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15-4

【7】


「まずは名乗ろう。自分はヴィスナ、スポンサーだ」

「……お前、司祭か?法術使いか?」

 堂々と語るヴィスナをバーディが警戒するのは当然だ。実力としては相当の司祭である彼にも底が見えない、まるで目の前に大きな穴があるような感覚を覚えさせる怪物。どんな敵とも違う独特な威圧感を放つ怪物を恐れることはごく自然なことだ。その鎧の下に何があるのか、その場の誰にも分からなかった。

 ヴィスナはソファでくつろぐ。

「好きに考えるといい。自分は君達に司祭を複数人提供する用意がある」

「……対価は?」

「死体が欲しい。少なくとも一万人以上」

「……却下だ」

 バーディは歯噛みしながらそう答える。ヴィスナの提案は受け入れ難いものだ。彼は大統領を暗殺し政権を取る為に戦う覚悟を決めていた。だが、それは不必要に人を殺す覚悟ではない。一万人というのはどう考えても度を越している。

 ジョンが彼に詰め寄る。

「ラスティ!」

「ジョン!司祭が複数人居ればそこまで殺す必要はない!」

「だがもし敵に司祭が居たら現状じゃ不利だ!」

「俺たちは虐殺する為に戦ってるわけじゃないぞ!」

 ヴィスナという悪魔の為に不必要に人を殺し、政権を確実に獲るか。それとも良心に従い少ない戦力で政権を獲りに行くか。例え新政権を樹立できたとしても少人数では支配力に欠ける。他の反政府勢力が勢いづき争い合うのはLSTの望みではない。

「でも今のままじゃ無理だ!他の反政府勢力を勢いづかせる!」

「従順な普通の兵士も武器も、司祭も供与するよ。どうかな?」

「その手には乗らない……我々はお前と手を組まない」

 バーディはそう言い切った。悪魔の囁きは魅力的だがその為に人の心を捨てることはできない。それは自分たちが憎む現政権と同じレベルまで落ちるということ。ヴィスナの提案に乗ることは絶対にできないのだ。

 彼の言葉に首を傾げるヴィスナ。

「本当にいいのかい?」

「ああ」

「……まあいいや。気が変わったらこの番号に連絡してね」

 そう言うとヴィスナは机に携帯電話を置いて立ち上がり、指を鳴らすと空間がひび割れて裂け目が開く。暗闇の広がるその穴に怪物は入っていき、その姿が見えなくなるとひび割れが消えて穴が閉じる。

「……何だったんだ。ありゃ」

 奴が居なくなった後に冷や汗をかくバーディ。奇妙な威圧感から解放された後も、その恐怖から彼らは縮み上がっていた。ほんの少しの間だけの接触だったというのに、記憶に焼き付いた異質な覇気はそれを忘れることを許さない。

 だが、バーディは取り残された携帯電話をポケットにしまった。





【8】


 夜、安アパートの二階の一室。コロンビアは湿度が低く日本のような寝苦しい熱帯夜になることはない。扇風機が首を振りながら少し暑い室内に風を送る。野良犬の吠える声やバイクの走行音が響く夜、バレルと藍川が室内でくつろいでいた。

 その時、音量の小さなテレビの音にノイズが入る。

『これで第二班と待機組と武器庫、トラックの爆弾を押さえたわけですか』

「ラジオ司祭?」

「急に喋るな、驚くだろうが」

 ラジオは権能の有効範囲内で音の出る機械であればジャックできる。サッカーの生中継が映る中、ラジオがノイズ混じりの声で二人に話しかけてきていた。ソファに座るバレルはかしこまった体勢になり、ベッドで寝転ぶ藍川は姿勢を変えずに話をする。

『どうやったって驚くでしょ』

「それもそうだな」

「ラジオ司祭、第一班と第三班の場所の目星は?」

 喋りながら冷蔵庫に向かうバレル。

『第三班については目星が。今急行してます』

「流石に、第二班を潰せば隠れるわな」

 コロンビアの国土はそれなりに広い。日本の約三倍の国土を持つこの国は移動が困難だ。蓮向かいに属する国であれば法術を用いたワープ用の扉を設置して楽に移動できるが、治安の悪いコロンビアにそんな物は設置できない。

 故に車で移動するしかないわけだ。

『私の権能の有効範囲外ですから、探知できる所まで行かないと』

「でも、確実に追い詰めてます」

『あと、法術使いを拘束したと連絡が。藍川の読み通りの場所で』

「これで連中は直接暗殺に乗り込む以外なくなったわけだ」

 法術による遠隔での暗殺が一番の懸念だった。法術で呪殺しようとするのであれば直接守ることができず、術をかけようとする法術使いを直接止めないことにはどうにもならない。拘束できたのは不幸中の幸いだった。

 バレルが冷蔵庫を開けて中を漁る。

『それじゃあまた後で』

 それだけ言うとラジオからの連絡は途絶え、元に戻ったテレビは通常の音声が流れ始める。ノイズ音は消え去りサッカーの試合の歓声が響き渡ると、藍川がリモコンを取り電源を落とす。そして、枕元のラジオの電源を入れるとメロウなBGMが流れ始めた。

