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11-3

【5】


「で伊丹、昨日はどういう想像してたんだ?」

『昨日は就活に苦しんでた。あと友達と三角関係になった』

「毎度展開が九十年代のドラマみたいだな……」

 今日も病室の伊丹の状態は変わらず、吞気に側の藍川と話をしている。やることのない藍川は完全に暇を持て余しており、伊丹との会話で既に数時間も時間を使っていた。少しずつ日が傾き始めていた昼過ぎ。黄色い光が部屋に差し込む。

 伊丹の眠るベッドの隣、パイプ椅子に藍川が

「お前、体が動いたら放送作家になれそうだな」

『ホント?それは夢があるね』

「ああいけるって。何なら今書き取ってやろうか?」

『やってみる?あっ、でもそんなに時間あるかな……』

 藍川は基本的に暇がない。今はラジオの謹慎に伴って仕事が減っているだけだ。本来であれば一時的に別のチームの隊長に兼任させるのが正しいが、ラジオのチームは特別である為にその処置をすることができない。故に、チーム三人を持て余してしまっている。

 明後日にはラジオの謹慎が解ける。二人の関係もそれまで。

「明日会ったら次はいつになるか。当分会えそうにないな」

『また妄想しかやることがないわけかー……いつも退屈だなあ』

「まあ、暇ができたらまたネタを持ってやって来るさ」

 その言葉を聞いて微笑みたかった伊丹だったが、その死体のような体が動くことはない。しかし、彼の心情は確かに藍川に伝わっている。こういう時だけ、彼は自分に権能があって良かったと思えるのだ。忌み嫌っている最悪の権能だが。

『良いネタが入ると妄想が捗るよ』

「……何か良い治療法があるといいな」

『……何か隠してる?』

 伊丹の視力と聴力は機能しているものの常人よりも弱い。しかし、それでも藍川の声色からわずかに見える心情を感じ取ったのだ。持ち前の言語に関する理解力と、植物状態になったことで得た他人への共感性が答えへ導く。権能がなくとも心は読める、粳部のように。

 藍川が暫く考え込み項垂れた後、顔を上げて答える。

「……確実に治療できる方法がある。だが、職員以外には使えない決まりだ」

 それを聞いて伊丹は残念に思うものの、規則ならば仕方ないと思いきっぱり諦めようとしていた。しかし、自分の体が元に戻る希望が残っていることを知ったその心は穏やかではない。自分には届かないものだと知っていても、ほのかな希望から目を逸らせなかったのだ。

 そして、藍川はそれを感じ取っている。

「すまん、言うべきじゃなかったな」

『いいんだよ。まあ、少し期待したのは事実だけどさ。なるようになるよ』

「……本当に、一生それでもいいのか?」

『治るなら治したいけど、僕は生きているだけでそれでいいんだ』

 死ぬよりは生きた死体として一生を送るだけでいい、それが彼の一番の願い。どこまでも強い生への執着は生き汚さか、それとも生きることしかできない少年のささやかな祈りか。藍川にはその両方にも感じ取れたが敢えて答えは出さなかった。どちらだろうと、少年は生きたがっている。

『例え一生このままでも、死ななければそれだけで勝ちなんだから』

「……そういえば、不老の司祭も同じことを言ってたな」

『不老……って歳取らないってこと?』

「ああ。死んだらおしまい、生きている限り万々歳と。俺にはよく分からん」

 藍川は別に自分の生死に執着しているわけではない。どちらかと言えば、どこまで生きたかよりもどう生きたかの方を気にする人間だ。蓮向かいに所属する不老の司祭はもう百年以上も生きているが、藍川が聞いた限りでは人生に不満はないらしい。

 死という概念の捉え方は人によって異なるが、不老の司祭と伊丹の考え方は似ているかもしれないと彼は思った。小学生だというのに、彼の考え方は常人の域を超えている。

『そんな凄い人と同じ考えなんて、僕って案外やるね』

「……褒められることなのか?あいつ常人と感性違うぞ」

『要するに長い目で見てるってことでしょ?ならいいじゃん』

 それは少し違うのではないかと思う藍川だったが、そこを突っ込んだところで大した意味はないだろうと諦める。一部分は小学生を超えている伊丹だったが、まだ未熟な点もいくらか残っていた。一年間の植物状態で、毎日まるで瞑想のように想像の中で生きてきた彼ではあるが未成熟そのものだ。

