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第107話 魔女の使命と異本の真実

 クトルットとストレガ。

 【蒼き月の男神クトルット】と【赤き月の女神ストレガ】なんていう新たな爆弾は、けれど俺やアレンシールでなければ気付かなかったものだろう。

 だってこの世界にはイタリアなんかないし、当然イタリア語だってない。オレだってイタリア語を勉強したことなんかなかったから気付かなかったものを、この世界の人間が偶然響きの似た名前としてつける、なんてこともないはずだ。

 という事は、元々の言葉の意味を知っている人間が宗教として成り立たせる際にモチーフとして使った存在の名前を付けた、んじゃないかと、オレは思う。

 そしてそれは、この一神教のエドーラにおいては【蒼き月の男神】教で一番偉いやつがやるのが一番正攻法とも言えるものの、はずで。

 となれば、バルハム。アイツは、アイツが一番怪しいのは当然だ。


「バルハムが父上の肉体を奪っていたのはそういう事か……」


 日が昇るまで三人で議論を重ねたオレたちは、朝が来てすぐにカイウス王太子に三人で探った現実を語った。

 勿論の事オレやアレンシールの素性の事は言えないけれど、異本は魔女が読める古の言語でありオレとアレンシールだけが今のところは読めるという事。そしてそこに書かれていた邪神の名前の読み方の一つがユルグフェラー帝国では今尚伝えられている【蒼き月の男神】の名前であるという事。

 そして、【赤き月の女神】の名前は魔女を意味する言葉そのものであるという事。

 それらを全て語った時、カイウス王子は全て得心がいったかのような顔をして眉間を揉んだ。

 バルハムは一体どういう術式を使っているのかはわからないが、マクシミリアン国王の肉体の内側に居た。オレやフロイトが魔力を流してもまだ気付かないくらいには、その隠蔽術は見事なものだったのは苦々しい記憶だ。

 でも、だから……つまりは、バルハムは代々力の強い人間の肉体に寄生をしながら【蒼き月の男神】を唯一神にまで持ち上げ、魔女を狩り、この国の裏側で暗躍していたのではないかとこの場にいる全員が理解をしていた。

「もしかしたら、フロイトを聖者に持ち上げていたのも、次は自分が聖者になるつもりだったのかもしれません」

「ぅえっ」

「そうだな。そのために立派な冠と地位を作っておいたという可能性もある」

「その場合、バルハムは聖者という大神殿で最も尊い地位と、フロイトの魔力を手に入れたという事になりますわ」

 そうして浮き上がってきた現実に、フロイトの顔から血の気が失せていく。

 ただでさえオレやヴォルガの治療で疲れ切っていたというのに、新たに信じたくなかった養父の思惑に晒されて気の毒という他ない。

 だが、フロイトの過去の境遇や【聖者】という【魔女】とは対局にある地位の持ち上げられ方からしてあり得る話だ。

 というかほぼ、間違いないだろう。もしフローラでフロイトがこちらについていなかったら――まだバルハムの手中にあったなら、と想像すると、物凄く嫌な気分になる。

「この国で【蒼き月の男神】が敬われていたのは、大司教が過去に偉い人に乗り移ってそういう宗教にしたから、って事ですか?」

「そうね。あなた達はその犠牲者だわ、リリ」

 宗教家どもと違ってひっそりと隠れて生きていた【魔女】たち。リリの母親もきっとそのうちの一人で、ただただ自分の子供たちを愛しながら生きている人だったはずだ。

 リリにも、彼女の両親にも、勿論弟妹たちにも、罪なんかありはしない。でも、バルハムたちにとっては【魔女ストレガ】の存在自体が罪でしかないんだ。

 眉間に深いシワを刻んだリリは、テーブルに置かれている異本をちょっとおっかなびっくり手に取った。ペラペラとページを捲っても彼女には読めない文字の羅列でしかないはずだが、絵もそれなりにある本だから絵を見るだけでも雰囲気は伝わるだろう。