 バレルが冷蔵庫の扉を閉めて彼の方へ振り向く。

「なあ鈴、アレどこにしまったんだ?」

「アレじゃ分かんねえよ。冷凍庫の右奥だ」

「了解。しかしこのセーフハウス、ちょっとぼろいな」

 とは言え、そんな贅沢は言えない状況だ。彼らは既に反政府勢力に喧嘩を売ったわけであり、明日の襲撃に備えて隠れているわけである。各地に存在する職員用のセーフハウスは狭いが、一晩夜を明かすには十分な空間だった。

 彼女が冷凍庫から缶ビールを取り出し、ソファに戻ると寝転ぶ。

「第三班を押さえたら連中はほぼ壊滅だね」

「司祭の居る一班が不安要素だがな」

「でも、もう組織と呼べる程の人員は居ない……」

 組織というのは何人から組織と呼べるのか。これはもうそういう問題である。LSTはもう政権を取ったとしても実行支配することができない。司祭二人と武装した数人で広大な地域を力で押さえるというのは無理があるのだ。武器という明らかに脅威と分かる物ならまだしも、司祭という見た目で脅威が分からない物を民衆は恐れない。

 バレルが缶を開け炭酸ガスの音が響く。

「……少し気の毒だな」

「ん?どうしてだ」

「いや、LSTは麻薬や人身売買をやらない潔白な組織だ。現政権よりマシだよ」

「相当嫌われてるんだな、今の政権」

 嫌な顔をしながら缶ビールに口を付けるバレル。好きな酒を飲んでいるというのにその表情は暗く、まるで思い出したくないようなことを思い出させられているようだった。今夜の晩酌は上機嫌とはいかないらしい。

「前政権は人身売買だが、今度は麻薬の噂だ……まあ前よりはいいか」

「……前か。もう移住した方がいいぞ、こんな国」

「愛着があるんだ……それに、離れたくないんだ」

 どんなゴミダメでも生まれ育ったのであれば何らかの感慨があるものだ。今まで過ごしてきた全てが嫌なことだったわけでもない。ただ、大手を振って良い思い出があると言える程に良いことがあったわけでもない。そこにあってくれるだけでいい、それだけがバレルに言えることだった。

 メロウな曲が流れる中、缶ビールを飲み干した彼女は天井を見上げた。

「この話は……多分、まだ鈴にはしてない」

「……そう」

「弟が居たんだ。生きてたら君と同い年の」


 全ては八年前、今と同じ八月の乾いた暑さが続く日。冷房の効いたタコス屋の店内のボックス席で、バレルはタコスを食べる目の前の少年を見つめていた。汗に当たる風を冷たく感じる中、彼女は食事を続ける少年に話しかける。

『……カルロス、本気で言ってるのか?』

『冗談でこんなこと言わないでしょ』

『君まで大学に行ったらウチの家計はパーだぞ!』

『姉ちゃんだけ行くなんてフェアじゃないだろ』

 大学の入学は来月の九月。高校生のバレルは念願の大学進学を果たしたが、それはかなり珍しい例であった。貧富の格差が激しいこの国では、高校への進学率は五割と言われており大学への進学率は二割を切っている。だが、バレルの家は経済的な理由を気にしなくていい程の余裕があるわけではない。

『私は良いんだ成績的に!頑張ったんだから』

『俺くらいの頃はそこまで良くなかったでしょ』

『よく聞けカルロス。質問だが、我が家は大学生二人を養える余裕があるか?』

『ないだろ』

『分かってるならやめろ!』

 タコスを食べ終えてジュースのストローに口を付けるカルロス。不満げな表情でそれを吸い上げると空になった音が響き、彼がジュースのカップを机に置く。賑わう人の多い店内に反して会話の内容は暗かった。

『アルバイトで多少は足しになる』

『それで足りるわけないだろ……』

『んじゃ運び屋でもやるかな。それか売血とか』

『絶対に辞めろそういうのは!そんなことしなくていい!』

 四百ミリリットル当たりの血液の価格は日本円にして九千円前後。定期的に血を売ればそれなりの利益を上げられる。だが、当然コロンビアでは売血を行うことはできない。必然的に隣の国に向かうか犯罪者と取引するかしかなくなるわけだ。

 姉弟仲は悪いものの手を汚すことを見逃すバレルではない。

『んじゃどうしろと』

『とにかく不正は駄目だ!正々堂々やるんだ!』

『またそれか……他にどうしろって?』

『……母さんはな、ずっと頑張り続けてるんだ。私達の学費の為に』

 バレルの父親が離婚し養育費を振り込んでいるが、家族三人が上手くやるにはそれだけでは足りない。バレルもアルバイトをして彼女の大学の学費と、弟の高校の学費を捻出することで精一杯だったのだ。やれるだけのことはやっているのである。

