瑛斗先輩の手を引っ張りながら、俺は必死に走った。
他の生徒に見られたり、すれ違ったかなんて覚えていないほど、ただ、瑛斗先輩をあの場から連れ出すことだけを頭で考えていた。
だが、走っているうちにさっきのことで、俺の頭に一つの可能性が浮かんだ。
その可能性に気付いた瞬間、苦しいと悲鳴を上げている心臓とは別に、息が苦しくなるくらい俺の胸は締め付けられた。
悲しくもないのに、涙が込み上げそうになって目の奥が熱くなる。
(俺……俺……)
足を止めて瑛斗先輩に向かって振り向いたら、俺は罪悪感で涙を抑えられないかもしれない。
(俺のせいだ……)
目元を綻ばせていた瑛斗先輩の優しい笑顔が頭に残って、俺の息をさらに詰まらせた。
「はぁ……はぁ……」
夢中で階段や廊下を走り続けて無意識に辿り着いたのは、俺が初めて瑛斗先輩に呼ばれて連れ込まれた、あの空き教室だった。
駆け込むように瑛斗先輩と中に入ってドアを閉めると、外の世界と遮断され、瑛斗先輩と二人っきりになったと安心したのか、俺は少しだけ落ち着きを取り戻した。
(謝らないと……! 瑛斗先輩に……)
俺は急いで肩で息をする呼吸と速まる心臓の鼓動を鎮めようと、大きく息を吸って吐き出した。
だが、少しだけ息が整ってきても、俺はすぐに瑛斗先輩へと振り向くことはできなかった。
ドアを背にして立つ瑛斗先輩が、一体どんな顔をしているのか想像する。
こんな俺の突然な行動に驚いて、不思議そうな顔。
俺が息を切らしていることに、心配そうな顔。
(違う……。瑛斗先輩ならきっと……)
俺は決心して、瑛斗先輩に向かって振り向いた。
「……!」
瑛斗先輩は俺の予想通り、優しく笑みを浮かべていた。
階段でおでこにキスをしてきた、俺の頭の中に残っていたあのときと同じ顔をしていて、俺は息が詰まるのを感じた。
「どうして……」
無意識に涙と一緒に零れた言葉へ、瑛斗先輩の碧い瞳が大きく見開いた。
「ど、どうして理央が泣くんだ? 走って苦しかったのか?」
涙を拭ってくれようと、俺に向かって慌てて瑛斗先輩から手を差し伸べられるが、俺にはその資格はないと首を横に必死に振った。
「俺の……せいですよね? ご家族のこと、ノアに話したくないのに話したの……」
「えっ……?」
「俺がこの前、知らないままは嫌だとか、苦しいとか瑛斗先輩に言ったから……それで瑛斗先輩はノアに……」
瑛斗先輩が俺のことを避けていた理由を話さなかったとき、俺は瑛斗先輩に詰め寄った。
そのときの瑛斗先輩を困らせていた姿は、さきほどのノアと変わらなかったと気付いた俺は、ノアをあんな風に責めた自分が恥ずかしくて仕方がなかった。
「俺、自分のことは棚に上げて……。サイテーですね……」
(あっ……。また自分のこと卑下するようなことを……。もう言わないって、決めたのに……)
さらに自分が情けなくなって、唇を噛みしめながら俯く俺に、瑛斗先輩はそっと首を横に振った。
「私がノアに事情を話そうと思ったのは、理央が原因ではない。もう今なら……話せると思ったからなんだ」
「今なら……ですか?」
「そうだ。しかし……私は理央を泣かせてばかりだな。それとも、理央が泣き虫なんだろうか?」