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第58話 魔女の首魁と彼の正体

 ジークムンド辺境伯が用意していた馬車はそれはもう立派な馬車で、馬車の中でも書類仕事が出来るようになっているのかはたまた食事を広げるためなのか、横長のテーブルまでついていた。

 辺境伯はさっきまで外で広げていた地図をそこに広げてからどっかりと対面に座り、オレたちが話し始めるのを待つように腕を組む。

 オレたちは少し目を見合わせてから、アレンシールとオレだけが馬車の中に入る事にした。ヴォルガは物理的に入る事が出来ないだろうし、フロイトとリリを2人だけ外に出しておくのもなんだか不安だし。

 と、そんな感じで決めた人選だったが、馬車に乗ってみるとビビったのはオレの方だった。

 辺境伯はマジで、なんというか、「偉丈夫」って感じの人だ。

 髪の色は白に近い灰色というか、アレンシールの髪の色を濃くしたらこんな風になるんだろうか? と思ってしまうような銀色をしている。不思議な色だ。まるで、真っ黒な森の中に降った灰色の雪みたいな、そんな感じ。

 だがまぁその、髪と同じような色合いの灰色の眼光がめちゃくちゃ怖い。

 エリスを見る時にはデレッとした所もあるのに、一度地図を見るために視線を落とすとめちゃくちゃ真面目な顔になるのがなんか凄く、歴戦の猛者、って感じだ。

 その辺境伯が、ものすごく怖い顔で地図を睨みつけている。

 恐る恐るに地図を見てみると、そこにはアレンシールが教えておいてでもしたのか、オレたちが旅をしてきたのだろうルートにマークがつけられていた。

 こうして改めて地図で見てみると結構ふわふわ適当に跳んでたんだな、という気持ちになるが、オレたちの旅のルートと同じようにつけられているマーク――恐らくは大きめの神殿のある街なのだろうそこを出来るだけ避けていたっぽいのはなんか、凄いな、と思ってしまう。

 これも運なのか。それともアレンシールがオレたちを「そう」したのか。

 分からないけれど、今回立ち寄ったフローラ以外には大きめの神殿はなかったようだから、旅のルートとしては最適のルートではあったんだろう。

「アレン。お前の言う通りのルートに兵を送ったが、まだ神殿の馬車の発見報告はないようだ」

「……そうですか。私の私兵にも探させているんですが、どうにも引っ掛からないんですよ」

「神殿の馬車……というと、ジョンですか?」

「ジョン?」

「あぁ、例のあの人のことです」

「ん、そんな名前で呼んでいたのかエリス……」

「え、っと? 本人が、そう呼べと……?」

「因みに私にはボブって名乗っておいででした」

「ボブ」

 思わず、といった様子で吹き出した辺境伯は、しかしすぐに姿勢を正して笑いを止めた。

 おぉ、流石辺境伯、と思ったのは一瞬で、「ジョン」と「ボブ」のコンボがよほど面白かったのかすぐにまた唇の端から笑いがこぼれる。

 いや、わかる。オレもそう思ったし。ほんとそのネーミングセンスなんなんだよ、と。

 ……わかったのは、もうひとつ。辺境伯もアレンシールもジョンの本当の身分を知っているし、名前だって知っているということだ。

 そして辺境伯は何とかジョンが王都に移送されるまえに取り戻したいと考えているんじゃあないだろうか。それとも、ただ確保したいだけなのか……

 もしジョンの素性が犯罪者とかの「悪い意味で探さないといけない人」であった場合とは違う反応に、オレはもう段々と色々覚悟を決めつつあった。

 だって、今アレンシールはシレット「名乗っておいででした」って言った!!

 辺境伯の方も「あの方をそんな名前で!?」みたいな感じだった!!

 ほんの少しの会話の中からもわかる嫌な予感に、オレは痛み始める頭を抱え込んでしまった。

 これは絶対、侯爵よりも――その侯爵とほぼ同列扱いの辺境伯よりも地位が高い人間だ。しかも、多分他国の。

 この国の人間であったならエリスが知らないはずがない……と、思う。アレンシールも「今までのループでは出会わなかった」と言っていたし、きっと遭遇できる確率もめちゃめちゃ低いレアキャラだったんじゃないだろうか。

 そのジョンを見つけ出したのはリリだし、キルシーを使い魔にしたのもリリだから実質リリの勝ちの案件……

「あ、キルシー」

「あっ」

「キルシー?」

「その……ジョン(仮名)が連れていたカラスですわ。命を助けるために、今はその……魔女と使い魔契約を……」

「なんだと! あのカラスがまだ生きているのかっ!」

 あのカラス、ときましたか。

 どうやらジョンとキルシーの事は辺境伯の耳に入る程有名なようだ。という事はジョンは露出の多い立場の人間なんだろうか?

