【5】
二台の車が住宅の壁の前で停車する。乗用車からバレルと藍川が降りると、その後ろに止まっていたワゴン車へと歩いて行った。コロンビアの夏の日差しが降り注ぐ中、二人は鳥の鳴き声しか聞こえない辺りを見渡すと耳元の無線機に手を当てる。
「見張りは居ない。LSTはこの中だ」
「ラジオ司祭、敵の動向は?」
『異常なし。巡回して敷地内を警戒してます』
明日の暗殺に備えて国内を移動するLST。その拠点の一つを押さえるのが彼らの任務。Ω+の藍川とγ+のバレルが居れば、相当の腕前の司祭が何人か居ない限りは赤子の手をひねるような話だ。武装したテロリスト程度、司祭にとっては造作もない。
とは言え、大統領の暗殺に備えて彼らは本気だった。彼がワゴンのバックドアを開けると、中から特殊装備に身を包んだ職員達が現れる。
「出番だお前ら。正面と裏口を押さえてくれ」
「私達は内部に突入する。逃げる奴が居たら頼むぞ」
「了解」
特殊装備『TT-14』に身を包む職員達は小銃を抱え、窮屈そうに動きながら遊撃車を降りて走り出す。蓮向かいの特別製のパワードスーツを装備した彼らは重装甲でも身軽に動き、すぐに全員が配置に就いた。大統領の暗殺ともなるとここまでの出費も認めてくれるわけだ。
藍川がぼやく。
「やけに太っ腹だな。TT-14を使わせるなんて」
「ここは蓮向かいに非加盟だが国連には属してる。これくらいはな」
「政情が不安定で基地も建てられないから、安定に必死なわけだ」
国連の全ての国が蓮向かいに加盟しているわけではない。政情や治安の悪い国は例え国連に属していたとしても、機密保持の観点から蓮向かいについて知らされておらず加盟していない。反政府勢力が跋扈するような国は信じられないのだ。
「加盟国の大統領は蓮向かいの傀儡だが、ここの大統領じゃ駄目だな」
「ああ、コロンビアの政情じゃ……加盟は遥か未来だよ」
「……あの大統領、守る価値あるのかねえ」
藍川が壁に寄っていき、体を壁に付けるとバレルに手招きする。
「バレル、アレくれ」
「アレだけじゃ分からん……」
そんな苦言を呈しつつも彼女はすぐにポケットから鏡を取り出し、手渡すと彼はそれを掲げて壁の向こう側の様子を伺う。敷地内を巡回中のテロリストや窓の見張りの位置を確認すると、藍川は突入後の段取りを考える。テロリストを誰一人として逃がすつもりはない。
「外の見張りは俺が潰す。バレルは二階の見張りを潰してくれ」
鏡をバレルに返すと彼女も建物の様子を観察する。
「最高速度なら行けそうだな」
「要は、気付かれなきゃいいんだ。行くぞ」
二人が跳び上がると壁を越えて敷地へと駆け出す。全速力で駆ける藍川はすれ違いざまに見張りの胸を殴ると失神させる。何が起きたのかを認識すらもできなかった気張りは倒れ、藍川がキャッチするとゴミ捨て場に突っ込んで蓋を閉める。
バレルも彼に負けない速度で駆けると跳び上がって二階のベランダに乗り込み、見張りの口を抑えると胸を殴り失神させた。そして伸びた体を物陰に隠すと室内に侵入し、音を殺しながら進むと窓から監視しているテロリストを殴りつけた。倒れる前に彼女が受け止めると部屋に入り、タンスに体を突っ込む。
『まだ敵は気付いてません』
「二階に入った」
『外の見張りは全滅したぞ』
あっという間に外の戦力を藍川が殲滅していた。無線から聞こえた報告を受けてバレルはドアに身を隠すと外を覗き、廊下を歩くテロリストを目視する。まだ異変に気が付いていない呑気な敵に、バレルは決して容赦しない。
「結鎖」
そう静かに唱えると光の鎖がテロリストの首を締め上げ、彼女が引き寄せると顔を殴り失神させる。伸びた男を再びタンスに詰めて閉じ込めると、バレルは音を殺しながらゆっくりと廊下に出る。
彼女は小声で無線機に話す。
「二階は制圧した」
『おう、俺も』
藍川がそう言った後、廊下の吹き抜けの下から呻き声が聞こえたかと思うと大きな物音と共に静かになる。バレルが恐る恐る吹き抜けを鏡で覗き込むと、一階でテロリストのを伸していた藍川が気が付きピースして見せる。
「今制圧した」
バレルは安堵して一階に飛び降りた。
「はあ……早いな」
「そういえば、こういう奇襲ってお前の仁義に反するんじゃないのか?」
「ん?ああ、いいんだよ。国家権力なんだからこれも正々堂々だ」
「……まあ、そういうもんか」
藍川は懐から手錠を取り出すと伸しているテロリストを拘束する。一人だけ意識のある男は痛みに悶えつつも恨めしそうな表情でバレルの方を見た。一瞬で仲間が全滅という現実は簡単に受け入れられる状況ではない。
