「理央……」
「和兄? ちょ、ちょっと、待って。今、終わらせるから」
教室の入口辺りから和兄の声がしたため、俺は任された仕事である得点ボードの点数を急いで入れ替え終えると、車椅子を漕いで後ろを振り向いた。
「一体どうし……」
振り向いて、俺は思わず言葉を詰まらせてしまった。
それは、和兄のすぐ後ろに、昨日階段でぶつかったクラスメイトの二人組がいたからだ。
「和兄……」
(もう。あれだけ言ったのに……)
和兄がお節介を焼いたんだろうと、俺は溜め息交じりに、訝しげな目で和兄を見つめた。
すると、和兄は違うというように、俺に向かって胸元で手を振ってみせた。
「誤解だぞ、理央。オレはなにも言ってないって。さっき、こいつらに話しかけられてさ。理央に言いたいことがあるから、付いてきて欲しいって頼まれたんだ」
「俺に?」
俺は首を傾げると、和兄の後ろで俯きながら立っていた二人は、俺に向かって一歩踏み出すと、和兄の横に並んで立った。
「ごめん!」
(えっ……?)
二人同時に勢いよく頭を下げて謝られ、俺は思わずたじろいでしまった。
「本当にごめん。昨日のことは、謝って許されることじゃないってわかってる」
「でも、昨日のは本当にわざとじゃないんだ。そもそも、当たるつもりなんてなかったし……。でも、オレたち怖くなって……逃げ出して……」
下げていた頭をゆっくりと上げた二人は、苦悶の表情を浮かべていたため、俺に対して本当に申し訳と思っているのが、しっかりと伝わってきた。
「おいおい。言い訳はこの場にいらないだろ」
「は、はい! 本当にすみませんでした!」
和兄にノックされるように軽く頭を小突かれた二人は、背筋を正すように伸ばすと、まるで直角に体を倒すように、もう一度俺に向かって頭を下げてきた。
しかも、今度は頭を下げたまま、そのまま上げることはなかった。
「ちょ、ちょっと! 頭を上げて! あれは、俺が階段で立ち止まってたのがいけなかったんだし。謝らなきゃいけないのは、俺のほうだから」
頭を下げたままの二人に、俺は慌てて車椅子を漕いで近づき、二人の腕に触れながら顔を覗き込んだ。
(二人とも目元にクマができてる……。きっと、不安で眠れなかったんだろうな……)
「海棠……」
「ごめんね。昨日といい今日も、こんな車椅子姿を見せちゃったから余計に不安だったよね。昨日はちょっと痛かったけど、今日はもう、ほとんど痛みもないんだ。それに、誰にも二人のことは言ってないし、あれは、俺が勝手に足を踏み外しただけだから」
「海棠……」
二人はやっと顔を上げてくれたが、その顔は涙ぐんでいた。
「ほら、お前ら! 理央の優しさに感謝しろよ!」
「は、はい!」
和兄はまるで気合いを入れるように、今度は二人の背中を叩くと、二人はまた背筋をピンッと伸ばした。
運動部に入ったことのなかった俺は、そんな体育会系ならではのやりとりが、なんだか微笑ましい光景に思え、思わず笑みが零れてしまう。
「ふふっ……」
「なんだ。海棠も笑ったりするんだな」
「えっ……?」
思ってもみなかったことをクラスメイトに言われ、俺は驚いて二人を見上げてしまう。
「あっ、いや。ほら、いつも無表情な感じだからさ。前髪でほとんど顔も見えないし。けど、そんな感じに笑えるヤツなんだって思って」
「俺も人間だからね。笑ったり、泣いたりぐらいするよ」
「それもそうだな」
気持ちがほぐれたのか、自然と互いに笑みが零れ、俺とクラスメイト二人は笑い合うと、和兄は呆れたように肩をすかして溜め息をついた。