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11-4

【6】


「やあ、近くに用事があったんだ。見舞いに来たぞ」

「カタコトじゃねえか……藍川、最近見舞いに来過ぎだろ?」

 病室のベッドに横たわるガーティは藍川を呆れた目で見る。ここ数日、伊丹と話に来るついででガーティの下に寄っていく彼だったが、連日訪れる彼はまるで熱烈なファンだった。午前中、正午が近付き日差しが強まっていく中、藍川はベッド脇の丸椅子を引いて座る。

 今日が藍川の自由行動できる最終日だ。

「あーそれも今日までだ。明日からは通常運転で仕事だよ」

「どうだか。これからも仕事の合間に来るだろ?」

「ガーティ、俺を何だと思ってる?世界一暇な駄菓子屋だと?」

「あそこ客来ねえだろ」

「そんな残酷なこと言うなよ……」

 事実、藍川の店に客は来ない。賞味期限が切れそうなお菓子を無料で配るくらいには捌き切れていないのだが、彼は平然とした顔で商品を補充し店を運営している。そして赤字を一切気にせずその癖、店番を他人に任せる。傍から見れば滅茶苦茶だ。

「推測するが、本当は他の患者に用があるんだろ?お前の場合女じゃないな」

「大当たりだよ。植物状態の子としょっちゅう会ってる」

「植物……ああお前ならできるよな。全く大した奴だよ」

 藍川の権能は普通の司祭を超えている。他人の脳に干渉する権能を持った司祭は存在するが、心という存在しない物に干渉できる彼は別格だ。今は藍川もそのデメリットより便利さに着目していた。珍しく。

「で、どうするつもりなんだ?」

「……どうするって何だよ?」

「植物状態なんだろ?何か治す手を考えてる筈だ」

「……考えた。でも、俺にできることはない。組織にがんじがらめだ」

 どうあっても一般人の伊丹が蓮向かいの治療を受けることはできない。司祭や概怪絡みの案件で怪我でもしない限り、医療班を動かすことはできないのだ。こういう時に融通が利かないがそれが組織というもの。藍川もそこに文句を言うつもりはない。

「ガーティなら……こういう時どうする?」

「俺か?おいおい、俺は非常勤の職員だぞ。そんなこと聞くな」

「頼むよ、殆ど手詰まりだ」

「はあ……答えをねだるのは相変わらずだな」

 ガーティの呆れが更に強まる。藍川を六歳の頃から面倒見ていた保護者として、彼は親よりも藍川のことを知っている。故に変わった所も分かれば変わっていない所も分かっていた。困った時にすぐ答えをねだりがちな悪い癖も。

「ゴリ押しすりゃ良いだろ。簡単な話だ」

「ガーティ……これはそんな話じゃないんだ」

「そんな話だよ。お前の等級なら怖い物なしだ、命令すりゃいい」

「お上が黙ってないぞそんなの……!」

「黙らせられるさ。考えてみろ、上が何か言ってくる前に治しちまえよ」

 それは余りにも無茶苦茶な戦術。Ω+の司祭は蓮向かいにも片手の指の数程もなく、その貴重さと重要さから多少の無理を通せるだけの力がある。一人の少年に治療を施すことができるだけの力。処分を下して彼という優秀な司祭に仕事をさせないわけにもいかず、上層部はすぐ仕事をさせることだろう。

 ならば、規則は破るだけ得なのか。

「なら藍川、治療後に取引を持ち掛けてみろ。何か理由をでっち上げろ」

「半分不正だろ?あんたが非常勤になったのそういう不正が理由だろ」

「そんな不名誉な理由じゃねえよ。それに、お上は案外融通利くぜ?」

「……本当にそうかね?」

 無理難題を解決するにはもう力押ししか残っていない。何らかの条件で伊丹に治療させれば彼としては万々歳だ。しかし、取引の材料に何を使えばいいのかはすぐに浮かばない。真っ赤な嘘をでっち上げれば後が大変だ。上層部は簡単に騙されてくれる相手ではない。

 暫く考えた後に藍川が立ち上がると、ガーティに背を向けて病室の出口へと向かう。

「なあ、それでもお前は変わってると俺は思うよ」

「……常にそう願いたいが、そう都合よくはいかないさ」

「お前の師匠がそう言うんだ。素直に受け取れよ」

 藍川はその言葉を聞いて笑顔を浮かべ、病室を後にすると廊下を歩く。無色の光源に照らされる無機質な病院の廊下は、自分が自然から切り離されていると錯覚してしまう程に異質な光景だ。しかし、ここで生きている人が居ることを藍川は知っている。

