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第61話 魔女の首魁と、焦り

「最初はお前が王太子の婚約者候補だったのを覚えているか?」

「はっ……?」

 凄まじい勢いで走る馬蹄の音を聞きながら馬車に揺られていると、不意に辺境伯がそんな事を言ったからオレは物凄く間抜けな顔をしてしまった。

 オレを挟むようにして左右に座っているリリとアレンシールは無言のまま固まるし向かいにすわっているフロイトは飲もうとしていた水を吹きかけるし、楽しそうなのはフロイトの隣に座っている辺境伯だけだ。

 フローラの街を出たオレたちは、結局辺境伯たちの一団と共に王都へと急ぐこととなっていた。

 辺境伯の騎士の一部はフローラの治安維持のために残ることになったが、イングリッド辺境伯夫人と辺境伯は一緒だ。

 まさかイングリッド夫人が「私は馬で大丈夫」とフルアーマーのままきっぱりと言い放って外を走っている状況でオレたちが馬車に乗ることになるとは思っていなかったが、キルシーがまだジョンを探している現状では仕方がない。

 キルシーがやっているのは、「元の主」であったジョンの気配を追うという、それだけのことだけれどめちゃくちゃに難しいものだった。

 リリが一緒に居るから魔力的なリソースには問題がないだろうが、今では主でもなくなったジョンを探すには一羽の使い魔では難しいものがあるのか、キルシーはさっきから黙り込んだまま動かない。

 心配そうにしていたリリだが、辺境伯の話を聞いて一転オレの方を目をキラキラさせながら見てきている。

 いつだって女の子は恋愛トークが好きなのよ、とは元彼女が言っていたことだけれど、リリもそれに当てはまるとは思わなかった。というか恋バナでもなんでもない。

「そうか、覚えていないか。まぁお前たちも小さかったしな」

「い、いつの話ですか?」

「お前がいつつで、殿下がななつだったかな」

「流石に覚えているわけありませんわっ」

 シレッと言う辺境伯に反論しつつ、腕を組みながら頭の中の「エリス」の引き出しにある王太子殿下の情報を引っ張り出そうと試みる。

 ここ最近はエリスの記憶はあまり使わなかったような気がするのですっかり引き出しがガタついているようだったが、じっくり思い出そうとすると何とか記憶の蓋が開いてくる。

 カイウス・アーデルハイド・エグリッド王太子殿下。確か現国王には王女しか産まれなくって、その中でやっと産まれた末っ子男子だったとかなんとか……そんなどうでもいい情報が頭に流れてくる。

 いやエリス、王太子殿下に興味なさすぎやしないか? 辺境伯が言うことが本当であるのなら、一度は婚約者候補にすらなったというのに。

 何しろそのビジュアルすらエリスの記憶の中ではハッキリしない。リリたちよりも色の薄い金髪に……多分灰色か青の目の……みたいな、遠くからぼやけた写真を見ているかのようだ。

 これって、過去にエリスが行ったループでも王太子殿下はオレたちに関わってこなかったってことなんだろうか。

 侯爵令嬢を断罪するとあってはもっと上のバックアップがあってしかるものだと思うが、やはり王太子殿下はダミアンたちとは無関係だった、ということなんだろう。

 やはりダミアンとセレニアのバックに居たのは神殿であり王族は関係ないのか。ある種の確信を得てアレンシールを見ると、アレンシールも同じことを考えていたのか無言で首肯を返してくれる。

「現在はノクト家を王太子殿下が引き受けてくださっているらしい」

「……誰も手を出せないように、ですか?」

「そうだ。世間ではお前が悪の魔女であるという流れになっているからな。兄上をお守りするのには王太子殿下の旗下に入らなければならなかったんだろう」

「叔父上は、父たちとはお会いになられたんですか」

「ノクト家の騎士が一人、ウチに伝令で来た以外の接触はないな。お陰で王太子殿下がノクト家を預かっている、という以上の情報もない。何らかの情報統制がされているのは間違いないだろう」

「……神殿」

 ポツリと呟いたフロイトの顔色は、あまり良くない。聞けば聞くほど、このエグリッド王国では神殿の暗躍がハッキリと見えすぎて彼としても気が気ではないんだろう。

 一応フロイトの事はジークムンド辺境伯にも話してあるけれど、もしこちらから話をしていなかったらと思うと、怖い。

 だってもう、辺境伯がフロイトを見た時の目といったら、なかった。

 ただの神官とは趣の違うフロイトの神官服を見て顔色を変えたジークムンド辺境伯を止めるために周囲の騎士たちがフロイトの周りに盾を作ったくらいだ。つまりは、彼の部下ですら辺境伯がキレたらヤバいと周知されているということだろう。

 いやわかる。オレだって、先にフロイトと出会っていなかったらあそこで冷静にフロイトを受け入れられたかどうか分からないんだから、事情を知らない辺境伯がフロイトを警戒してもしょうがないんだ。

