セレニア・エルデにとって男というものはどうしようもないイキモノ、という認識でしかなかった。
男は皆、顔を見た瞬間にセレニアの美貌の虜になり恥じることもなく求婚してきた。子爵家の末娘なんて貰ってもらえる方が名誉だろうと、そう言いたげにセレニアを下に見ている男ばかりだったのだ。
冗談じゃない。
セレニアは妻を早くに亡くした年寄りの後妻に収まるつもりもなければ、ブサイクな男爵家に入るつもりもない。
男が美貌しか見ていないならば、セレニアにとって見るべきものは金でしかなかった。
地位と、金。そのどちらも揃っていない男なんていうものは一瞥するにも値しない存在なのだと。
そんなセレニアが真っ先に目をつけたのはエグリッド王国の王太子カイウスだった。
カイウスは齢20ながらも病床の父王に変わって政務を取り仕切り、またその美貌も有名であった。亡き王妃にそっくりだというその顔を、セレニアは大層気に入った。
しかしいかに美貌を持つとはいえセレニアは子爵家の末娘でしかなく、カイウスの出席するパーティになんか参加する権利も貰えない。出来るのは、王家の者が出入りするパーティに臨時の侍女として入り込むくらいのものだった。
だから次に、セレニアはノクト家の兄弟に目をつけた。
アレンシール・ノクトは美しい青銀の髪に儚げな面立ちの美形で、弟のジークレイン・ノクトは騎士の有望株であり早くも王太子の側近として側仕えをしているという。
せめてこのくらいでなければ自分の隣に立つには不適格だと、セレニアはそう思っていた。
しかし現実はどうだ。
宰相の実子であるノクト家の兄弟は侯爵家だというのに子爵家からは遠く高い存在であった。
たかが侯爵家だというのに、エルデ家が縁談を持ち上げるなんてことは決して出来るはずもない相手だったのだ。
唯一接触出来そうなのは、同じアカデミーに通学していたノクト家の末娘のエリアスティールくらいのもの。
だがセレニアのプライドが、自分よりも劣った顔の娘に頭を下げて兄たちに取り憑いでもらうのを拒んでいた。
人々はエリスの事を美しい美しいと、あのみっともない長いブルネットの髪を褒めそやし目付きの悪い不気味な目をクールで素敵だと褒め称えた。
どこがだ。そう叫びたかったが、セレニアは必死に我慢した。稀代の美女と名高いセレニア・エルデが他所の女の顔に動揺している姿など決して見せられるはずもなかったのだ。
だからセレニアは、彼女の婚約者に近づいてやることにした。
幸いにしてダミアン・レンバスは愚かな男で、セレニアが少し腕に抱きついてやれば舞い上がってセレニアに触れてくる。
公爵家のない今のエグリッド王国にとって、侯爵家同士の婚姻には大きな意味がある。
だというのに、このダミアンという男はセレニアが肌を見せればすぐに飛びついてエリアスティールと比べてセレニアを褒め称えた。
愚かな男だが、ダミアンも次にレンバス家を継ぐ嫡男だ。ノクト家の兄弟よりも多少格下だが十分に悪くない相手ではあった。
が、セレニアはダミアンに付き合って一緒に訪れた神殿で大きな人生の転機を得た。
『お前がその気になれば、世界中すべての男がお前のつま先に口づけを落とすことだろう』
レンバス家の名を使って参加したミサで、初めて対面した大司教が他の者をには目もくれずにセレニアにそう告げたのだ。
驚いたなんてものではなかった。同時に、当たり前だとも思った。
自分は特別な存在。ダミアンなんかの恋人では終わらぬ、そんな存在なのだという自負があった。
そうしてセレニアは、大司教ダヴィド・デ・バルハムの手を取った。
バルハム大司教による洗礼を、教義を、訓練を受け、ダミアンとの付き合いも忘れずに己の使命のように抱き続けた。
この立場は、この地位は、セレニアにとっては当然のものであり同時に文字通り血の滲む努力の結果なのだ。
自分はこんな所で終わる人間ではない。こんな低い地位で、こんな頭の悪い男の妻で終わるような女ではないのだと、セレニアは確信していた。
「セレニア。あの男はなんなんだ? 王都へ送るとは」
「ダミアン様がお気になさる事ではありませんわ。ただの罪人……それでいいのです」
「それにしては随分と気にしていたようではないか」
「嫌ですわ、ダミアン様。わたくしには貴方様だけど、誰よりも知っておられるでしょう?」
あぁ本当につまらない男だと、ゆっくりとしなだれかかりながら思う。貧弱な身体に、弱い頭脳。地位しか取り柄がないくせに世界は自分のものだと勘違いしている愚か者。
