2022年12月12日。神楽りおは、知恵の鬼道によって呼び覚まされた記憶で、恋人の泉岳きらりが、浦川辺あやから自分を奪い取って交際したことを隠していた事を知った。
前田よしとは、一番最初の時間ループで友達以上恋人未満だったが、次の時間ループ以降は、りおの女性同性愛を応援する道を歩んでいた。りおはその記憶も呼び覚まされていた。
学校で、りおはきらりの髪の毛を滑り落ちる乾いた枯れ葉のような不安を、あえて拾い上げるのだった。
「今日は大事な話がありますよ」
しかし嬉しそうに笑って、また受験勉強の事や部活動の事、自分の小説の事を話す時間に吸い込まれていく。
「少し寒いけど、お昼は教室棟の屋上で食べよう。雲一つない青空が綺麗だよ」
りおは、何事も無かったかのように自分を包む今日の青空がいつになく感傷に浸るのを助けて、きらりの顔に幸せを重ねる。
きらりは、
「そうだね」
と言うと、華奢なりおの肩に優しく寄り添って互いの匂いを確かめ合う。少しずつ変わっていくお互いを日々知っていく。
昼休みに二人で屋上に行くと、何でも描けそうな雲一つない青空が出迎えてくれた。きらりは、そこにりおを描くように、りおを抱きしめて、
「大事な話ってなに?」
と穏やかな声で言う。時の魔法を使ってまで手に入れた女の子と、運ばれる愛が綻ばない幸福も分け合っていれば、どんなすれ違いも困難とは異なった意味合いになると思う。
りおは、解かれたきらりの腕と、穏やかなきらりの顔に、ゆっくりと時間をかけて、
「何も怖くないきらりが、何も怖くないの」
と伝えた。花火の夜から時間をかけて、少しずつ言葉遣いや立ち振る舞いが、女の子らしくなったきらりは、眼に力強さを残していた。知恵の鬼道で思い出した記憶のかけらと、駆け抜けて迎えに来たきらりを、超える生涯最愛の者を思い描けない。
りおは、改めて説明した。自分は女性同性愛者である事。女性のパートナーしか有り得ない事。友達同士で仲良くしていればそれで幸せというわけではない事。喩えて言うなら男女の恋人同士と何も変わらない関係を女性のパートナーと築き上げたい事。
りおは、息を飲んで、ただ一言、
「本当の事を『言って』」
と言った。
きらりは、
「りおの胸の形が、私の胸の形と違う事だ」
と言うと、自分達を包むために優しさを編み上げる事ができる人物以外に何も想定されない、かつては沢山の女性同性愛者の中から最愛の人を選べと促したが、とんだ考え違いだったと素直に伝えた。
りおは、心臓の張り裂けそうな言葉を、
「隠している事を『言って』」
と促した。
きらりは、りおの戸惑いや不安が、吹きつける強い風のように伝わって、りおが言って欲しい事実とは、自分の胸の内で頑として動かない罪悪感の石ころに違いないと思った。浦川辺あやからりおを奪い取った罪。その罪を犯してまでりおと共に居続ける事の意味論。二つを合成して矛盾がなければ、きらりはりおを愛する者として迎えている。
きらりは、スッと空を見上げると、雲一つない青空が母親のように思えたのだった。そしてりおの顔に向きなおして、
「本当はりおを奪ったんだ。浦川辺あやから。りおと恋仲だった事を知って、悪戯して、それを咎められて、煽られて、奪い取ってやろうじゃないかと思って。りおの心の弱さや満たされない寂しさを、浦川辺あやとの不協和音を聴き分けて、奪い取った」
と言った。
りおは、
「私は何?」
と聞いた。
きらりは、
「私の半分だ」
と言って、眼を閉じた。
りおは、精一杯の力強い声で、
「私もだ!」
と言って、少し風のある屋上で手を繋いで、そこから見える景色を駆けた。きらりが目を開けると、りおは嬉しそうに、泣いていた。
真冬の太陽は、何も奪わない母親のようだ。
澄み切った青に私達は幸せだと教えてあげる。
りおは、正直に打ち明けて貰えた。
「きらり。思い出したの、きらりがした事」
りおがそう言うと、きらりは、
「これはりおが主役の物語だ」
と言った。どんな困難も、自分自身も、遮る事ができないと誓う言葉のドレスを着せてやった。それはきらりの衣装でもある。
「きらりもだよ」
こうなりたいと願った日の神様がくれた。
今日の神様に願う心。
放課後。前田よしとは、浦川辺あやに何から話せばいいか分からずにいた。時空の鬼道で記憶を失う事を当たり前だと思って、あやの自由や希望を、未来を操作して、最後は蔑ろにしていたかもしれない。
あやは学校に来れただろうか。昨晩は知恵の鬼道で思い出した事を気にしていた様子だった。やっと決意した芸能界復帰なのに、ショックな出来事のきっかけになってしまって平気だろうか。
よしとは、独りで教室棟の教室に残った。まだ男子バレー部の活動に遅刻しないようなギリギリの時刻までポツンと教室棟にいた。
「全国大会出場おめでとう」
そんな校内の空気に包まれた最近の男子バレー部の活動で、何一つ落ち度が無いと思っても、その栄誉に逃げ込む事は、あやへの裏切りだと思った。きちんとあやに償いをしないと。
よしとは重い腰を上げて、男子バレー部の活動へ向かった。
あやは、体育館にいた。
「前田先輩。昨晩は遅くにすみません」
あやは、学校に登校する事はもちろん、男子バレー部の活動も投げ出さずに、むしろよしとに対して非礼があったと詫びた。時空の鬼道や知恵の鬼道は実在したが、頭のアルバムに、心のフィルムに、前回の時間ループで体験した事がポツンと保存されたような感覚の中で、よしとへの認識が大きく変更される事はなかった。
「神楽先輩との事を心のどこかで応援してくれていたのがひしひしと伝わってきます」
あやは一言そう言うと、両手の人差し指でバッテンを作って「これ以上もうその事には触れません」という合図をした。よしとが何か謝らなければと思って言葉を探していると、あやは、
「全国大会が楽しみですね。日本全国から予選を勝ち抜いた学校が東京に集結して。私は芸能界に復帰します。今はレッスン生だけど、必ずスターになります。神楽先輩の事はまだ諦めません。そこまで含めて私を理解してくれるなら、前田先輩を信じます」
と言った。
よしとは、
「浦川辺さんには毎日お世話になっています」
と声を捻りだした。そして、
「バレないと思って、鬼道を使っていた。申し訳なかった」
と今まで自分が画策し続けた事を認めて、改めて謝った。
あやは、立場が明確なよしとを信じる事にした。
「神楽先輩の味方なんですよね。わかります」
そう言って、いつも通りの部活動に精を出していくのだった。事情を知らない松岡、岡部、井沢、新垣が、あやに「今日も宜しく」と言って、ランニングの準備を始めた。4人の針金のようなふくらはぎが伸び縮みする。
よしとは、りおの幸せを思いやった。
「君が人の心に住まわない日はない」
「人が今日の続きを想わない日はない」
伝えてはいけない言葉を胸に心で本当のさよならをした。りおの身体にはもう、よしとの時空の鬼道は埋め込まれていない。