 バレルが頭を抱えた。

『そもそも君勉強嫌いだっただろ……どういう風の吹き回しだ』

『言ったってどうにもならないでしょ』

『……あのなあ』

 姉弟の仲は芳しくない。元々幼少期から仲が悪く、話も少なく互いに関心があまりない間柄だったのだ。話が噛み合わないのは当然で、相手が何を考えているのかもそこまで分からない。二人は姉弟としては機能不全だった。

 カルロスが窓の外を眺める。大きな窓の向こうでは通りを沢山の人が往来しており、単純な暑さだけでなく密集による暑さが蔓延していた。しかし、店の中に居る二人には関係のない話だった。

『お袋の為に稼ごうと思ったら、大学が一番良いと思ったんだ』

 その意外な回答を聞いたバレルは目を見開き、眉をピクピクと動かして彼の言葉の意味を考える。何を考えているか分からない弟が、母親の為に大学に行きたいと言った。その意味を理解した彼女はどう接するべきかを不慣れにも考える。

『……できるのか?』

『やるしかないでしょ』

 彼女が考え込んだ後に炭酸水に口を付けると、少し飲んだ後に難しい表情をしつつカップを置いて回答する。

『私が大学を出て就職するまで、バイトと学業両立できるか?』

『できる』

『……就職したらその分金を出してやる。それまで真面目にやれよ』

 彼女がそう言うとカルロスの表情は少しだけ緩む。

『ありが』

 彼が言いかけた刹那、ガラスを突き破って進む弾丸が弟の頭を貫く。大通りで小銃を振り回す男は特に狙いを定めずに乱射し、割れた窓や壁から撃ち込まれる弾丸に店内はパニックになる。

 即死したカルロスが座席に倒れる中、バレルは咄嗟にテーブルの下に隠れた。

『カルロス!カル!隠れろカル!』

 既に死んでいる彼のだらんと垂れる手を引っ張って呼ぶバレル。だが、運の悪いことに奇跡的な確率で小銃の弾は頭部に直撃したのだ。死体蹴りも良いところで、更に二発も腕と胴に命中しカルロスの死体は損壊していく。どう足掻こうと彼の死は覆らない。

 銃撃の音が響く中、床に血が垂れる。

『隠れなきゃ……動け!』

 死体はもう何も必要としない。


 バレルがソファからゴミ箱へ空き缶を放り投げる。ゴミ箱を見ていなかったというのにそれは命中し、見事にゴミ箱の中へ落ちていき音を鳴らした。ホールインワンだというのに彼女の表情は暗い。

「あの日、事件を起こしたのも反政府勢力だった……」

「……そうか」

「今も昔も変わらない……酷い政治に、反発する勢力」

 彼女の弟が死んだ時の政権から別の政権に変わっても、終わらない内戦の終着駅は見えなかった。彼女が蓮向かいに加入しても終わることはなかった。自分で考えて行動するトップよりも、蓮向かいの上層部の傀儡となっている国のトップの方が優秀というのは皮肉な話だ。

 ベッドに寝転び天井を見つめていた藍川は彼女の方を向く。

「憎くないのか、政府側が」

「いいや。私は反政府勢力を認めない。正々堂々やらない奴を認めない」

「正々か……」

「いかに正しくても、テロで民間人を巻き込む輩は認めないよ」

 全ては過程に意味があり、正々堂々と筋を通して目的を果たす。それがバレルという人間のこの先も変わることのない生き方だ。故に間違った手法を認めることはなく、疑わしくても武力による政権の変更は認めない。

「弟の敵討ち……ってならおすすめしないぞ」

「そんなことしないさ。もう終わった話だよ」

「……カタリナ」

「ハハッ、その名で呼ばれたのは一年振りかな」

 バレル・バーン・バンカー、その本名をカタリナ・トーレス。彼女のことをそう呼ぶ者はもう彼女の両親と僅かな友人と藍川くらいだ。懐かしい名前で呼ばれた彼女は喜ぶと体を揺らしソファを軋ませた。

「大統領の不正の調査は進んでる。弾劾は近いぞ」

「それでも、一応は守らなきゃいけない」

「……正々堂々に囚われて、目的を見失ってないか」

 バレルが俯いて考え込む。それでも彼女の中で正解は出ない。二つの考えが揺れ動く彼女の心は藍川でなければ読み取れないだろう。とは言え、彼も読もうとはしないだろうが。

「お前は正しいことがしたいんだろう?」

「白状すると分からないんだ。正しい結果を求めてたのか過程を求めてたのか」

「……」

「私は、ずっと弟と向き合うことから逃げてた。仲が悪いと言い訳して……」

 藍川が上体を起こし彼女の方を見る。

「怖かったんだ、弟が。だから殆ど話もしなかった」

「でも、最後は向き合っただろ」

「もっと早く私から話をすれば……あんなことにならなかったんだ」

 だが、全ては後の祭りだ。もう死んでしまった人はどうにもならない。たらればの話も意味はない。事実は既に確定してしまっているが、その事実をどう解釈するかは当人に委ねられている。

 バレルが自分の膝を抱えた。

「私はその実、正々堂々なんて向かない女なのかもな……?」


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