「語弊のある言い方をするな! オレはそんなこと、した覚えはない!」
「言い訳すんな! ちょっと、こっち来い!」
「い、痛いって! わかったから、ネクタイを引っ張るな!」
瑛斗先輩に対する態度とは違って、和兄には遠慮はもちろん、一切容赦する様子もない那央。
そんな那央は、まるで馬の手綱を引くように和兄のネクタイを引っ張りながら、和兄と二人でリビングを出て行ってしまった。
二人が出ていったリビングは、階段を上る足音が聞こえなくなると、嵐が過ぎ去ったように静けさを取り戻した。
「りおくん……。まお、ねむたい……」
「れおも……」
すると、双子は急に電池が切れてしまったように、か細い声で目を擦りながら俺の制服のズボンを引っ張ると、その場に座り込んでしまった。
「いっぱい遊んでもらって疲れたんだな。よし、じゃあお風呂だけ入って寝ちゃおうな」
おもちゃの片づけはまだ終わってはいなかったが、この様子で続行するのは無理だと判断し、俺はキッチンにあるタッチパネルへ向かって、バスタブにお湯を入れる準備をしようとした。
「えいとおうじは……?」
「もう、かえっちゃうの……?」
「またこないの……? やだよー……」
双子は瑛斗先輩に車で保育園まで送ってもらったときのことを思い出したように、泣きながら瑛斗先輩へ駆け寄っていってしまった。
「かえらないで、えいとおうじ!」
「やだよー!」
「あっ……いや……」
返事に困惑する様子の瑛斗先輩へ泣きながら抱きつく双子に、俺もどう声をかけていいか、正直困ってしまう。
(またすぐ来てくれるも嘘になるかもしれないし……。むしろ、もう二度と来てくれないかもしれないし……)
そんな暗い考えが頭をよぎって俺は唇を噛みしめながら俯いてしまうが、このままじゃいけないとすぐに顔を上げた。
「よかったら……。瑛斗先輩。急いで二人をお風呂に入れてくるので……。二人が眠るまで、一緒にいてあげてくれませんか……?」
(せめて、今日だけは……)
このままじゃいけないと思いつつ、また来て欲しいと約束を取り付ける勇気のない自分に気持ちが沈みそうになるが、俺は必死に瑛斗先輩を見つめた。
すると、俺の提案に瑛斗先輩は目を丸くして驚いた顔をしたが、静かに黙って頷いてくれた。
「わーい!」
「えいとおうじといっしょー!」
瑛斗先輩に抱きつきながら飛び跳ねて喜ぶ双子と、内心は同じような気持ちで喜びたかったが、悲しいことに、断られなかったという安堵の気持ちが勝ってしまう。
「じゃ、じゃあ。お風呂の準備をしてくるので……。瑛斗先輩、ちょっとだけ双子のことお願いしますね」
俺はそう言い残してリビングを急ぎ足で出ると、まるで気持ちを落ち着かせるように、リビングの扉を静かに閉めた。
そして、治まることなく速まる心臓と同じ速度で、俺は浴室に備え付けの脱衣所に入り、扉を閉めて鍵をかけた。
鍵をかけたことで何かに安心したのか、俺は閉めた扉に力が抜けた身体を、背中からそっと預けた。
(俺、なにしてるんだろう……)
浴室まで行かなくても、キッチンの壁にある給湯器のタッチパネル操作するだけで、自動でお湯も溜まるし、着替えやタオルも脱衣所にあるので準備なんて必要なかった。
だが、まさか瑛斗先輩が、俺の提案に抵抗なく頷いてくれると思ってもみなかったので、動揺して逃げ出す口実にしまった。
(どうしょう……。でも……)
何を言われるのか、どうして避けているのか、本当のことを聞くのは怖かった。
けれど、このまま瑛斗先輩との関係は終わりにしたくないと思った俺は、そっと息を大きく吸い込んだ。
「よし……」
小さな声で自分に気合いを入れると、俺は浴室へ向かい、バスタブへお湯を入れるために、備え付けのパネルを操作した。
すぐに温かいお湯が出て、浴室内に湯気が立ちこめ始める。
すると、少しだけ曇り始めた鏡に映る、自分の姿が目に入った。
(瑛斗先輩にもらった指輪……)
いつのまにかネクタイが外されていて、ワイシャツのボタンも二つほど開けられている胸元から、瑛斗先輩からもらった指輪が見えた。
俺は胸元に手を当てると、まるで縋るような気持ちで、チェーンネックレスに通した指輪を手の中で握り締めた。
(瑛斗先輩……。俺は……瑛斗先輩とどうなりたいんだ……)
もう何度考えたか分からない、答えも出ない疑問を、浴槽にお湯が溜まっていく水音を聴きながら、鏡に映る海棠理央へ尋ねた。