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12-1

【1】


 蓮向かいの霊安室、冷気で息が白くなるような空間に藍川と谷口が立っている。台に乗せられた遺体袋は下半身がないのか半分が凹んでおり、その死にざまの悲惨さを見る者に思わせていた。流石の蓮向かいの治療技術でも、死後数日経った遺体はどうすることもできない。

 遺体を二人が見下ろす。

「こうまで上手くいかないとはな」

「……ギョロ目に全部持って行かれなかっただけマシか」

 職員の死体は半分残っているだけでも良い方だった。その職員が体が半分になりながらどういう手段で追手から逃げたのかは分からないが、彼は確かに死んでいてそこに死体がある。何も残らず行方不明になる職員が多い中、証拠が残っているのは僥倖だ。

「奴の配下を探させたらこれだ。職員が簡単に消えていく」

「……で谷口、死体から何か分かったのか?」

「死体の記憶を読む司祭の手を借りた結果、奴の配下と思われる司祭を発見した」

「なら……そいつを餌にギョロ目を釣るか」

 ギョロ目に操られている配下を用いて奴の根城まで侵入する作戦ならば、片っ端から探すよりは時間が掛からない。重要事件とはいえ人員を大量に割けない以上、虱潰しに探していては数年以上時間が掛かってしまう。死体が見つかったのは本当に幸運だった。

 藍川が片手を挙げると脇に居た職員が遺体に近寄り、安置用の棚にそれをしまい込む。

「どうする?」

「俺の権能でそいつを操り、ギョロ目に連絡して根城への扉を開けさせる」

「……どう考えても成功する確率は低い」

「まあ、俺も成功するとは思ってないさ。でも、これくらいしかすることがない」

 藍川の権能であれば大抵の相手の心を操作できる。ギョロ目の支配下に置かれた手先を何とかして捕まえ、彼の権能を使って敵をおびき出させる。操ってギョロ目に根城までの通路を開くように要請させれば、そこから一気に突入できる。

 しかし、それらは全て机上の話だ。

「こちらが動く前に奴が手下を切り捨てる可能性は?」

「流石にこっちが保有してる司祭の権能までは知らない筈だ。まだ生きてるさ」

「……ならば時間は無駄にできない。今すぐ動く」

「まあ、動きたいのは山々なんだが……やることが山積みなんだ」

 ラジオの謹慎が終わったことで、それまで溜まっていた仕事を片付けなければいけなくなったのだ。ギョロ目の案件は他と比べて優先度が高いものの、それでもΩ+が担当すべき案件は多い。休み中も色々と忙しかったがここからはもっと忙しくなる。

 だが、それ以外にも懸念があった。

「当てよう、粳部のことだな」

「一週間近く部屋から出てないらしい。ラジオに引っ張り出させてる」

「……お前は行かないのか?」

「俺が行ったってどうにもならないさ……」

 権能がなければ人並み以下の藍川では彼女を助けられない。不必要に人の心に踏み入ろうとしない彼に、粳部の繊細な心に触れるような度胸はないのだ。望まない力で今の地位に祭り上げられただけで、彼は元々そんな気概のある人物ではない。

 弱気な表情の藍川と仮面で隠し続ける谷口。

「皮肉だな。心の司祭が不器用で弱気な男だとは」

「笑えるよな」

「生憎、そこまで心を失ったわけではない」




【2】


「粳部……仕事だから出てきて」

 インターホンを押しながらそう話しかけるラジオ。粳部は蓮向かいの基地内にある自室に篭り続けており、もう一週間近く外出していなかった。ラジオはその権能故にある程度の生活音を聞いているが、彼女が部屋の外へ出る音は一度も聞こえなかった。粳部がいつもしている調べ物すらもなかったのだ。

 白く埃一つない無機質な廊下にラジオの声だけが響く。

「……食堂の利用が無料になった」

「餌で釣ろうとしないでください……」

 自動扉が横に開き粳部が現れる。酷い寝癖の彼女はそこまで落ち込んでいるわけでもなく、ラジオの言葉にツッコむくらいの余裕はあった。まあ、虚勢とも見て取れるのだが。

 素の出ているラジオは真顔のままだった。

「ちなみに食堂が無料なのは本当」

「この組織そういうサービスはホントに良いっすね……」

「休み中、ハンバーガーのデリバリーずっと頼んでた」

「権能で聞かないでください!プライバシーの侵害ですよ!」

 とはいえ、実際に権能を使ったのかどうかは藍川くらいにしか分からない。蓮向かいの施設内には放送用に大量のスピーカーが設置されており、やろうと思えばラジオはあらゆる情報を吸い上げることができる。故に、彼女は上層部のお気に入りなのだ。

「で、仕事って何ですか?」

「付いて来て……」

 そう言って手招きするラジオに従い廊下に踏み出す。粳部はポケットからカードを取り出すと扉に近付き鍵をかけ、先を急ぐラジオを追いかけて速度を合わせる。数人の職員とすれ違う中、二人は無言で廊下を歩き続けエレベーターの前で足を止める。ラジオが下へ向かうボタンを押した。

「……今回は監視をしながら捜査に当たってもらう」

「監視?もしかして監督じゃないですよね……」

「彼じゃない。まあ、あなたと面識はある」

「面識?面識って言ったって……さっぱり」

 過去に会ったことのある人物の顔を思い出そうとする粳部だったが、監視の必要な人物は映画監督以外に思い浮かばない。監視が必要になるような危険人物は早々出てこない。誰も彼もインパクトが強い人物ではあるが、映画監督に並ぶ危険性を持った者は居ないのだ。

