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第63話 魔女の首魁、大神殿へ

 王都の神殿はノクト邸から徒歩移動で30分ほどかかる位置にある。流石に大神殿という宗教色しかない建物を貴族地域に置くわけにもいかず、また広く敷地を取ることの出来る範囲となると限られているせいでデカい建物はどうしても少しばかり人気のない位置に作られるのは現代日本と同じだ。

 でも幸い、エリスは王都の神殿に足を踏み入れた事がある。王都に住んでいる人間ならば、きっと立ち入ったことがない者は居ないだろうというくらいには、神殿は庶民たちにも根ざした宗教施設であるからだ。

 しかし今回は安易に【転移】を使うわけにもいかない。

 流石に王都の大神殿のある空間を切り離して隔離する事は出来ないから、出来るだけ戦闘を避けるためだ。

 あの大きさならギリギリ切り離す事は出来るかもしれないが、エリスはあの大神殿が地下何階まであるのかを知らない。この時代の建物であれば大体は地下一階ほどの深さまでしか掘ることが出来ないはずだけれど、あれだけ巨大な建物だと「地下一階がどのくらいの深さまであるのか」なんていうのはわからないのだ。

 もしも変な所で切り離してジョンを空間の隙間に巻き込んでしまっても困る。非道かもしれないが、一般市民の命とは重さが違うからだ。

 オレたちが今回すべき事は、ジョンを出来るだけ無傷で救助する事と、一般市民に怪我人を出さない事。そして可能なら大神殿を破壊する事。

 もっと言えば、バルハム大司教を退治する事も出来ればもっといい。だが最優先はジョンの救助。それも、怪我をさせないのは重要な条件だ。

 ある程度はフロイトが治癒してくれるはずだが、今回フロイトは同行していないしエリスが治癒出来る範囲には限界がある。

 万一ジョンがどうしようもない怪我をしてしまって、それが帝国にバレた場合にはもう宗教紛争だとかそういうのをしている場合じゃあなくなるのだ。

 ジョン自身も大事だが、彼の身柄そのものがこのエグリッド王国の存亡を握っていると言ってもいいだろう。

 あぁほんとに、複雑な気分だ。

 ただただ彼の身を案じる事ができていれば……帝国との駆け引きなんかを考えずに居る事ができていればよかったと、思う。

 今の状況じゃあどれだけ頑張って彼を救助したとして、帝国との取引のためと言われれば「その通り」としか言えない。彼がただの「ジョン」であった時の方がよほど彼そのものを案じる事が出来ていたというのが、辛くてたまらない。

 仕方のない事だ、地位のある家に産まれたものの宿命だと言われればそれはそうだろう。でも、お互いに何も知らない状況で出会ったのに、後からそういう打算が介在してしまうのが本当に辛いと、思った。

「実感がわかないな……本当にこれで誰も我らを認識しないのか?」

「正確には認識を阻害するだけの魔術ですわ、イングリッド様。認識はされるかもしれませんが、それを覚えておく事は出来ません。わたくしより強い魔力がない限りは」

 複雑な思いを抱えつつ、オレたちは【認識阻害】の魔術をかけた上で王都の中を疾走していた。

 馬に乗って移動してもよかったが、【認識阻害】は存在にかける魔術であって音にかかる魔術ではないので、馬の蹄の音なんかを消す事は出来ない。

 オレは、馬か馬車に【認識阻害】と【消音】をかけるか自分たちに【認識阻害】をかけた上で【筋力強化】を使うかで悩んだ挙げ句に後者を選んでいた。

 イングリッドもヴォルガも今まで一度もオレの魔術の援護を受けた事がないから、能力強化系の魔術は戦闘前に一度は体験しておいてもらわないとぶっつけ本番が怖い。

 それに、馬や馬車で行っても降りた瞬間に魔術は解けてしまうし、どこに置いておくかという悩みもある。まさか、王子殿下を救助中に馬車の駐車禁止切符を切られるなんていう間抜けは、したくなかった。

「オレもよくわかんねぇな。魔術ってこんなモンか?」

「かけられる方は分からないものさ。そもそも前例もないだろう?」

「それはそうだが」

「エリスの魔術の特徴は、発動までの短さと隠密性です。攻撃魔術であったり余程わかりやすい魔術でない限りは、気付かない者がほとんどだと思いますよ」

「そ、」

 そうだったんですか、と言いかけて、言葉を飲み込む。流石に自分の魔術についてそんな感想を漏らすのはどうかと思うし、知らないのかと言われたらどう誤魔化せばいいのか分からない。

 アレンシールは過去何回かループをしていると言っていたから、どの何処かのエリス本人に話を聞いたのかもしれないが、そこはオレの知らない情報だった。

 言われてみれば確かに、リリの魔術よりもエリスの魔術は貯めが短くわかりにくい。でもそれは、使う魔術の系統の違いだと思っていた。

 発動が早いのも、同じだ。魔術に対する習熟度の差だと思っていたから、何の違和感も持たなかった。

 でも、そうだ。オレはエリスじゃない。エリスじゃないのにパッと魔術を使えたりするのは、やっぱり変なのだろうか?

