【11】
「目的地まで二キロ。ラジオ司祭、状況は?」
『……変ですね。まだ誰も発見できないなんて』
「ちょこまか逃げたがこれでLSTも最期だ」
廃墟から廃墟へ飛び移り移動するバレル。緊急時は車を使うよりも全速力で駆け抜けた方が早い。彼女は焦るような駆け足だった。各地にばらけたテロリストをあと少しで全員逮捕できるというのに、急に敵に動きがなくなっていたのだ。気掛かりも当然である。
少し黙った後、バレルが無線の向こう側の藍川に話しかける。
「鈴、一人で大丈夫なのか?」
『まるで俺がガキみたいだな』
「……約束してくれ、もう権能は使わないって」
『そりゃ無理だ』
笑いながら彼女をあしらう藍川。段々と彼は正気を失いつつある。権能の反動によって自分の心が擦り減っていくペースが、心が回復するペースを完全に上回ってしまっているのだ。このままでは彼が廃人になるのも時間の問題だ。
彼を想うバレルの気持ちを藍川は無視している。
「鈴……何でかは知らないが、相当弱ってるだろ君は」
『俺が弱ってるのはいつものことだ』
「幻覚と幻聴が見えてるだろ!」
『何とかなるさ』
その言葉に根拠はない。ただ漠然と、それでも目的を果たすことはできるだろうと藍川は思っていた。正常な思考ができなくなり始めている彼は人の話を聞かない。粳部が居ない今、それは歯止めが効かない。
その時、ラジオが二人の会話に割り込む。
『待って、強化歩兵が撃破された』
『パワードスーツ持ちが?配置場所に司祭は居ないんじゃ……』
『……おかしい。敵の足音が十数人……二十人居る!』
「ま、まだ戦力を保有してたのか!?」
強化歩兵の装着しているTT-14を破壊しようとするには、相当に武器が充実している上で頭数が必要だ。特に二機のTT-14を破壊するには二十人は必要だろう。しかし、LSTにはもう司祭以外ではそんな戦力はない。
だがその時、バレルが外の銃声と悲鳴に気が付く。何が起きているのかと廃墟の吹きさらしから下を眺めると、そこには逃げ惑う民衆に装甲車から銃を撃ち込む武装集団の姿があった。
「な、何だこれは!?」
『パニックが起きてる……無差別テロ!?』
『こっちも敵と遭遇……おい数が増えてないか?』
五台の装甲車が大通りで銃を乱射し、車の影に隠れた兵が警官らと交戦する。地面に伏せて弾から逃れようとする民間人も居たが、近寄った兵は流れ作業のように何人もの頭を打ちぬいていく。
ブチ切れたバレルは全速力で廃墟から飛び出し、装甲車を踏み潰すとそのまま蹴っ飛ばして複数台を巻き込んでいく。中に居た兵は全員重症だが今はそんなことを気にする余裕はない。
「貴様らああああ!」
バレルが集中砲火されるがその全てを概念防御が受け止め、全身で弾丸を弾くと手刀で何人もの兵の体を切り裂き、目にも止まらぬ速度で敵を処理していく。敵がバズーカを構えた瞬間に彼女はそれを輪切りにして分解し、蹴り飛ばして地面に転がせた。普通の兵は司祭の敵にならない。
「どうなってるんだ!」
『心を読んで分かった!こいつらギョロ目から戦力を供与されてる!』
「ギョロ目?ギョロ目って何だ!」
『最悪の武器商人と思ってください!』
装甲車に武器弾薬、兵士に司祭や概怪まで用意してくれる悪魔のようなスポンサー。支払う対価は誰かの命。死体の山の上で微笑むヴィスナは誰にも止められない。
民間人を襲う兵に向かってバレルが駆け出した瞬間、横から割って入ったバーディが彼女を蹴飛ばす。大きく吹き飛ばされたラジオは廃墟の壁を何枚も貫き、立体駐車場の床を突き破って着地した。
彼女の骨が軋む中、追いついたバーディが喋り出す。
「おいおいおい、司祭を増やしたのに敵の司祭も増えちゃ駄目だろ」
「お前……バーディ・ラスティだな!逮捕する!」
「やってみろ!やれるもんなら!」
その瞬間、バーディが構えを取る。
『祭具奉納、この世に王はただ一人』
司祭が祝詞を唱えほのかに輝き始めると、バレルも立ち上がり負けじと構えを取る。LSTのリーダーである彼を逮捕すれば組織は瓦解する。ここで彼女が退く理由はない。例え相手が自分より遥かに格上だったとしても。
バーディの手に祭具のスパナが握られた。
『針の孤城』
