到着した場所は想定した通りの場所。いや、その少しズレた所で、可哀想に走っている途中だった馬車が庭の花壇をいくらか蹴散らしてしまった。
ここの花壇を丹精込めて世話している庭師のことを思うと申し訳無さでいっぱいだったが、走っている途中の馬車と馬ごと転移するという荒業をやらかしたんだ。多少のズレは許して欲しい。
幸いにして【転移】を察していた誰かのお陰で馬車を即座に止めるように指示でもあったのか、蹴散らした花壇はほんの5メートルほど。いや、ほんのって言える範囲じゃあないが、優秀な御者と訓練された馬のお陰で、ノクト家の花壇は比較的無事な方だった。
そう、オレが【転移】の座標に選んだのはノクト家の庭だった。
本当だったら訓練場に出る予定だったんだが、オレの頭の中には訓練場よりも庭の方は馴染み深かったのか、そっちの方に反応してしまったらしい。これは、後で庭師に謝らないといけない。
だが、【転移】したのが庭だったお陰で、正面玄関から見られなかったのは幸いだった。正面玄関の方にも花壇はあるが、この庭は中庭……つまり、建物で隠されている方の庭だ。
こうなった以上別にここに来たことがバレたって構いやしないが、やはり秘密裏に動けるならそちらの方がいいだろうし。
「ノクト家の庭か。素晴らしい精度だな、エリアスティール」
「恐縮ですわ、イングリッド様。でも少々花を傷つけてしまいましたわね……」
御者に頼んで少し馬車を動かしてから【修復】で蹴倒してしまった花を修復していく。幸いにして一瞬で死んでしまった花はなかったようで、【修復】だけですんだのは良かった。
そんな事を思いながら屋敷の方を見ると、屋敷には悲しいくらい人の気配がないことに、オレは気付いてしまう。
恐らくはノクト家が王家預かりになった際に暇を出されたのだろうけれど、庭師も、執事も、メイドも居ない屋敷とはなんて空虚なものだろうかと思う。
ここで働いていた人たちに一気に暇を出すとなれば金に困る者も居るだろうに、大丈夫なのだろうか。
当事者であるオレがそんな事を心配してもしょうがないのだけれど、どうか彼らが平穏であるようにと願う。
「アレンシール様」
馬車を降りてくるメンバーを見守りつつちょっとセンチメンタルな気分になっていたオレは、不意にどこからか聞こえてきた声に驚いて扇子を構えてしまった。
いつでもぶん殴れるように魔力まで込めようかと動くが、しかしその手はアレンシールによって制された。
「
「はい。王城の方を、注視しておりました」
「紹介します、叔父上。私の影です」
「ほぅ、中々に優秀な影のようだな。まるで気付かなかった」
辺境伯とアレンシールはさも当然のように会話を続けているが、オレとリリとフロイトは「いやいやいや」という気持ちでしかない。
何しろ、アレンシールが「アルヴォル」と呼んだ人物の姿はまだここにはないのだ。きっとここの中の何処かには居るのだろうけれど、その姿はオレたちには確認出来ない。
イングリッドに目を向けてみても肩を竦めるばかりだったので、彼女にも確認はできていないのだろう。
そんな相手をシレッと「影でーす」「なるほどー」なんて会話が出来るとは……これが大貴族というものなのだろうか。地球では普通に平民をやっていたオレには分からない感覚だ。
というか、そのアルヴォルさんは本当に一体どこに居るのだろうか。姿を隠しているだけじゃなく気配まで感じ取れないとなると、本人の隠密スキルがあったとしても普通ではない技術だろう。
この世界では「魔術」なんてものは【魔女】しか使えないのだ。なのに、オレたちを前にして完璧に姿を隠している。それがどれだけ凄い事なのかフロイトとヴォルガは察したらしく警戒はしているが探そうとはしなくなり、唯一リリだけは不思議そうに周囲を見回していた。
「先ほど、大神殿に到着した馬車から大きな荷物が運び出されたのを確認しました」
「……大きな荷物とは、どのくらいのサイズだい?」
「全長180と少し。横幅は……人一人分ほどのサイズの布袋です」
「それって」
リリが何かを言いかけて、口を噤む。
その中に何が入っているかなんて、想像しなくってもわかる。180と少しの長さで、人一人分の横幅の布袋。今どきサスペンス小説でも使わない、「あからさま」なソレだ。
それが、大神殿に運ばれた。王城でないのが意外と言えば意外だが、交渉材料にするために大神殿に連れて行ったのだとすれば、わかる。
ここに居る者のうちジョンに出会った事のある人間は皆神妙な面持ちをしていたし、会ったことのない面々は前情報として知らされている「帝国の第三皇子」の肩書きゆえにとても真面目な表情をしている。
ここからは、下手に動けばそれこそ国家を巻き込んだ大事故に発展しかねない状況だ。ほんのひとつでも、判断を間違えてはいけない。