 思わず不安になってアレンシールを見ると、アレンシールはニッコリと笑顔を浮かべて、

「魔力は体液に溶けるといいます。血や汗、唾液なんかもそうです。つまりは、魔術を身に治めた者しかその感覚は分からないのでしょう」

「身体自体が魔術の媒体って事か?」

「そうだね。言えばエリスの肉体さえ手に入れれば魔術を使う事が出来るかも、って事でもある」

「それは……」

 アレンシールの言葉は、オレの中にある種の納得感をもたらしてくれた。

 多分彼は、視線だけで何となくオレの不安を感じ取ってくれたのだろう。「エリス」の中に居るのだから魔術を使えるのは当たり前なのだと、「オレ」が魔術を使えるのはおかしくないと、そう言ってくれたんだ。

 つかマジ、この人イケメンすぎんか。

「良く知ってんなぁ、お前! やっぱオレの村に来いよ。お前なら引く手数多だぜ」

「有り難い申し出だけど、まだ人間の国でやることがあるんだ」

 なんでさっきのチラッだけでそれを感じ取ってくれるんだ? まったくもって分からない。オレだったら「何見てんだよ」とか思ったかもしれないし、親しかったとしてそこまで理解する事なんか出来そうにもない。

 本人の資質、と言えばその通りなんだろうが、なんか人間的なレベルの違いまで感じてしまって、落ち込みそうだ。

 今だってヴォルガからのある意味では愛の告白と思われなくもないものをサラッと受け流しているし……これがオレならきっと動揺して言葉が出てこなかったはずだ。

 男としてのレベルが違うってこういう事なんだな。

「その角を曲がれば大神殿だ。どうする、このまま突っ切るか?」

「アルヴォル。殿下がどこに連れて行かれたのかわかるかい」

『恐らくは地下かと』

「いや居たんかい! わかんねーぞ!」

『ですがアレンシール様、お気をつけ下さい。神殿を探っていた者と連絡がつきません』

「なんだと?」

 角を曲がる前にアレンシールの足が止まりオレとイングリッド夫人も足を止める。ヴォルガだけはリーチの差で少しだけ先に行ってしまっていたけれど、すぐにちょこちょこと戻ってきた。


『神殿内で殿下を発見したと連絡をした直後に、ラムス3が連絡を絶ちました。つい先程、皆様が走り出してすぐの事です』


 マジかよ、と、オレの心の中の声とヴォルガの声が重なって、アレンシールとイングリッド様が同じように眉間のシワを深める。

 この2人には血の繋がりはないはずなのに結構似てんな、なんて思いつつ角から神殿を見れば、神殿の正門の前には神殿騎士が4人。ミサがあるような時期ではないからか、正面の門を完全に封じるように立っている。

 【視覚強化】して見てみれば、その奥の正面玄関にも神殿騎士が2人立っている。あからさまな厳戒態勢。市民たちも大神殿の様子の変化に気付いたのか、いつもなら気軽に門を叩くだろうに誰も近くに寄ろうとしない。

 これは、外部からの訪問を断っている状態だろうか。

 つまりはそれだけの重大事を内側に抱えているということ。オレは強化した視覚で大神殿を見ながら微妙な心地になった。

「アレン兄様の影に気付くほどの者が中に居る、という事、ですのね」

 ぼそりと呟いたオレの言葉を聞いて、イングリッド夫人が腰に佩いた剣に手をかける。女性が使うにしては大振りな剣だが、ヴォルガといいイングリッド夫人といい、猛者がすぎるんじゃないだろうか。凄すぎる。

「大神殿に連れて行ったという事は、何らかの明確な理由があるはずだ。それも、アレンの影を殺しても隠したいほどの」

「明確な理由……」

「やっぱ人質じゃねーの?」

「わからん。だが、急いだほうが良さそうなのは間違いがないな」

 チラッと、全員がオレの方を見る。

 オレは彼らの視線の意味を正しく理解すると、今この状況で使えそうな【魔術】を模索した。

 あの人数を突破出来そうなもの……そして出来るだけ、騒ぎを起こさないですむもの……

「あ」

 ひとつ、思いついた。この中で唯一、アレンシールだけが嫌がりそうだが仕方がない。


「わたくし、この神殿に来た時に一度母様がお化粧を直しに行くのに付き合った事が御座いますわ」


 案の定ヒクリと、アレンシールの頬が引き攣る。

 気持ちはわかる。オレだって最初はめちゃくちゃ躊躇したし、未だに男女が別れている場合には男性側に行きそうにもなるもんだ。

 でも現状一番人目につかずに転移出来そうな場所といえば……やっぱりここしかない。

 女性陣が無言でアレンシールの肩を掴み、オレも二人の反対の手を取る。アレンシールは、ため息はつきつつも抵抗はしなかった。

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