 リリの双子の兄弟であり、恐らくは神殿が意図的に連れ去って【聖者】に祀り上げられていたようだと説明をすればその鉾も降ろしてくれたが、今でも「少しでも怪しい動きをしたら……分かっているな?」くらいの威圧感はある。

 じゃあフロイトも別の馬車にすればよかったのに、それはソレで嫌らしい。流石にヴォルガは一緒の馬車には乗れなかったからそっちに行かせればお互い平和だったのに……しかも自分の隣に座らせてるし。

 フロイトが気の毒でしかない、これは本当に。

「叔父上っ」

 ガチガチに緊張しているフロイトを憐れみの目で見ていたら、隣で無言だったアレンシールが突然声を上げたのでその場に居た一同がマジでビビって仰け反った。

 なんだ、ギャグか?

「今、神殿の馬車が王都に到着したそうです。御者は二名、馬車の内部の様子は分からないと」

「神殿の馬車だと」

「王都は現在外部からの馬車の出入りには厳しいらしいのですが、その馬車は検問を受けずに突破したとのことです」

「明らかに怪しいじゃないですかぁ!」

「で、でもフローラから王都まで行ったにしては早すぎる」

 アレンシールの報告にワッと騒がしくなる馬車内の全員は、恐らくほぼ反射的にテーブルの上の地図に視線を向けていた。

 どう足掻いたってフローラから王都までこの速度で行くことなんか出来やしない。それこそ【転移】を使うくらいはしないと、たった一日で王都に行くなんて無理だ。

「フロイト。神殿には【転移】のアイテムはありましたの?」

「い、いや聞いたことがない。でも神聖石を売って金は潤沢にあるはずだから、どこからか入手は可能なはずだ」

「神聖石か……」

 神聖石。本来は頭を吹っ飛ばされれば死ぬはずの人間の命すら繋げ、心臓を破壊しなければ死を与えない魔力をもった石。

 セレニアの末期を思い出しながら眉間にシワを寄せると、ジークムンド辺境伯は神聖石のことを知らないのか肘でフロイトをつついていた。

 面倒なので説明はフロイトに任せるが、もし神聖石が……あるいは、そういったアイテムを入手する伝手が神殿にあった場合には厄介なことになる。

 一体何の目的で王都にジョンを連れて行ったのかはわからないが、彼の存在があるというだけでとにかく厄介なことは間違いない。

 オレは馬車の窓を開くと、後方の屋根のない武具用の馬車に乗っているヴォルガに顔を向けた。大きな体を小さくして馬車に乗っていたヴォルガはオレが顔を出したことに気付いたのか、ハッと顔を上げる。

 流石護衛。ちゃんとフロイトの乗っている馬車をずっと見ていたのだ。

 オレは風でバサバサと乱れる髪に苦心しながら魔術で声を【増幅】して、叫ぶ。

「ヴォルガ! こちらの馬車に飛び乗って下さい! 【転移】します!」

「お、おぉ!」

「エリアスティールッ。どうしたのですっ」

「どうやらことは急を要するようです、叔母様。この馬車ごと、王都へ向かいます」

「なにっ……」

「よ、っと!」

 ズンッと音をたてて、馬車から馬車へジャンプしたヴォルガの重みが、後部車輪にのしかかる。前方では馬が悲鳴をあげるのが聞こえたが、ほんの一瞬のことだ。少しだけ耐えてもらうしかない。さっきまでヴォルガが乗っていた馬車がバランスを崩して転びかけているのだから、こちらはまだマシな方だ。

 それにしても、移動している馬車から馬車へ本当に飛び移るとは……オーガ種、恐るべし。

「エリアスティール! 私も連れてゆけっ」

「……手を!」

「お前たちはこのまま王都へ全速前進! 馬を休ませる以外は止まるな!」

「はっ!」

 ヴォルガが移動したのを見たイングリッド夫人が、部下への指示を飛ばしながら手を伸ばしてくる。フルアーマーの騎士だ。これ以上馬車には乗せられない。


 それなら、移動しながら馬ごと飛べばいいだけだ。


 イングリッド夫人の手を掴むと、イングリッド夫人の馬が僅かに速度を緩めたのが分かった。こんな手の繋ぎ方をしていてオレが転げ落ちないようにという配慮だろう。

 流石騎士。

 こんな時にも「騎士」というものに憧れを抱いてしまった自分に苦笑しつつ、最近もうすっかり十八番になってしまった【転移】を解放する。

 出来れば王都の中――検問に引っ掛からない場所だ。ぎゅっと目を閉じて、走っている自分たちが誰もバラバラにならないように集中して王都の中で自分たちが飛べる場所をイメージする。

 そうなればそんなの、一箇所しかないんだ。

 こんな状況でも、ハッキリと頭に思い浮かべることの出来る、場所。

 オレは、イングリッド夫人と馬車をぎゅっと掴みながら【転移】の魔術を解放した。

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