目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

第150話 バイバイ……和兄

 そう言って、俺の前で膝をついて目線が同じ高さになった和兄から、真剣な顔で見つめられてしまう。


 そんな和兄の姿から、本当に最後の願いのように言っているように思え、俺は静かに頷くことしかできなかった。


「ありがとう……」


 まるで俺を受け入れるように手を広げる和兄に、俺は車椅子の上で少しだけ体を前に倒すと、体を預けるように和兄へと抱きついた。


 そして、和兄の背中に腕を回して力強く抱き締めた。


「あーあ……。ったく、本当に……」


 和兄は溜め息交じりに呟くと、抱き締め返すのではなく、俺の頭をそっと撫でてくれた。


「理央……」


 俺の名前を呟いた後、和兄が何かを言ったように聞こえたが、掠れて聞き取ることができなかった。


 すると、和兄が一歩後退ったため、俺は合図として受け止め、和兄の背中に回していた腕をそっと離した。


(バイバイ……和兄)


 離れていく和兄へ、俺はそっと心の中で呟いた。


「……。サンキュー……な。よし! とりあえず、三年の先輩どもをぶっ飛ばしてくるわ。打倒、月宮先輩ってな!」


 片手でガッツポーズをして、いつものように明るく笑った和兄は、また俺の頭を撫でてくれた。


 愛おしいものを撫でる時とは違って、少し乱暴に。


「理央はしっかり、そこから応援してくれよな!」


「うん」


「じゃあな」


 和兄は笑みを浮かべたまま、足早に空き教室を出ていった。


 俺は和兄が出ていって閉ざされた教室のドアを、そのまま見つめ続けてしまう。


「あ、仕事しないと……」


 だが、俺は思い出したように車椅子を漕ぎだして窓辺に近づくと、置きっぱなしにしていた教員用スマホを手に取った。


「やばっ、もう次のが来てた」


 気付かないうちに競技は次の新しいものに変わっていたため、俺はスマホのメッセージに届いていた新たな点数を、急いで得点ボードに反映させた。


(これで今日の俺の仕事は終わりか。えっと、今のところ二年生の白組が……。ん?)


 ふと、視線を感じて校庭に視線を向けると、そこには学ラン姿の瑛斗先輩がいて目が合った。


(瑛斗……先輩……)


 正確には目が合ったのかは、距離があったためわからなかったが、瑛斗先輩は俺のほうを真っ直ぐ見上げていた。


 俺のことを見上げているのか、それとも得点ボードを確認するために見上げているのか。


 俺にはそれ以上わからなかったが、居たたまれなくなって、まるで逃げるように車椅子を後ろに下げ、窓から姿を消した。


(あ、車椅子だってバレ……いや、あそこからなら上半身しか見えないから、普通の椅子に座っているように見えるか……)


「何してるんだろ、俺……」


 深い溜め息をつくと、俺は膝の上に肘を乗せて、顔を手で覆い隠した。


(話しかけたいのに、話しかけるのが怖い……。もし、拒否されたら俺は……)︎


 怒らせてしまった原因がわからないのなら、聞けばいい。


 キスを拒んで傷つけてしまったなら、謝ればいい。


 そんな簡単なこともできないほど、俺は瑛斗先輩に嫌われてしまうことを恐れていると自覚する。


 モヤッとした黒いものが、溜め息と一緒に吐き出されればどんなに楽だろうと思いながら、俺はもう一度深い溜め息をつくことしかできなかった。


 すると、膝の上に置いていた自分のスマホ画面が光り、メッセージが届いていることに気が付いた。


(あ、もう時間か……)


「そろそろ行くか……」


 暗い気持ちを胸の奥に押し込み、首を横に振って頭を空っぽにしてから、俺は車椅子を漕いで空き教室を後にした。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?