 自分たちがこれから相対しようとする存在。

 復活させてはいけない存在の事を。

「……あれ。エリス様。これ、ページの色違うんですね」

「ページの色?」

「はい! こっち……この後ろの方が白いです」

「見せてくれるかい?」

 リリが異本をいろいろな角度で睨みつけるように眺め、アレンシールがリリと一緒になって本を朝日に照らす。

 それで、気がついた。オレたち三人が異本を前に首を傾げていたのは深夜だったからわからなかったが、朝日に照らしてみればわかる程度のうっすらとした色の違いがある。

 言ってしまえば、古本と新刊の境目、というくらいだろうか。経年劣化で茶色っぽくなっている部分と、その間と、まだそこまで劣化していない白っぽいページがグラデーションのようになっている。

 でもそれは、この世界における明かりの下ではわからない程度の違いだ。いくらオレたちがいつも魔術の明かりを使っていたとしてもわからないような、そんな些細なもの。

 アレンシールがオレを見て、オレもアレンシールを見る。

 これが示しているのはただひとつ。この本のページは、誰かに徐々に追加されてきているということだ。

 多分、背表紙を毎回新たに作っているのか元々太い背表紙だったのかはわからないが、本文の方が少なくって段々と背表紙に合うようにページ数が増やされていったんだろう。

 段々とクトゥルフについての知識が追加されていくように、そうされたんだ。


「あっ」


 いろいろな角度で異本を見ていたリリの手から、異本のページがバサバサと落ちていく。

 多分糊付けされていたんだろうが、あんなに大人しく台座に乗せられていた本がこの城に来てからは人の手に渡ったり滅茶苦茶開かれたり閉じられたりしてその糊が弱っていたんだろうと思う。

 何しろ落ちたページは塊だ。新しく追加されていったページが丸々落ちていっているように離れたページがまとまって落ちて、何段階かに分けてバサバサと音をたてた。

 リリが慌てた表情をするが、この世界の本はそんなもんだ。なんなら真ん中で折られただけの紙を紐でおさえているだけのものだってあるのだから、これだけ経年劣化のある本が糊付けされているというだけでも上等だろう。

 バルハムはもしかしたら、自分以外の人間は触れないように表紙をあんなに不気味な人皮にしたのだろうかとさえ思ってしまう程、この本は気持ちが悪い。

 誰の手にも渡さないようにするのには多分、一番いい方法だったんじゃないだろうか。

「……あれ? エリス様、これなんでしょうか」

「どれです?」

「これ、表紙の裏側、ですか? なんか書いてあります」

 本の呪いがどうのと家臣団がざわざわしているのを横目にアレンシールと共に落ちたページを拾っていると、表紙の方を見ていたリリが今やほとんどページのなくなってしまった異本を手に首を傾げていた。

 この本は別に家臣団が不安に思っているような本ではなく、ただの地球産の本なのでページが落ちた事には何も驚きはしないのだけれど、彼らにそれはわからないだろう。

 最早まとめられていないレポートのようになっているソレをジョンに渡してから、オレはリリの示している残りのページに目をやった。

 いや、大事なのは表紙に残された残り少ないページではなく、表紙の裏側の方だった。

 まるで本文のページに隠されたように糊付けされていた痕跡のあるそのページには、魔法陣にしては簡素過ぎるような、ただの図形のようなものが並んでいた。

 でもそこにやはり、英語が図形の解説のように記されている。

 しかもその図形の横には【赤き月の女神ストレガ】のシンボルが描かれていて、これが【魔女】に関わるものではないとは言わせないと言わんばかりだ。

「ルルイェは……2つの陣にて封印? えぇと……」

「この丸いのと、四角いのの事ですか?」

「図形には意味が宿る……安定と調和は、ルルイェを眠らせるための寝床に、なる」


 【魔女】は、ルルイェの封印を守るために、眠りが破られる時には自らの身を以てルルイェの眠りを守るべし。

 そう記されている裏表紙に、オレは小さく息を呑んだ。

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