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第60話 関係者は語る・2

 アルヴァ・レ・クライゼツェリヒは、ぼんやりと上手く働かない頭をゆらゆらとさせながら「彼女たち」に出会った時に適当にジョンだとかボブだとか名乗ったことをうっすら後悔していた。

 若い女の子だと侮ったというのはあるかもしれないがまさか出会った瞬間に彼女たちが【魔女】であると見抜けるわけもないし、あの時はとにかくキルシーのことで頭がいっぱいだったからとにかく身分と名前を誤魔化すことしか考えていなかった。

 何しろアルヴァは暗殺の危機に怯えていたので無理もないことだ。

 アルヴァが片目を喪ったのは幼い頃。物心ついた時にはすでに母の居なかったアルヴァは、しかし皇帝の血をひいているからという理由で優しい二人の兄と、一人の姉と……とにかく優しい人々に囲まれてすくすくと育った。

 しかしある時、帝国で流行した感染性の病にかかったのが人生の曲がり角だったのだろう。

 肉体内に根を張るその病によって片目の視力を喪ったアルヴァは命をつなぐためにその眼球自体も摘出する他なく、わずか7歳にして片目どころかその周囲の骨も喪った。

 しかも病は伝染性。兄弟たちから引き離されたアルヴァは、マトモに起き上がることが出来るようになった頃にはすでに王室の証である「ベネトルトホルン」という姓を奪われ、「アルヴァ=レイフ」という名もただの「アルヴァ」になっていた。

 周囲に居た医者や執事たちは病に感染したアルヴァを厄介者のように扱い、「王室から追い出された異形者」と呼んだ。

 王室の名を奪われた、王子という立場からすらも捨てられた呪いの子なのだと。

 何しろユルグフェラーの皇族はみな【守護】がついていて病気なんかするわけないのだというのが彼らの物言いで、幼かったアルヴァはその言葉を素直に信じて公爵家の名字を与えられたことに感謝しろと、せめても地位を与えてくれた皇帝の慈悲にあやかれと、そんなことばかり言ってきた。

 当然ながら、まだ7歳で、しかも病み上がりだったアルヴァに選択肢も確認する方法も何もなく、「アルヴァ=レイフ・ベネトルトホルン」第3皇子は「アルヴァ・レ・クライゼツェリヒ」公爵になったのだと受け入れる他なかった。

 そうなれば一度感染性の病にかかったアルヴァは王室に面会することもできなくなり、良くしてくれていた兄弟たちにも父にも会うことが出来ないまま近付きもしてこない執事やメイドたちと共に過ごすことになってしまった。

 目を喪うほどの病だ。もしかしたらまだ身体に根が残っているかもしれないと家臣たちは皆常に口元や髪まで布で覆い、アルヴァは屋敷の者の素顔を見たこともない。定期的に通ってくる医者も毎回変わるから、覚えることも出来なかった。

 そんなアルヴァにとって、10歳の頃何となく庭の木の実を与えてやったカラスが子をアルヴァに預けるなんて思いもしなかった。

 あれは置いていったのではない、確かに自分に預けたのだとわかる仕草。アルヴァがあのカラスがユルグフェラーにしか居ない象徴的なオオガラスである事を知ったのはもっと成長してからだったけれど、小さな両手に不意に預けられた命は重くて重くて、片方しかない目からずっと涙が溢れていたのを覚えている。

 そのカラスにキルシーと名付けたアルヴァは、毎日庭に出てキルシーを彼女の親に恥じぬ立派なカラスに育てると奮闘し始めた。

 本当に、本当に大事な友達だったのだ。人間と鳥という種族差はあれど、アルヴァの中ではキルシーは揺るぎなく己の中の一番大事な存在だと言える程には、今でも、ずっと、大事な存在で。

 だからあの時――皇帝の命令でエグリッド王国の様子を見てくるようにというあまりにもふわふわした勅命が下り、船で王国に入ってすぐに襲われた時には自分の命にかえてもキルシーだけは守ると、そう誓っていた。

 捨てられ、誰にも愛されず、顔すら見せてもらえない自分なんかよりもキルシーの方が生きるべきだと、何も疑わずにそう思っていたのだ。

 だから、家臣たちと引き離され一人で見知らぬ国を放浪している間も、手に入った食べ物は優先的にキルシーに与え、寒ければ己の懐で温めて彼女を守った。

 その間にも自分を護衛してきたはずのユルグフェラーの騎士たちは追いかけても来ず、追いかけてくるのは【蒼い月の男神】の神殿騎士ばかりだったのであぁきっとまた自分は捨てられたのだと、そう理解した。