「何だお前ら……何も話さんぞ」
「おう、お前には聞いてないさ」
その瞬間、藍川は『
彼が眉をピクリと動かす。
「なるほど……違法なトンネルで人と武器を輸送してたのか」
「ほーう」
「は、はあっ!?」
「爆弾入りトラックと潜伏先の場所が分かった。ラジオ、急行してくれ」
『了解、住所送って』
【6】
「ラスティ、ちょっといいか?」
「ジョン、進展か?」
ソファに座り両手を組んでいたバーディ・ラスティが顔を上げる。組織のトップらしくドンと構える彼ではあったが、暗殺が明日に迫る中状況は芳しくなかった。ジョンと呼ばれた男は落ち着かない様子で彼と反対側のソファに座る。
「偵察に行った奴が確認した。二班は多分、もう全員逮捕された」
「……やっぱり、トンネルがバレたのか……?」
「明かりも人気もなかったそうだ。武器庫も押さえられたわけだな」
違法にトンネルを作り人と物資を輸送する。原始的な手法ではあるが、通常の輸送の手法と異なりそう簡単に見つかることのない確実な手法なのだ。トンネルの存在を隠すことさえできればという条件が付くが。
バーディが頭を抱える。
「あと、爆弾トラックからの定期連絡がない……」
「まさか、もう起爆したなんてことはないよな?」
彼がヘッドフォンを付けた部下の方を向くが、部下は首を振ってそれに回答する。
「そんなニュースは来てない」
「……政府側に情報が洩れてるな、これは」
「どうするラスティ。待機してた別動隊も昼から連絡が取れない」
状況は最悪と言っても良かった。既に別動隊はバレルと藍川によって制圧され、そこから洩れた情報によりトンネルや第二班は制圧されたのだ。幸い、司祭であり首領であるバーディ・ラスティと、その部下のジョン・フレデリックはこうしてピンピンしているがそれも時間の問題だった。
バーディが自分の顎に触れる。
「俺達は念の為に隠れたが……暗殺の準備中の法術使いは捕まったかもな」
「……あと三十分で定期連絡だが」
「無理だ。で、俺達一班と三班だけで挑むわけか」
「二班が補給部隊の役割だったのに……補給なしじゃ厳しいぞ」
兵糧は戦術の基本。故に最大の機密だったというのに、こうしてバレてしまうとLSTももうおしまいだ。大統領の暗殺後に議事堂を押さえ政権を奪う手筈だったが、この調子では奪えても維持ができない。司祭という核に勝る戦力があったとしても、支配を行う為には普通の人間の兵力が必要だ。
バーディがため息を吐く。
「戦術を組み直すが……他の反政府勢力と協力する必要があるかもしれない」
首領のその言葉を聞いて周囲の仲間が動揺する。それは彼らの信条に反する提案だった。新興の組織でまだ構成員も少ないLSTは戦力に欠ける。だが、それでも他の勢力と協力関係を結ばないことには理由があった。
仲間がバーディの下へ近寄る。
「待ってください!あいつらと組むのは駄目です!」
「薬と人身売買をするような奴らだろ!ラスティ考え直せ」
「ああ分かってる!犯罪を許さない為にLSTが生まれたんだ!」
コロンビアの反政府勢力は、活動資金を得る為に違法薬物や人身売買で利益を上げるケースがある。警察が麻薬の為の畑や工場を制圧した結果、麻薬カルテルは反政府勢力に資金提供ができなくなった。その結果、反政府勢力自身が麻薬を生産するようになったのだ。
これもある意味、ミイラ取りがミイラになると言えるかもしれない。
「バーディ、クリーンな組織を作りたいと……言ったのは君だ」
「……だが、現政権を潰せてもこの戦力じゃ支配力に欠ける」
「まあ……人減ったしな。他勢力との協力は合理的だ」
「お困りのようだね?」
その時、空いていたソファにヴィスナが座る。誰も奴が現れるところを見ておらず、どこからどうやって音もなく現れたのかは不明だった。その場に居た全員が声の方を見ると顔を青くし、一斉に銃を向ける。
「わーわーそんな物騒な物を向けないでくれ」
「お前誰だ。仲間をやったのはお前か?」
「いやいや、自分は贈り物を渡しに来ただけだよ」
そう言って手を振るヴィスナ。その動作でヒビが入っていた鎧が砕け、破片が床に落ちる。以前の戦闘で鎧が破損した結果、象徴的だったギョロ目は失われてしまっていた。しかし、中身に何も問題はない。
「ああ、鎧がボロボロだ」
「……贈り物?」
男なのか女なのか分からない声で、ヴィスナは笑い声を上げた。
「戦力だよ」