 廊下を進んだ先、記憶に新しい伊丹の病室の扉を開ける。

「よお、元気してるか?伊丹」

『あっ!藍川さんだ!今日で最後なんて嫌だよホント』

「別に最後じゃないさ。暫くしたらまた会える」

 とはいえ、次に会えるのは一体いつなのか。忙しく世界中を飛び回る藍川に対して、ベッドに横たわって天井を見つめることしかできない伊丹は変わらない。いつでも、唯一の話相手である藍川を待ち続けている。最早、少年の世界には二人だけしか居ないのだから。

 彼が丸椅子に座る。

『待つ身が辛いかね、待たせる身が辛いかね』

「太宰か。よくそんな言葉知ってるな」

『家に本があるんだ。小さい頃からよく読んでた』

「……心を読む感じちゃんと内容理解できたんだな。やるな」

 少し古風な文体の小説を何度も読んで内容をある程度理解できているのは才能だ。まあ、昔の小説はそこまで高尚なものではなかったとはいえ、現代人からすれば難易度は高くなっている。伊丹の言語に関する理解度は小学生の域を超えている。

『藍川さんはどっち?僕は後者』

「俺は前者だ。ベッドで待ち続けるのはキツイよ」

『まあキツイのはキツイからね。耐えるにはコツが居るよ』

「習得したくねえなそんなコツ」

 少なくとも、自分で動くことができて天井を見つめる必要がない人間には無用な技術だ。そんなものに頼らなければならない状況は避けられるのならば避けるに越したことはない。

 藍川の笑い声を聞いて伊丹は楽しくなっていく。

「……自由が欲しいか?」

『そりゃ貰えるなら欲しいよ。でも、無理をしてでも欲しくはないかな』

「……そこで何をしてでも欲しいって言ってくれたらやったんだがな」

『嬉しいけど規則を破るのは辞めてよ。罪悪感の方がキツイし』

 伊丹は流れに身を任せるタイプの人間だ。間違った選択は選ばず、どんな結果でも受け入れるのが彼の生き方。植物状態になる前から変わらず俯瞰した生き方を貫いている。それを歪めることは藍川にもできない。

「どうにかしたい……でも良い案が浮かばない」

『そんなに気負わなくて良いよ。僕は妄想できれば何とかなるから』

「……もし、思考もできなくなったら……それでも生きたいか?」

 暫くの思考の時間の後、伊丹の中で明確な答えが出る。

『生きたい。例え何も考えない肉の塊になっても、それでも生きたい』

「……」

『生きている限り負けはないんだから』

 それはやはり藍川には理解できない考えだった。意味を求め続ける彼にとって、思考できなくなった体で生きる意味とは一体何なのか。生きている限り負けはないという考え方は彼には難し過ぎたのだろう。それはきっと、人が誇りと呼ぶものだ。

 藍川が考えを巡らせながら頭を掻く。

「それは……まだ俺には分からなさそうだな」

『やっぱり、誰かと話せると楽しいよ。退屈しない』

「これからは間隔開くんだぜ?」

『ねえ、暫く会えないんだからもっとネタ教えてよ』

「困った坊やだ。次に来る時は本でも読み聞かせてやろうかな」

 藍川に無限のネタがあるわけではない。いつか枯渇することを考えれば、読書も好きな伊丹の為に何か読み聞かせることは得策だろう。かれこれ一年は本を読めていないのだから。伊丹がその言葉を聞いて喜ぶ。

『ホント?それいいアイデアだね!思いつかなかった』

「次は持ってきてやる。何がいい?」

『あー『蟹工船』とか。実は読み始めた段階で事故に遭ったから』

「しかし変わった趣味だなお前……まあいいけどさ」

 読んでちゃんと内容を理解できるのだから大したものだ。しかし、蟹工船を読み聞かせて欲しいとねだる者はこの世に多くない。藍川も伊丹もベクトルが違うだけで両者とも変人だ。まあ、伊丹はちゃんと自覚があるだけいいのだが。

 彼が柔らかい笑みを浮かべる。

「まあ、今日はつまらない話といくか」

『そう言っていつも面白いじゃん』

 こんな日常が続いたら退屈しないのにと思う伊丹は、まだこれから自分の身に起こることを知らない。この世界で一般人が永遠を手にすることはなく、『そんな時』は突然やって来る。しかし、来たとしても受け入れるしかないのが今の彼だ。その体が動かない以上、流されるしかないのが彼なのだから。

 太陽に雲が掛かった。

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