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第106話 魔女の女神と、民の主神

「なるほどね……完全に盲点だったな」


 ジョンの言葉を聞いて大急ぎでアレンシールを叩き落としたオレは、まだ半分寝ているアレンシールに異本を見せながら必死で説明した。

 アレンシールが眠ってまだ3時間ほどだ。丁度いい所でお越してしまったかもしれないが、アレンシールにこそ早めにこれを教えておかないといけないと思って、ジョンの腕を引っ掴んでアレンシールが寝ている寝室に突撃したのだ。

 アレンシールはまだ半分ぽけぽけしているし、ジョンは今の状況をあまり強く意識していないというか、何の気もなしに発した言葉にオレが過剰に反応しているように見えているのかちょっと戸惑っているようにも見える。

 でも、そういう人間の一言がヒントになるということは現実としてとても多い。

 ジョンだからこそオレは「北条直ほくじょうなお」を明かしたワケだが、もっと沢山の人にオレの素性を明かせばもっといろいろな情報が出てきたりするんだろうか?

 いやそれは余計な混乱を与えるかもしれないので諸刃の剣だろうし、ジョンみたいにスムーズに受け入れてくれるとも限らないのか。

 それでも何だかドキドキしてしまって、モヤモヤしてしまって、オレは無意味に手を開閉させた。

「ナオくんは、どう思う?」

 小さく欠伸をしてから、アレンシールはあえて「ナオ」と呼んだ。それだけでアレンシールの前で突っ張っていた「エリアスティール」という意識が薄れていって、ごく自然に「北条直ほくじょうなお」になったような気がした。

 何より「やっぱオレの名前知ってんだ」という気持ちと共に、あえて「ナオ」に向けられた問いに無意識に顎に手を当てて考え込む。

 なんでこの世界で、オレたちの世界の言語で書かれている本発祥の信仰が産まれているのか。

 それは簡単に、ストレートに考えるのであれば「誰かがこの本を読んでクトゥルフを神としてこの世界根付かせたから」だろう。

 そうでなければ、この本はただ表紙がキモいだけの謎の本で終わっただろうし、なんなら国の禁書庫とかに入れられて謎の言語の本として研究対象になっているくらいが関の山だ。

 誰かが中身を読めて、理解出来て、信仰を広めるだけの力を持っていたからこそ、この世界に「クトゥルフ」という概念が産まれてしまったんだ。

「誰かが、これを読めた」

「そうだね」

「……読めた、って、アレンやナオと同じような人がこの世界に別に居るってことか?」

「そうなのかもしれない」

 オレと同じように顎に手を当てて、アレンシールが目を伏せて思考に入る。

 信仰というものは、基本的には「信仰する相手」は特段必要はないのだ。偶像崇拝、という言葉があるが、相手は確実に存在している必要はない。

 地球でだって、信仰の対象はもうすでに死んでいる神の使いであったり、かつて人間に手を伸ばした神そのものであったり、神へと昇華された元人間だったりするものだ。

 でもそれらはあくまでも伝説という形で伝わっているものがほとんどで、当たり前だが実際に「見た」人間なんていうものがこの世界に存在しているわけじゃない。そういう人間が残した文献だってどこまでが本当でどこまでが虚構なのかも読む人間によって様々なのだ。

 地球上で一番発行部数が多い本は聖書だというが、その内容が全て本当かどうかは聖書に記された神を信仰している人間以外には分からないものだ。

 この世界の聖書だって一応オレは読んだけれど、元の世界の聖書よりも胡散臭く感じてしまったりもした。それは、オレにとって元の世界の聖書とそれに記されているエピソードに馴染みがあったからで、この世界の人間はこの世界の聖書の方に馴染みがあるのは当たり前だろう。

 その中に突然割り込んできた、新たな信仰の対象。

 一体いつからこの本はエドーラに存在していたのだろうか。一体いつから、聖書のような扱いを受けて神殿の中に置かれていたのだろうか。

 一体いつから、この世界ではクトゥルフという存在が信仰されていたんだろうか。

「オレは、クトゥルフって神様のことは知らないぜ?」

「だよなぁ。じゃあ、やっぱりクトゥルフはこの世界では信仰されてないってことかな」

「いや、それだったらルルイェを浮上させるほどの力は得られないはずだよ。バルハムは、儀式が成功してルルイェが浮上するという確信を持っていた。ルルイェから、クトゥルフが目覚めるのだとね。ということは、確信出来るだけの下地があると思ってもいいと思う」

