依織は言葉を失った。と同時に、彼女の『伝言』の本当の意味を察することが出来た。

 ――気に病むことが無いように、とはそのままの意味以外に、死の理由を追求するなというメッセージが込められている。

 アレクシスに伝言を頼んだのは、その為なのだ。

「…………」

 考え込んでいるうちに俯いてしまうが、目に入るのは金木犀の栞だけだ。

「もしかして……お母さん、私の『本』を読んだ?」

 依織が死の真相を調べていることを、知っているのだろうか。

“私は魂……思念のようなもの。実体は無いから読むことは出来ないわ。栞という形になり、死者の心残りを伝えるために私はいる……”

「じゃあ……アレクシスは? アレクシスが読んで、お母さんに教えたり……」

 想像すると、血の気が引いた。母の死因に納得した振りをしていたことが――母の小説『永久不変の夜世界』を初めて読んだ時に、母は現実の結果など端から気にしていないと。本当に小説の先が書けなくなったのなら、物語に入れようとしていた『何か』である『設定』を正直に書けなくなったのだと思ったことが――『何か』を隠す為に、書くのを止めたのだと予測したのだと考えたことが――

『この小説が書けなくて、帰ってこなかったんだなというのは分かったよ』

 その上で、嘘ではないギリギリの範囲でこう言ったことがバレているということだ。大学に入ってから裏で調査をしていたことも、勿論。

 家族には絶対、知られたくなかったのに。

“……いいえ、アレクシスは依織の本を読んではいなかったわ”

「えっ……」

 既に読まれていると結論を出していた為、依織はかなり驚いた。信じられずに、言い募る。

「そんなことある? この図書館の『本』には全ての人の歴史が……経験が書かれてるんじゃないの? 私達はあの日から、普通に暮らせなくなった。私だったら、アレクシスの『本』を――」

 そこで気付いた。顔を上げて、絶望と共に無限に続く本棚の群れに視線を投げる。

「私は、アレクシスの『本』を探せない……」

 こんな大量の本の中から、特定の人物の本を探すなど不可能だ。テーブルの上に桂花の『本』があったのは、慧の想いに応えてここに『現れた』から――

 依織は、そう考えた。

“そうね。つまりアレクシスもあなたの『本』も探せない。そうでしょう? ”

「うん、そうだね……」

 そこは、肯定するしかなかった。周囲の友人達の何人かが悩まし気な表情をしている。依織と桂花の話を聞いて心を痛めているのだろう。

「……ねえ、お母さん、私、小説家になったんだよ」

 真相を訊く以外に、これだけは伝えたかった。母の想いを引き継いだのだと、知ってほしかった。

“がんばったのね。依織が小説家なんて、ちょっと意外だけれど”

 桂花は笑った。ここでやっと、親子として自然な会話が出来た気がした。

“……依織、私の栞は外に持ち出せるの。それを私だと思って……私はそこにいるから……”

「うん……」

 話の終わりが近付いている。栞の光が弱まっていく。

「私の作ったハンバーグ、食べてほしかったな……」

 依織がそう言った直後――栞は光を失った。

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