 自分の存在はその程度で、皇帝の命令がふわふわしていたのは自分を殺すことに理由なんかいらないと。

 ただ異国へやってしまえばそれでいいと、そう思われたからなのだろうと、理解した。


「クスリ弱くなってんじゃねぇか? 呼吸戻ってきてんぞ」

「追加しとくか?」

「まぁ、もうすぐ大神殿だ。大丈夫だろう」


 頭をゆらゆらさせながらキルシーの事を考えていると、不意に耳がクリアになって自分を運んでいるのだろう男たちの声が聞こえてくる。いや、今までも聞こえていたのだろうが、頭が声を会話として認識していなかったのかもしれない。それが、男たちの言うように薬が切れてきて理解出来るようになったの、かも。

 ていうか薬かよ、依存性ねぇやつだろうな、なんて結局反論も出来ないまま考えていると、頭がぐらぐら揺れていたのは特に固定もされないまま馬車に積まれた布の上に放置されているからだと、気付く。

 布も簡易的なベッドを作っただけなのか少し馬車が揺れると頭がグラッと揺れて、なんだか気持ちが悪かった。

 これは、アレだ。エリアスティールの【転移】で酔った時と同じ感覚。

 ……ということは、コイツらも転移をしたのだろうか。アルヴァは、片方しかない目をウロウロさせてみるが見えるのは馬車の幌と神殿騎士たちの足先だけで、何もわからない。少なくともこの馬車は上等なものではなく、自分は神殿騎士たちの足元に転がされているのだということだけは分かった。

 転移は、【魔女】でない人間が簡単に出来るものじゃあない。確かエグリッド王国の人間は【魔女】以外には魔力を持っていないはずだから、「偶然そんな特別な力持ってまーす」なんてヤツは居やしないだろう。

 だが奴らは「もうすぐ大神殿」だと言った。エグリッド王国で大神殿と呼ばれているのは、王都にある総本山の事だろう。

 体感なんか狂いまくってはいるものの、幼い頃から薬には慣れていたおかげで「そう何度も薬を打たれた感覚はない」と冷静に分析したアルヴァは、まだ自分が捕まって短くて一日。長くても二日程度だろうと当たりをつけた。

 そんな短い日数でフローラから王都まで戻れるわけがないし、フローラから出てしまえばその日数の距離に「大神殿」と呼べるほどの大きな神殿は無い、はず。

 となると奴らは【魔女】たちとは違う方法で【転移】をしたのだ。

 具体的に言えばきっと、【魔女の指先マジックアイテム】で。一般人なら【転移】の使えるアイテムなんか指先すら触れられないだろうが、大神殿ならばそんなのお布施でホイッと買えたことだろう。

 まったく、国民の財産をなんだと思っていやがる。

 ぐぬぬと思いつつも表情筋の力は戻ってきていないのか顔に出すことは出来ずに、ただゴトゴトと進む馬車の揺れに頭を揺すられる。

 しかしその動きも徐々にゆっくりになり、やがてほとんど揺れはなくなった。馬の蹄の音も変わったので、きっときちんと舗装された道に出たのだろう。

 まずい。このままでは大神殿に連れて行かれてしまう。

 焦りはするが、指先ひとつマトモに動かせないアルヴァに出来ることは何もなく、ただただ馬車が進むのに任せるしかない。意識はあるのに身体が動かないということがこんなに悔しいことだなんて知らなかった。

 アルヴァはもう王室から捨てられた人間だし、多分国そのものからも放棄された人間ではあるが一応は公爵という地位と領地を持っていた。そんな人間が神殿に捕まっているとなれば戦争の火種を作るのはとても簡単だろうし、逆に同盟のために首を落とされるような可能性だってある。

 価値はないのにどうとでも使える厄介さが、自分にはあるのだ。

 逃げなければ。そう思うのに、身体は相変わらず動かない。

 ほんの少し指先を動かそうと努力をしてみて気付いたのは、どうやら自分は結構ガチガチに縛られているらしいということ。それから、声を出せないようにするためか舌を圧迫する程度には布を口に押し込まれてもいるらしい。

 気付いたのは身体の感覚が戻ってきたからだろうが、これが結構苦しい。てっきり真っ直ぐ横になっているのだろうと思っていた身体が思わぬ格好をしているのだと気付いた時の焦りたるや、呼吸を乱すには十分な衝撃だった。

 まぁでも、眼帯オンザ目隠しをしないだけ理性的なんだろうか、コイツらも。

「おい、呼吸が乱れてきてるぞ。目が覚めたのかもしれん」

「もうすぐ儀式の間だ。入れてから大司教様に報告をするぞ」

「先に入れていいのか?」

「どうせ満足に動けない丸腰だ。構わんだろう」

 儀式の間?