「ルルイェと……クトゥルフ……」

 クトゥルフは、ぶっちゃけ外見がグロい。

 そもそもが作者が作り出した世界観に存在する生物のほとんどが気持ち悪いというか、異形の生物というのが正しいと思う。

 それを考えるとあの【魔女の異形】はある意味ではクトゥルフ召喚を叶えるための舞台装置に相応しい外見だったのかもしれないが、なんというか、悪趣味過ぎるだろう。

 それに、いきなりこの世界に降って湧いたクトゥルフという存在を、あの外見の邪神を崇拝するってこの世界の神への感覚ってどうなってんだろうか。

「そのクトゥルフって、どんな外見してんだ?」

「こういうやつ」

 実際、ジョンに問われて本の中に描かれている挿絵の一つを見せると、ジョンは「うげっ」という顔をしてそっとページを違うページに移動させた。

 まぁ、慣れない奴には慣れないだろうなー、なんて思う。地球人的な感覚で言うと邪神というビジュアルにピッタリな感じではあるのだけれど、殆どの場合神と言う存在が人間の姿で表現されることの多い世界においては異物も異物だろう。

「あーでも、なんか引っかかってたけど思い出した。【蒼き月の男神】と名前の響きが似てるよ、そいつ」

「……は? アレに名前なんかあるの?」

「知らない?」

 ジョンが一応アレンシールに視線を向けると、アレンシールも静かに首を振った。

 オレもアレンシールも、教わっているこの国の主神は【蒼き月の男神】であり神の名前は封印されていた。

 なんか、確か、良く覚えていないけれど主神の名前はとても重要なものであり下手に神の名を呼ぶと不敬に当たるからとかで、【蒼き月の男神】の肖像だとか聖書は普通に国民には配られるけれど、聖書にもその姿絵にも「名前」というものは存在していなかった。

 オレも思わずアレンシールを見ると、アレンシールもオレたちにとっては「今更」なことに冷や汗をかいている。


「【蒼き月の男神】の名前は、元々はクトルットって名前のはずだ。オレの国では、少なくともそっちの方に馴染みがあった」


 だから、【蒼き月の男神】という呼び方の方に最初は馴染みがなかった、なんてしれっと言うジョンに、オレとアレンシールはガバっと異本を開く。クトルット。明らかに響きが似ている。

 確か、オレもよくはまだ読み込んでいないけれどクトゥルフ――Cthulhu――という名前は色んな国で、色んな書き方をされて、色んな読み方があったはずだ。異本にはその一覧もあって、沢山の「クトゥルフ」の読み方が紹介されていた。

 そもそもがクトゥルフという存在は、この世界とは違うどこか遠い場所から来た存在で、クトゥルフという名前だって人間が読める言葉に直しただけで本来の読み方とは違うとも書いてあった。

「ここだ。クルールー、カトゥルー、クトゥルー……」

「見て、ナオくん。これ……」

「……蒼き月の神・クトルット。赤き月の神……くそ、潰れてて読めない」

「赤き月の女神は、確かストレガだ」

「ストレガ?」

 それは流石にクトゥルフは関係ないのだろうか。聞き覚えのない言葉にオレが首を傾げると、反対にアレンシールが顔色を失った。

「ナオくん、ボブ……ストレガって」

「うん?」

「知ってるのか」

「ストレガは……オレたちの世界のイタリアって国の言葉で、魔女って意味だよ」

 は? と、オレは思わず声に出していた。オレは大学でもイタリア語には触れてこなかったから、まさかそこでその言葉が出て来るとは思わなかった。

 でも、なるほどと思う部分は、ある。だって、【赤き月の女神】の信徒は魔女の使いとして迫害され、元々は2柱の神はひとつだったはずなのに分離させられて【蒼き月の男神】だけが主神として残ったと聞いている。

 それが、その名前の意味する通りのものであるとするなら……この世界に「クトゥルフ」という存在が産まれた瞬間に分離させられ、わざとそういう位置づけにされたのだとすれば……わかる。

 そしてオレは、少しだけズキッと疼いたこめかみをぎゅっと指で押し込んだ。


「……バルハムは、オレやアレンシールと同じ転生者かもしれない、って事なんじゃないか、それ」


 アレンシールとジョンが、同時に深く息を飲み込んだ。

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