「ありがとう、理央。また、私のために怒ってくれて」
「べ、べつに……。瑛斗先輩のためじゃ……。俺が勝手にイラっとしただけで……」
頬が火照り、顔全体がまだまだ熱くなるのを感じて、俺はどうしていいかわからず顔を逸すと、身体を捩って瑛斗先輩の腕の中から逃げ出そうとする。
だが、瑛斗先輩は、まるで逃がさないと言っているかのように、さらに俺のことを強く抱き締めてきた。
「あ、あの……。瑛斗先輩、そ、そろそろ離してください……。い、いいかげん、こんなところ誰かに見られたら……」
「見られなければいいんだな?」
瑛斗先輩は器用に俺を片手で逃がさないように抱き締めたまま、後ろ手でドアの鍵を閉めた。
「これなら安心だな。だから、私はもっと理央を抱き締めていてもいいな?」
「そ、そういう問題じゃなくて……!」
勝手な持論を展開する瑛斗先輩に、俺はドキドキさせられてしまうが、嫌だと思っていない、むしろ嬉しいと思ってしまっている自分の感情に動揺を隠せなかった。
しかし、俺を抱き締めるために背中へ触れている瑛斗先輩の指先が、微かにまだ震えているのを感じた。
「瑛斗先輩……」
俺の前で気丈に振舞っているだけで、瑛斗先輩は深く傷ついているんだと気付いた俺は、顔を上げて、瑛斗先輩を見つめた。
その吸い込まれそうなほど綺麗な碧い瞳が、また微かだが揺らいだように思え、俺は目を逸らさず真っ直ぐ見つめ続けた。
「俺が……瑛斗先輩の傷を癒せたらいいのに……」
俺はまるで傷口に触れるかのように、瑛斗先輩の両頬をそっと、手のひらで包み込んだ。
「り……お……」
俺の名前を口にした瑛斗先輩は、軽く唇を噛みしめると、頬に触れていた俺の手に自分の手を重ねると目を瞑った。
目を瞑った瑛斗先輩の表情は、まるで俺の手の体温を必死に感じ、救いを求めているように思えた。
「やはり、私はノアに話すべきではなかったのだろうか……。ノアをきっと動揺させて……だからあんな……」
自分のせいにして、まだノアの肩を持とうとする瑛斗先輩に、俺は少しだけ怒りを覚えて大きく息を吐き出した。
「ちょっと、失礼します……」
前置きをして、包み込むように触れていた瑛斗先輩の頬から少し手を離すと、俺は勢いよく戻して、瑛斗先輩の両頬を挟むように軽く叩いた。
目を瞑っていた瑛斗先輩は驚いた様子で目を開けると、何度も瞬きをしながら俺を見つめた。
状況を理解していない様子の瑛斗先輩へ、俺はもう一度、さっきよりも優しく両頬を挟むように叩いた。
「瑛斗先輩はバカですか? 人の心配する前に、自分の心配しましょうよ? まだ手が震えているの、気付いてないんですか?」
「えっ……」
震えを確認するため、瑛斗先輩は信じられないといった様子で、自分の目の前に手を持っていった。
「本当だ……。でも、どうして……」
やっと自分の状況が理解できた瑛斗先輩の手を、俺は瑛斗先輩の頬に触れた時のように優しく両手で包みこんだ。
「まだ怖い……ですか?」
「……。怖いかは……正直わからない。だが、この震えは、少しだけあのときのことを思い出したからかもしれない……」
(あのときって……)
家族が亡くなったと聞かされた瞬間か、それともお兄さんにお前が死ねばよかったのにと言われたときか、俺にはわからなかった。
ただ、どちらであっても、瑛斗先輩が悲しんで苦しんだことには変わりはない。
また胸が締め付けられて、俺は涙が溢れそうになると、瑛斗先輩はそんな俺を安心させるように笑いかけてきた。
「ありがとう、理央……。でも、もう大丈夫だ」
瑛斗先輩は俺が包み込んでいる手に顔を近づけると、そっと俺の右中指に唇を落とした。
今は胸元に隠してある、瑛斗先輩から貰った指輪を嵌めるための指に。
すると、瑛斗先輩の指先の震えが治まったのを、重ねたままの手から感じ取った。
「やはり、理央はすごいな。私にとってスーパーマンだ」
お兄さんに傷つけられた瑛斗先輩を救ったのは、リオンだったと瑛斗先輩のお姉さんである美玲さんに教えてもらった。
だが、今度は俺が、海棠理央が少しでも瑛斗先輩の気持ちを軽くできたと思うと、どうしようもなく嬉しくて堪らなかった。
「リオンのパワーも相俟って、二倍になりましたか?」
だから俺は冗談を言うように笑って答えると、瑛斗先輩は一瞬目を丸くしたが、真っ直ぐ俺を見つめてきた。
「リオンは関係ない。私は理央がいいんだ。理央を愛しているから」