 エレベーターが到着し二人が乗り込むと、ラジオが最下層のボタンを押して下り始めた。

「会えば分かる……まだ講習中だから指導してあげて」

「えっ?そんな人と会ってましたっけ……というか私が教えるんですか?」

「今回も藍川と谷口が着いて来るけど、二人は別の任務を兼任してる」

「……いっつも忙しそうですね。もう一週間会ってないです」

 粳部が悲しげな笑みを浮かべる。嫌なことだらけの日々を越え、もう何もしたくなかった彼女はずっと自室に閉じこもっていた。それでも藍川とは話をしたかったし会いたくもあった。しかし、お互いに何を話せばいいか分からない上に、何かを聞く度胸もなかった。

 四十階以上も下っているだけはあり、扉の上にある階の表示が目まぐるしく切り替わっていく。

「あなたが呼べば藍川はすぐ来る……」

「いやあ……流石に私なんかの為には来てくれませんよ」

「……半分嘘」

 ラジオの指摘はある意味正しい。粳部は内心、自分が呼べば彼は必ず来てくれると分かっていた。だが、それは彼女が望む形では決してない。彼には粳部に話していない何かがあり、何かと彼女に気を遣うのはそれが理由なのだと思っていたのだ。

 未だに未練がましい自分に嫌気が差す粳部。

「まあ、来てはくれると思います。でもそれは鈴先輩の罪悪感が理由ですから」

「……もっと個人的な理由が良いの?」

「えっ?ああその……それは」

 踏み込んだ質問をするラジオに粳部が少しはにかむ。こう見えてそれなりに精神分析ができるラジオは、今まで盗聴した情報も参考にして答えを出していた。彼女が彼のことをどう思っているのか。これはその上での意地悪な質問。

 エレベーターは下り続ける。

「……何で気付いたんですか」

「プロファイリングが専門だから」

「私は犯人ですか……まあ、不貞を企む最悪な女ではありますが」

「別に藍川は既婚者じゃない……」

 とはいえ、姉が失踪した隙を付け込んで取り入ろうとするのは褒められたことではない。数ある奪い方の中で最悪とも言えるやり方。諦めが付いたところで居なくなってくれたらこんなにも彼女が苦しむことはなかっただろうに、失踪したタイミングが悪かった。

 上を見上げる粳部。

「……最低ですよ、姉から奪おうと考えるなんて」

「……そうかな」

「仕事の嫌なことは多分……頑張れば乗り越えられます。今回みたいに時間があれば」

 しかし、そこには根深い問題がまだ残っている。

「でも、先輩と話しても自分が嫌いになるだけですから……」

 ラジオは何も答えない。演技をしている時であれば口は達者だが、そうでない時はこのありさまだ。それに粳部と藍川の関係は上手く言語化できるものではない。粳部の曖昧な想いに口出しすることは地雷に触れかねないことだった。

 エレベーターが最下層に辿り着き、その扉が開く。

「ここからあと少し」

 そう言って扉が閉まった後、ラジオはカードを取り出して端末に近付ける。そして顔を近付けて網膜を読み込ませると、エレベーター内の照明が赤くなり再び降下を開始する。困惑する粳部が上を見上げるとそこにはNullとだけ表示されていた。

「えっ、凄い仕組みですね」

「そろそろ……」

 粳部が自分は今地下何階に居るのかが分からなくなった頃、到着を知らせるベルと共に扉が開く。そこも無機質な空間であることに変わりはなかったが、赤い照明で照らされた空間は粳部を身構えさせるには十分な暗がりだ。

 二人がエレベーターから出ると歩き出す。

「ここは何の区画ですか?施設については調べてなくて」

「観察中の囚人を隔離している区画。もしもの為に厳重警備……」

「……えっ、まさかここが目的地ですか?」

 粳部の疑問に答えることもなく、彼女は扉付近に居る警備員に近寄るとカードを手渡す。粳部も提出を求められてそれを手渡すと、警備員はカードを機械で確認した後に口を開く。

「今日の合言葉は?」

「虎よ、虎よ。で、彼女は申請した通り私の部下です」

「……はい、確認が取れました。お気をつけて」

 そう言われ関所の奥に進んでいく二人。この基地の複雑な構造は一生覚えられないだろうなと思いながら、粳部は人気のない赤い廊下を眺めていた。ラジオは部屋の扉に描かれた番号を確認し、ある扉の前で足を止め扉を開いた。

「ここ」

 扉が開かれ中に入ると、そこに居たのは白衣を着た職員と双子の女性。その顔を見た粳部はラジオの言っていたことの意味をようやく理解する。粳部が知っている人物で監視が必要な重要人物。全ての条件が当てはまる双子。

 粳部の脳裏に激戦の記憶が過る。

「ら、ラジオさん!この人達って……!」

「ええ、妹が付与の司祭クーヤー。もう一人は姉のカーラーです」

「……クーヤー、不死身の怪物が居るよ」

「そうだねカーラー、あのバチバチ男の仲間が居るね」

 それはかつてサンダー兄妹と粳部によって倒された双子の司祭。厳密に言えば司祭なのは妹のクーヤーだけなのだが、二人が圧倒的な戦力であることに変わりはなかった。あれだけ苦労して捕まえたというのに、今こうして粳部の目の前に居る。

「何でこうなるんすか……」


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