「僕は、王城へ行きます」
そんな、沈黙の中に時折草花が風に流される音だけが入り込むような空間で最初に発言をしたのは、フロイトだった。
彼の目は封じられているせいで王城のある方向を見てはいなかったが、確かにオレを、エリスを見ながらそう言ったのだ。
「大胆なことを言いますわね? その目的は?」
「……今とれる行動の中で、一番優先すべきものがなにかと考えたんだ」
「それが、王城?」
「正確には、国王陛下だ」
あぁ、とアレンシールが頷き、ジークムンド辺境伯夫婦も難しい顔をする。
ここに居るのは、国王陛下が病に臥せっているという事を知っているメンバーだ。そして、ジョンの正体が誰であるのかも知っている、面々。
その中であえて王城へ向かう決断をするという事は、やはり国王陛下の体調という事だろうか。
オレがじっとフロイトを見ていると、フロイトも自分に向けられる視線に気付いたのか顔を上げる。
「その、第3皇子殿下は今すぐには命の危機はないんだよな? なら、僕は陛下の様子を見に行きたい、と、思って……」
「アルヴォル」
「はっ。大神殿側は丁重とは言えませんが、今も監視をつけておりますのでもし命の危機があれば、許可あらば救出に動きます」
「王宮には誰もつけていないんですの?」
「国王の部屋には【魔女の指先】による遮断魔術がかけられており、外部からはなんとも……」
「あ、そっか。王様ならそういうのも、持ってますよね……」
「ふむ……」
時間はあまりないかもしれない。それは分かっているが、軽率に動いてもいい事案でもないというのがオレたち動きを鈍らせた。
今現在命の危機に直面しているのは間違いなく国王陛下の方だろう。王宮には王太子殿下も居るから神殿は軽率に入り込む事は出来ないかもしれないが、逆に言えばジークムンド辺境伯に頼めばオレたちは入り込む余地は十分にある。
逆にジョンの健康状態には問題はなかったはずだから、変な毒でも使われない限りは今すぐに命の危険がある、という事はないと思う。
それに、大神殿は逆にオレたちはとても入りにくい場所だ。フロイトがまだ生存している事にしていれば簡単だったかもしれないが、フロイトの死を偽装してしまった今は彼のお付きのフリをするというのも難しいだろう。
さて今動くのに最適な行動は……
「では、二手に分かれるのは如何かな」
「二手に……」
「叔父上とフロイトくんと……出来ればリリさんかエリスのどちらかは一緒に王城へ。私はイングリッド様と神殿へ行くよ。イングリッド様の事はまだ神殿も警戒していないはずだからね」
そうか、二手に別れてしまってもいいんだ。
何故かみんなで一緒に行動しなければいけないと思い込んでいたオレは目を瞬かせながら一行を分断するアレンシールの話を聞いていた。目からウロコってこういう事を言うのかな、なんて思いつつ、じゃあオレはどちらに行くべきなんだろうかと考えてしまう。
行くのが確定しているのは、王城に入る権限をもっているジークムンド辺境伯と国王に会わなければいけないフロイト。
神殿側は、まだ警戒されていないだろうイングリッド夫人だ。
出来ればオレとリリは分散して戦力補強をしておきたい所だし、同じ理由で辺境伯とアレンシールも別れておくべきだろう。
なら……それなら……
「わたくしは、神殿に行きますわ」
「うん。そう言うと思ったよ」
「わかりました! じゃあ私は、王城へ行きますっ」
「しゃーねぇ。オレは神殿の方へ行ってやるぜ。王城ってなぁ窮屈でたまらないからな。いいよな、坊っちゃん」
「構わないよヴォルガ。お二人を手伝って差し上げてくれ」
よっしゃ! とヴォルガが自分の手のひらに拳を叩きつけると、バシィッと派手な音が立った。痛くないんだろうかと思ったけれど、多分オーガはそういう所も人間とは違うんだろう、とか自分で自分に言い聞かせる。
これで王城側はジークムンド辺境伯とフロイト、リリとキルシー。
神殿側はイングリッド夫人とアレンシール、ヴォルガに……オレだ。
王城と違って神殿には何が待っているのかはさっぱりわからないが、人質救出には神速を尊ぶとか聞いたことがあるから行動をするなら早めにしたほうがいいだろう。
国王陛下の様子もわからないし、王太子殿下だって「大丈夫」という噂は聞いているが本当に大丈夫な姿はまだ確認していない。
無事で居て欲しい。きっとこれから神殿と戦うには王太子殿下の力はどうしたって、必要だ。
「そうと決まったらとっとと行くぜぇっ。ちんたらすんのは性に合わねぇんだっ」
「皆様、無理はなさらないでね」
無理はしないで、なーんて言っても、ここに居るメンバーは「多少の無茶で状況が好転するなら試す価値はある」とか言い切っちゃうような人間ばかりだ。聞くとは思えない。
まぁ勿論――オレを含めて、だけども。