 ふむ、と顎を撫でてから、オレは馬車の窓を開けてリリを呼んだ。

 リリはオレが呼んでいるのに気付くと、まるで子犬が転げてくるようにパタパタと走ってきて、その頬は嬉しそうにほんのり赤く染まっている。

 ……可愛い。

 思わず胸がギュッとなる可愛さだ。この可愛さを直で見る事の出来ないフロイトがちょっと可哀想だと思ってしまうほど。

 自分の姉だか妹だかがこんなに可愛いと知ったら、フロイトの心臓も止まっちゃうんじゃないだろうか。それは困るか。

「リリ、ちょっとキルシーをお借りしてよろしいかしら」

「はい! 大丈夫ですっ!」

「あと……ちょっと厄介な事になりそうなので、ヴォルガにくれぐれもよろしくと伝えて下さる?」

「? わかりましたっ」

 リリの肩に乗っていたキルシーは、リリが促すと素直に窓から馬車の中に入ってきてくれた。

 翼を広げるとジョンの上半身を包みこんでしまうほどの大きさのカラスだ。馬車の中で翼を広げられると、いくらこの馬車が広いとはいえちょっとばかり窮屈に感じる。

 辺境伯はキルシーを見ると「おぉ」とかなんとか言ってから、キルシーの風切羽と足を確認し始めた。

 何をしているのかと不思議だったが、こういった貴族所有の護衛動物は足首や抜けにくい場所の羽根に記録を残しておくものなのだそうだ。

 護衛動物というのは、その名の通り貴族の護衛兵の代わりになる戦闘力を持っている動物の事を示す。

 その動物は奴隷だったり、キルシーのような鳥類であったり他の哺乳類であったりは様々だが、奴隷に関しては最近どんどん取り締まられているせいで姿が見えなくなっている。

 だが、キルシーの足を確認した辺境伯は「うむ」と何か納得したように頷いて、アレンシールもキルシーを撫でながら凄く真面目な顔をしている。

 嫌な予感は、強くなるばかりだ。


「エリス。お前がジョンと呼んでいるお方が彼の大国ユルグフェラー帝国第3皇子殿下、アルヴァ=レイフ様だ」


「……は?」

「もし彼が王都の大神殿に連れて行かれて王族との交渉に使われたりなんかしたら、ウチの国ごと困るって事だよ」

「い、いやいや……え?」

「神殿が殿下を何に使うかはわからんが、もし現状がユルグフェラー側に知れたら大変なことになる」

 早く神殿の馬車を見つけて救出せねば、だとか、なんらかの交渉のための人質にでもされたら厄介な事になる、だとか……果てには、ユルグフェラーとの交渉のために使われでもしたら戦争が起こってしまう、だとか。

 辺境伯とアレンシールが真面目な顔でそんな事を話しているが、オレはそんな事はちっとも頭には入ってなんかいなかった。

 第3皇子? 帝国の? 嘘じゃん。

 恐る恐るキルシーを見ると、キルシーはどこか自慢げで誇らしげで、あ、もしかしてコレはマジの本当なのかしら、なんて時間差で理解が頭に追いついてくる。

 いやだって、まさか「ジョン」だとか「ボブ」だとか言いながら巫山戯合いつつ酒を飲んでいた男が皇子様?

 あんな……キルシーに庇ってもらわないと自分が重傷を負ってしまいそうだったジョンが……

「そう、そうですわ! わたくしたちピースリッジで出会ったのですが、その時彼を誰かが追っていたようなのですっ」

「……本当か?」

「は、はい! キルシーが助けてくれて自分は無傷だ、と言っていて……その時に、キルシーを助けるためにリリさんと使い魔契約をしたのです」

「という事は、この国に入ってからも殿下を付け狙う何かが居た、という事だな?」

「た、多分……」

 断言できない自分が情けない。

 ジョンは……アルヴァという名前らしい彼は、一体どんな風にしてピースリッジに辿りついていたのだろうか。

 この世界の舞台装置のため?

 それとも、彼自身になにかの意味を持たされてこの国にやってきたのか?


「早くお助けせねば、神殿どころではなくなるぞ……下手すれば帝国との戦争だ」


 でもそんな事はどうでもよくて。

 ジョンが抱えていた秘密は想像通りとんでもなくって、目眩がするどころじゃない。

 戦争。

 魔女狩りだとか断罪だとか、かなりデカい範囲の話だと思っていたけれどそれは単純に「エグリッド王国」での問題だ。

 だがそこに、エグリッドよりもデカい国との戦争の可能性が出てくるとなると、【魔女】と神殿の対立問題だけではなくなってくる。

 正直、ユルグフェラー帝国とかいう国についてはエリスの日記にはほぼ記載がなかったからオレはよく知らない。フロイトと話していた時にちょっと名前が出たな? と覚えていた程度だ。

 でも、戦争は避けなければいけないものだ。

【魔女の首魁】としても――北条ナオとしても、戦争は、嫌だ。

 それでも、ただただふんわりと「助けなければ」と思っていたものにいきなり強い使命感のようなものが産まれて、やる気が出たのはぶっちゃけちょっと、間違ってはいなかった。

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