 聞いたことのないタイプの部屋の名だが、絶対それただ祈りを捧げる部屋なんですーというだけじゃないだろ、とまた少し呼吸が乱れる。

 口に布を入れられるとこんなにも舌のポジションに困るとは思わなかった。布を押し出そうにも口いっぱいに入れられた布を押し返すことは出来そうもなく、かといって呼吸がしやすいように動かすのも難しい。

 人間は一度舌の位置を気にし始めると普通に存在してたはずの舌に違和感を持つようになるというが、まさにそんな感じだ。今まで自分はどうやって鼻で呼吸をして、どうやって舌を口におさめていたのだっけ。

 ようやく少しだけ動くようになった眉間をぎゅーっと寄せて苦しさをアピールするが、神殿騎士たちはコチラには興味がないようで気付かれない。いや、眼帯が邪魔で気付いていないのかもしれないが、コイツら人質が呼吸困難で死んだらどうするつもりなんだろうか? と思ってしまう。

 実際、アルヴァは再び頭がクラクラとし始めて、額に嫌な汗が浮いていた。

 薬の離脱症状と、単純に酸素不足だろう。もう儀式の間でもなんでもいいから早く連れてってくれと、そう願ってしまうくらいには気持ち悪くて、苦しい。

 その苦しみがどれだけ続いたのか、身体の自由が戻ってきても拘束されているせいで自由は利かずただ痛みがあるだけで、どうにも出来ない吐き気に目眩が止まらない。

 しかしある時ふと、その身体が楽になったことに気付いてアルヴァは閉じていた目を開いた。

 失神でもしていたのか記憶に少しのブランクがあるようで周囲の風景はまるで変わっていて、一体何が起こったのかと少しばかり驚いてしまう。

 だが背中側で拘束された腕と口に押し込められた布だけは変わらず、足が自由になっている事だけが唯一の救いといった具合だった。

 すでに口内の唾液は布に全て吸われてしまったのか喉がカラカラで苦しくて、咳き込もうにも布が邪魔でどうにもならない。落ち着いて鼻で呼吸をしろと己に言い聞かせながら周囲を見回して、ようやくここがどこかの部屋の中だという事が分かった。

 ここが儀式の間だろうか?

 だが、何か怪しげな祭壇があるわけでもなく蝋燭が立てられているとかでもなく……儀式と聞いて身構えていたアルヴァにとってしてみればなんとも拍子抜けの何もない空間だ。

 しかし、なんとか足を使って起き上がろうとしたアルヴァは、気付いてしまった。

 何か、祭壇ではないが広いブックスタンドのような、机のようなものが視線の先にある。その上にはきちんと本も鎮座しているが、本がどういう色をしているのかとかは薄暗くてよく見えない。

 そのままじっと暗闇を見つめて、ようやく暗さに慣れてきた目が映す壁には、恐らくは水中なのだろうと思われる色使いの空間の中に不可思議な形をした建物らしきものがいくつも、いくつも建っている風景を描かれているレリーフがある。

 それから、何だろうか、恐らく【魔女】なのだろう女たちが何かの本を囲んでいる絵だ。その本には人間の顔のようなものがへばりついていて酷く不気味で、だからだろうか、【魔女】たちはそれを封印しようとしている、ようで。

 本、と気付いて、アルヴァはしびれている足を引き摺ってブックスタンドから少しでも離れようと試みた。

 この状況はよくない。きっと何か、よくない事が起こる。

 子供の頃から、そうやって思いつくと必ずよくない事が起こったからきっと、これは、間違いない。

 ズリズリと床を這うように移動して、なんとか立ち上がろうとした頃には片方しかない目は暗闇の中でもある程度のものは見えるくらいには暗闇に慣れていて、アルヴァはそのままなんとか壁に近付けないかと、乱れる息を必死に吸って吐いて、動き続けた。

 だがその努力が奪われるのは、自分で思っているよりもずっと早いものだ。


「お目覚めでしたか、第3皇子殿下」


 一体どこにあったのか、重苦しく木が擦れる音がして、扉がゆっくりと開く。

 暗闇に慣れてしまった目はそこから差し込んでくる光を咄嗟に避けるために目蓋を閉ざし、誰が来たのかはさっぱりわからなかった。

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