セレニアがそっと寄りかかれば鼻の下を伸ばして喜ぶその様は決して気高いとは言えなくて、無様だ。本当に、気持ちが悪い。
「あの方は、ダミアン様が王になるのに邪魔になるのです。先に王都に送っておけば、ダミアン様の凱旋と共に処断が出来ますでしょう?」
「そ、そうか! 流石はセレニアだな!」
こんな男が王だなどと、本当に笑える。
だが国王が病に伏し、遠縁とはいえ国王と血の繋がっているノクト家が魔女の実家として聚落すれば、次の王は王太子か次に高い地位にありノクト家と同じく遠くに王家の血を持つレンバス家の当主のどちらかとなるだろう。
大司教が何故あのリリとかいう平民を殺す事にこだわったかは知らないが、彼女を殺しさえすれば王座はセレニアの好きにして良いと言ってくれたから、セレニアは今から玉座を指先で転がすのが楽しみで仕方がなかった。
王太子を廃するのは簡単だ。
国王の病は王太子が玉座を狙ったためだとすれば良い。ノクト家なんぞと繋がってセレニアに目もくれぬ王太子になんぞ何の価値もない。
セレニアにとって有用なのは、自分の好きに扱える愚かな、それでいて地位のある男。
セレニアの手の中で踊ってくれる、馬鹿な男――
「――……っ!」
ダミアンに触れようとしていたセレニアの手が、何かに弾かれたように跳ね上がる。その様に驚いたダミアンはぽかんとしているが、セレニアにとってはただ座ってなんかいられない気配だ。
魔術の気配がする。それも、強力で、強大で、怒りに満ちた魔力だ。
セレニアは無意識に己の二の腕を擦り、アクセサリーボックスを置いていた戸棚に駆け寄る。そこに入っている宝石たちは怪しく輝きを放ち、まるでセレニアに警告を発しているかのようだった。
大司教がセレニアに叩き込んだもの。
それは、対魔女に何よりも有用な【神聖力】の扱い方だ。
魔力とは違う、大司教に祈りを捧げれば与えられる神聖な力。セレニアに何よりも相応しい、聖なる力だ。
【魔女】のものとは違う。
本当に美しい、セレニアの美貌に相応しい力。
「ダミアン様、魔女が来ましたわ」
「な、なにっ!? 何故こんな所にっ」
「さぁ……? ダミアン様が居ると知って、ダミアン様を排そうとしているのかもしれませんわね」
セレニアは怖いですわ、なんて言いながら、宝石箱の中から一番大きな宝石の指輪を指に通し、腕にも特殊な鉱石で出来たブレスレットを巻き付ける。
ダミアンに「お願い」して手に入れ大司教が力を込めてくれた【神聖力】を上手く扱うための大事な宝石は美しく輝いて、セレニアにとてもよく似合った。
キラキラと輝いて、まるで夜空の星のようだと自分でも誇らしく思う。こんな美しい宝石を自分以外の人間が持っていたかもしれない可能性があるなんて腹が立ってしまうくらいだが、これを売っていた宝石店はもうないから、まぁいいだろう。
セレニアの世界は常に美しくあるべきだ。
持っているものも、身につけるものも、その地位も、使う力も、全て美しくなければいけない。
「セ、セレニア! お前の事はこ、この私が守ってみせるぞ!」
「まぁダミアン様、頼もしいですわ」
にっこりと微笑みながら髪をさらりと流すと、それだけでダミアンは色めき立ち鼻息を荒くする。
唯一美しくないとすれば、このダミアンくらいだろうか。本当に美しくない。茶色の髪に太い眉、濃い肌色とセレニアの好みではない十人並みの外見のくせにセレニアに愛されたからとまるで自分が世界の主かのような顔をしている。
セレニアを手にした者が胸を張れるのは間違いがない。間違いないが、だからといって決してこの男がすごいわけではないというのに何を勘違いしているのだろうか。
セレニアは小さくため息を吐いてから、今度はクローゼットに向けて歩みを進めた。
大司教から預かったのは【神聖力】の込められた宝石だけではない。
この鍵のかかったクローゼットの中にある「モノ」も、セレニアが【魔女】を殺すためにと用意しておいてくれて、セレニアに「自由にしていい」と預けてくれたものだ。
ギシギシと音をたてるクローゼットを開くと、中にあった「モノ」はビクリと震えながら恐る恐るにセレニアを見上げてくる。
「さぁ、お役目ですわよ。聖者様?」
目元を隠す乱れた包帯の隙間から怯えきった緑色の瞳でセレニアを見上げる少年は、口を封じられ手を背中で拘束されたまま金の髪を振りたくって乱しながら必死に首を振り続けていた。