「実は……。昨日の……海棠が車椅子で現れたのは、たしかにみんな驚いてた。海棠が帰った後、謝ったほうがいいんじゃないかって話にもなったんだ。けど、ノアが……」
「ノアがクラスの奴らに向かって言ったんだ。海棠のことなんて気にすることないって。でも俺たちも、もちろん他の奴らも、みんな海棠に謝りたいって思っていて……」
「そっか……。うん、教えてくれてありがとう。ほら、二人とも自分の競技があるんじゃない? もう、戻ったほうがいいよ。あと、みんなに伝えて。俺は怒ってもないし、誰も責めようとは思ってないって」
「海棠……」
「でも、お願いだからノアに同じようなことしないでね。こんなことしても、何も生まれないよ。せっかくの体育祭なんだから、楽しもうよ」
「ああ! 来年は一緒に出ような!」
二人に向かって俺は深く頷くと、嬉しそうな笑顔を浮かべた二人は和兄に会釈をすると、そのまま立ち去って行った。
「いいのか? あれで」
「いいもなにもないよ。これでおしまい。って、和兄や瑛斗先輩とのことバレちゃってたね。これからどうしようかなー……」
「おいおい。今はそんなこと言ってる場合じゃ……。ったく、俺の気も知らないで……」
和兄は重たく長い溜め息を、深々とついた。
「俺は昨日から二人を殴ってやりたくて、しょうがなかったんだぞ」
指の関節を大袈裟に鳴らす和兄に、さっきの和兄と同じくらい、俺は深いため息をついた。
「和兄……。暴力は何も解決しないよ」
「わーかてるよ。けど、ノア……か。アイツ、月宮先輩贔屓なのはわかってたけど、まさかここまでするなんて……。理央はどうすんだ? あいつらを騙して、理央に敵意を向けさせたノアを、このままにしとくのか?」
「それもよくないと思うけど……。でも、俺が何もしなくても……。きっと、こんなことしていたら、自分が後悔するようなことが起きるよ」
「はぁー……。理央様はお優しいようで」
少し皮肉を利かせた和兄は、また肩をすくめて溜め息をつくと、車椅子に座ったままの俺に近づいて、俺の頭を撫で始めた。
(和兄……)
少し乱暴に撫でてくれるその手の感触は、よくやった、頑張ったと言ってもらえているような気がした。
自然に肩の力と伸ばしていた背筋から力が抜けていき、俺は車椅子の背凭れに寄り掛かった。
「本当に、もういいのか?」
「いいの。でも、心配かけてごめんね。和兄」
俺は笑って和兄を見上げると、和兄も優しい笑みを浮かべて返してくれた。
「ああ、ほんとだよ。ったく。お詫びに、俺のこと抱き締めてくれてもいいんだぞ」
「何言ってんだよ、和兄。冗談は程々に……」
冗談だと思っていたが、突然俺は和兄の大きな体に包まれるように、腕の中で抱き締められてしまった。
「和兄……」
「足は……もう大丈夫なのか?」
真剣な和兄の声とともに、抱き締められる腕に力が込められて、俺の胸も同時に締め付けられた。
「う、うん……。大丈夫……。あ、あのさ、和兄……」
「待った……。もう少しだけ……。もう少しだけ、このままでいさせてくれ……」
俺を抱き締める腕へさらに力を込めた和兄に、俺は何も言えなくなってしまう。
それは、俺を強く抱き締める腕から、微かな震えを感じ取ったからだった。
「和兄……」
反射的に俺は抱き締め返したくなり腕を上げようとするが、そっと、それ以上何も言わずに腕を下ろした。
俺のそんな仕草に気付いたのか、和兄はもう一度、さっきよりも強い力で俺を抱き締めてきた。
「昨日の答えは、この場じゃ聞かないぞ。体育祭が終わったらって言ったよな」
「うん……」
感情を殺しているように淡々と話す和兄に、俺は静かに頷くことしかできなかった。
すると、和兄は俺を抱き締めていた腕をゆっくりと緩めると、俺から少しだけ体を離し、頭を優しく撫でてくれた。
「なあ、理央……。俺の最後の願いだと思って聞いてくれ」
「えっ……?」
頭を撫でられながら見上げた和兄の顔。
その口元は笑っていた。
だが、微かに眉間へ皺を寄せていて、俺には苦しそうに笑顔をつくっているようにしか見えなかった。
「理央から……抱き締めてくれないか?」