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第134話 大丈夫。俺はアイドルだ。

 LL教室の前につくと、中から授業中とは思えないほど、騒がしいクラスメイトの声が聞こえてきた。


(瑛斗先輩が言ってた通り、本当の移動教室先はLL教室だったのか……。はぁ……)


 心の中で思わず溜め息を漏らしてしまうが、気が重たいのは何も変わらなかった。


 むしろ、このままではどんどん重たくなる気がする。


 俺は扉を開けて中に入るべきか躊躇していたが、ここで引き返したら逃げるのと同じだと思い、意を決して教室の扉を開けた。


 扉の開いた音で騒がしかった教室内が一瞬で静まり返ると、クラスメイトの視線が一斉に俺へ向かって注がれた。


「……。遅れました」


 とりあえず軽く会釈をして中に入ると、教室内には教師はおらず、ホワイトボードには自習と大きく書かれていた。


(自習か。なるほどね……。てか自習なら、いつもの教室でいいじゃん。なんでわざわざ移動させるんだよ)


 若干理不尽である苛立ちを、俺はこの場にいない教師へぶつけたくなる。


 だが、とりあえず俺は平常心を装いながら、注がれる視線を無視して教室を見渡した。


(自由席か……。じゃあ、一番後ろにでも座るか)


 いつもの教室とは違って、みんな自由に座っていることを確認すると、俺はそのまま静まり返った教室の、一番後ろの空いている席へと向かった。


 何食わぬ顔で席へ向かっているうちに、教室内はまるで最初から俺なんて存在しなかったように、騒がしさを取り戻した。


 しかし、そんな騒がしさの中、俺へ微かに視線を向けながらも、ヒソヒソと口元を隠して話すクラスメイトが数名いることが目に入った。


 もちろん、その中にはノアもいた。


(敵はノアだけじゃない……か。あーあ、ノア一人でも厄介なのに……)


 事態が複雑化してしまったと、俺は呆れるように心の中で深い溜め息をついた。


 とりあえず、俺はそれ以上深く考えず、一番後ろの空いている席に着いて、手に持っていた荷物を机の上に置いた。


(あれ? ない……)


 周りを見渡すと、みんなの席には課題と思われるプリントが置かれていたが、俺の分と思われるプリントは、どこにも見当たらなかった。


(余った分として、教壇の上にでも戻して置いてあるのかな……)


 来た道を戻るように、俺は教壇へと向かって机上を確認するが、俺の分のプリントは残されていなかった。


(……ない、か)


 悪い予感がして、心臓がキュッと締め付けられたが、俺は平常心を保とうと必死になりながら辺りを見渡した。


(もしかして……)


 嫌な予感というのは、こういうときによく当たるものだ。


 教壇のすぐ後ろにはゴミ箱があったため、俺はフタを開けて中を覗き込むと、課題と思われるプリントが、クシャクシャにされた状態で見つかった。


 そのとき、背後から嘲笑うような声が聞こえ、俺はゴミ箱のフタを持つ手が微かに震えたのを自分で感じた。


(泣くか、怒るか……。それとも、気にしていないフリをするか、煽るべきか……)


 きっと犯人は、俺がどんな反応をするかワクワクしながら、こっちを見つめているところだろう。


 俺は振り向いてどう反応すべきか考えるが、結局何をしても相手の思う壺だと思い、リオンならどうするかと考えた。


(そうだ。リオンならきっと……)


 俺は無言で、ゴミ箱からプリントを取り出して、ゴミ箱にフタをした。


(細かく切り刻まれてない。使えるだけマシ。そうだろ? だったら大丈夫。笑顔、笑顔!)


 そう自分を鼓舞するように言い聞かせて奮い立たせると、俺は笑顔を浮かべてクラスメイトに向かって振り向いた。


 そして、手にしたプリントを教壇の上に置いて、大袈裟な仕草でシワを伸ばすと、俺は笑顔を崩さずに一番後ろの席へ戻った。


 目元は長い前髪で覆い隠されているため、口元だけ笑って見える俺の姿は、犯人の目にはさぞかし不気味に映っただろう。


 効果はあったのか、こちらを見ながらヒソヒソ話す声がまだ聞こえていたが、それ以上のことは何も起きなかった。


(大丈夫。俺は大丈夫……)


 俺は軽く目を閉じて心の中で唱えると、息を大きく吐き出してから目を開けて、なんとかシワを伸ばした課題のプリントへ取り掛かることにした。


(大丈夫。俺はアイドルだ。こんなことくらいで笑っていられなくて、どうするんだ?)


 そう自分に心の中で問いかけながらも、本当は心の奥では、苛立ちと悲しみが渦巻いていた。


(大丈夫。だって俺には……)


 どんなときでも応援してくれる、瑛斗先輩がついている。


 そう思うと、心の奥底で渦巻く感情が抑えられて、何も怖くなくなった。


(でも、いつもなら優しく笑う瑛斗先輩の顔が浮かんでくるはずなのに……)


 今思い浮かんでくるのは、俺が突き飛ばしたときの、驚きとショックを隠せていない表情だった。


(何かあのメモで勘違いしていたみたいだけど……。でも、本当のことを瑛斗先輩に知られなくてよかった……。絶対に知られるわけには……)


 俺は心から、クラスメイトにこんなことをされているなんて、瑛斗先輩に知られなくてよかったと思った。


(恥ずかしい……。けどそれ以上に……瑛斗先輩の悲しむ顔を見たくない。だって、きっと……。瑛斗先輩は自分のことのように悲しむから……。でも……)


  必死に笑顔を浮かべていたはずの俺の顔が、自然と元に戻ってしまっていたことに気付いたのは、もう少しあとのことだった。

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