 その時、疲れを感じた藍川が権能を切ると目を閉じ、苦痛に耐える為に頭を抱える。心の声を読むだけとはいえ彼への負担は大きく、権能を使った反動がダイレクトに心へ返った。不意に、伊丹が轢かれた時の光景と苦痛が増幅されて藍川の中で繰り返される。

「ああっ……長く話し過ぎた……はあ」

 権能を切っている間、伊丹の声は彼に届かない。弱い権能を一日に何時間も使って、この程度のダメージで抑えられているのは奇跡だ。彼との対話が心地よかった為に権能を使っていた藍川だが、確かに無理が積もり積み重なっていた。次第に気分がマシになっていく。

 藍川が再び伊丹に権能を使う。

「すまん、そろそろ精神的に限界なんだ。ごめんな」

『毎回きつそうだねそれ……薬貰ったら?』

「残念だが薬は効かないんだ。今日はお開き、また明日な伊丹」

『うん、また明日』

 彼に別れを告げて藍川は立ち上がり、黄色が深くなり始めた部屋を出た。これから自分の管轄の街に戻ると通常業務の見回りが始まる。退屈な仕事ではあるが、また明日伊丹と話すことを考えれば耐えられるのだ。

 後ろ手に病室の扉を閉める。

「ふう……」

「あの……私、この病室の子の母親なんですけど。どちら様ですか?」

 不意に横に現れた女性に藍川が驚く。完全にリラックス状態にあった彼は病室の訪問者を予測できなかった。数日間、看護師以外にこの場所へ訪れる者は居なかったというのに、唐突に彼女はやって来たのだ。

 知らない成人男性が自分の子供の病室から出てきたら、普通の親であれば心配だろう。

「ああ、伊丹君のお母様ですね。彼の友達の進藤鉄の兄です」

「進藤……ああ、鉄君のお兄さんですか。お名前は?」

「鈴です。お見舞いに来たんですよ。昔、彼がウチに来たことがあったので」

「それはどうも……」

 咄嗟に伊丹の個人情報を閲覧した時の記憶から嘘を吐く藍川。仕事柄、嘘を吐くことが多い彼は平然とした顔で噓を吐ける為、プロであっても中々見抜けないのだ。どんな嘘でも堂々とした態度であれば分からない。

 警戒心を解き少しだけ母親の表情が和らぐ。しかし、疲れの溜まった顔つきは変わらない。

「昔の話をしてきたんです。報告したいこともあったので」

「……昔、話しかけたら指を曲げたんです。医者は信じてませんでしたが」

「自分は信じますよ。そういうことだって起きる」

「……起きて欲しいです」

 それは願望。奇跡でも起きない限り伊丹の体が動くことはない。植物状態の患者が稀に指を動かすことはあるが、それは大抵反射などで動いているだけで意識があるわけでもない。家族はそれを見てまだ意識があるのかもしれないと期待するが、真実は残酷だ。

「医者が言うには、色々試したけどもう回復の見込みはないって……」

「……でも可能性が零になったわけじゃない」

「昔は零に近い可能性に期待できました……でも、時間が経ち過ぎた」

 それを聞いて、藍川は何も言えなかった。心を権能で読まずともそれくらいは彼にも理解できた。子供が一年も植物状態で回復の見込みもないと言われれば、親とて諦めもするだろう。大人は子供程希望にすがれない。

 何度も、何度も考えた結果がこれなのだ。

「……お辛いですね」

「いえ、何とかなります……時間があれば」

「そうですか。でも、俺は諦めたくない……例え零だったとしても」

 治る見込みがなかったとしても、藍川は伊丹が生きることを諦めたくない。彼の心に触れその生存を唯一確かめられる藍川だからこそ伊丹を、今を必死に生きる人間だと認められるのだ。だが、その確信を一般人に伝えることはできない。

 藍川は真っ直ぐな視線を伊丹の母に向けるが、彼女は目を逸らした。

「それでは」

「ええ」

 藍川は軽く会釈をしてその場を立ち去る。進んだ先の曲がり角には赤く熟し始めた夕焼けが差し込み、まるで早く帰宅することを促すようだった。哀愁の漂う光景はふと足を止めたくなるような魅力があったが、歩きながら眺めるのが一番だと彼は知っていたのだ。

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