そう言って、俺の前で膝をついて目線が同じ高さになった和兄から、真剣な顔で見つめられてしまう。
そんな和兄の姿から、本当に最後の願いのように言っているように思え、俺は静かに頷くことしかできなかった。
「ありがとう……」
まるで俺を受け入れるように手を広げる和兄に、俺は車椅子の上で少しだけ体を前に倒すと、体を預けるように和兄へと抱きついた。
そして、和兄の背中に腕を回して力強く抱き締めた。
「あーあ……。ったく、本当に……」
和兄は溜め息交じりに呟くと、抱き締め返すのではなく、俺の頭をそっと撫でてくれた。
「理央……」
俺の名前を呟いた後、和兄が何かを言ったように聞こえたが、掠れて聞き取ることができなかった。
すると、和兄が一歩後退ったため、俺は合図として受け止め、和兄の背中に回していた腕をそっと離した。
(バイバイ……和兄)
離れていく和兄へ、俺はそっと心の中で呟いた。
「……。サンキュー……な。よし! とりあえず、三年の先輩どもをぶっ飛ばしてくるわ。打倒、月宮先輩ってな!」
片手でガッツポーズをして、いつものように明るく笑った和兄は、また俺の頭を撫でてくれた。
愛おしいものを撫でる時とは違って、少し乱暴に。
「理央はしっかり、そこから応援してくれよな!」
「うん」
「じゃあな」
和兄は笑みを浮かべたまま、足早に空き教室を出ていった。
俺は和兄が出ていって閉ざされた教室のドアを、そのまま見つめ続けてしまう。
「あ、仕事しないと……」
だが、俺は思い出したように車椅子を漕ぎだして窓辺に近づくと、置きっぱなしにしていた教員用スマホを手に取った。
「やばっ、もう次のが来てた」
気付かないうちに競技は次の新しいものに変わっていたため、俺はスマホのメッセージに届いていた新たな点数を、急いで得点ボードに反映させた。
(これで今日の俺の仕事は終わりか。えっと、今のところ二年生の白組が……。ん?)
ふと、視線を感じて校庭に視線を向けると、そこには学ラン姿の瑛斗先輩がいて目が合った。
(瑛斗……先輩……)
正確には目が合ったのかは、距離があったためわからなかったが、瑛斗先輩は俺のほうを真っ直ぐ見上げていた。
俺のことを見上げているのか、それとも得点ボードを確認するために見上げているのか。
俺にはそれ以上わからなかったが、居たたまれなくなって、まるで逃げるように車椅子を後ろに下げ、窓から姿を消した。
(あ、車椅子だってバレ……いや、あそこからなら上半身しか見えないから、普通の椅子に座っているように見えるか……)
「何してるんだろ、俺……」
深い溜め息をつくと、俺は膝の上に肘を乗せて、顔を手で覆い隠した。
(話しかけたいのに、話しかけるのが怖い……。もし、拒否されたら俺は……)︎
怒らせてしまった原因がわからないのなら、聞けばいい。
キスを拒んで傷つけてしまったなら、謝ればいい。
そんな簡単なこともできないほど、俺は瑛斗先輩に嫌われてしまうことを恐れていると自覚する。
モヤッとした黒いものが、溜め息と一緒に吐き出されればどんなに楽だろうと思いながら、俺はもう一度深い溜め息をつくことしかできなかった。
すると、膝の上に置いていた自分のスマホ画面が光り、メッセージが届いていることに気が付いた。
(あ、もう時間か……)
「そろそろ行くか……」
暗い気持ちを胸の奥に押し込み、首を横に振って頭を空っぽにしてから、俺は車椅子を漕いで空き教室を後にした。