「司祭第二形態!」
形態変化し赤い結晶を身にまとったバレルが駆け出し、スパナで迎え撃つバーディと激突する。二人の速度は同等であり、互いの攻撃を躱しながら攻撃を繰り返す。彼が足払いを繰り出すと彼女は跳んで避けた。しかし、その隙にバーディが彼女の懐に踏み込むと手をかざす。
「さあ!」
その刹那、一筋の斬撃が彼女の腹を切り裂く。見えない一瞬の一撃が反応する間もなく命中し、彼女は咄嗟にバーディを殴ると彼から距離を置く。バーディは一度も彼女に触れていない。しかし、確実に彼女は攻撃を受けている。
離れた彼女をバーディが直視すると、地面に切断痕が走ったかと思った瞬間にバレルの胴に網目状の斬撃が直撃する。威力は先ほどよりも遥かに弱かったが肌は確かに切り裂かれている。
「ぐっ……な、何を!」
「逃げるなら今だぞ」
その時、彼女の耳元の無線から焦る藍川の声が響く。
『バレル!バーディ・ラスティの推定等級はγ+で権能は斬撃だ!』
「ああ、なるほど……私と同じか」
『奴はγ+の上澄みだぞ!逃げろ!』
γ+とΩ-の壁は遥かに高い。単純な戦闘能力だけでなく、司祭として異質であるかどうかがクラスΩに昇格できるかの基準だ。純粋に戦闘能力を高めるだけではいつまで経ってもγ+のまま。戦闘能力の等級はずっと変わらない。
しかし、若いγ+と熟練のγ+には天と地ほどの差がある。
「仕留める!」
疾走するバレルは彼に蹴り掛かり、隙を許さずラリアットで迫るとスパナを躱す。腹に拳を叩き込もうとする彼女であったが再びバーディから見えない斬撃が放たれ、何となく気配を感じた彼女が避けようとするも躱し切れずに脇腹を斬られた。
追い討ちを掛けるようにバーディは彼女をスパナで殴り飛ばすと、地面を転がる彼女に網目状の斬撃を飛ばした。それを予測した彼女が跳び上がって避けようとするも、既に空中に居たバーディの蹴りが直撃する。
「なんとッ!?」
床を突き破り下の階に落ちていくバレル。地面に激突すると同時に彼女は姿勢を立て直し後ろに跳ぶと、さっきまで彼女が居た場所にバーディが落ちた。そして、彼女へ一瞬で距離を詰めていく。
「威勢はどうしたよ!」
「卑怯者は……断じて認めない!」
バレルは結鎖でバーディを縛り上げると、そのまま振り回してコンクリートの柱に叩き付けた。そして、それと同時に祝詞を唱い上げる。
『祭具奉納、痺れ舞い散る鉄の砂』
鎖を容易に引き千切ったバーディは彼女の下へ駆け出し、祭具の現出を阻止しようと疾走する。しかし、彼女に与えてしまった隙は致命的なものだった。懐に向かおうと急接近する彼に対し、彼女はほのかに光を放ちながらニヤリと笑う。そして、二人の周囲を大量の鎖が包み逃れることのできないリングを形成する。
『撃鉄神話』
突然の包囲に驚いたバーディが脱出しようとするも間に合わず、二人は全方位を鎖で閉ざしたリングに閉じ込められる。誰も外から立ち入ることはできず、どちらかが負けるまで出ることは叶わない。正々堂々としたタイマンの為の決戦のリングが、今こうして完成したわけだ。
「ここからは出られない……どちらか負けるまで」
「良いのか?始まるのは一方的な暴力だぞ」
「それを考えられないと思うか?」
バレルの権能の恐ろしさはここからだ。正々堂々正面衝突、絶対的に公平公正な一対一の大決戦がこれから始まる。タイマンは彼女の大得意だ。
バレルが拳を構える。
「タイマンだあああ!」
【12】
車が音を立ててグニョグニョと曲がり、鉄が液体のように溶けて宙を舞う。藍川の身に付けている無線機すらも溶けて機能を失った。駆け抜ける藍川は溶けた鉄を全て躱すと仮面を付けた司祭を殴り抜け、回し蹴りを放って溶けた鉄の方へ飛ばす。しかし金属を操作するもう一人の仮面の司祭は、上手く金属を操作すると槍を形成し藍川へ射出する。
彼はそれを何本か避けると、一本を掴んで消化器を的確に貫いた。周囲が消化器の中身で白く染まる中、藍川は車の後ろに隠れる民間人を小脇に抱えてその場を離脱する。一瞬で安全な場所まで移動すると彼は民間人を地面に降ろした。
「さっさと逃げろ、死ぬぞ」
「あ、ありがとう!」
お礼を言う民間人は一人取り残され、嵐を吹き荒らしながら藍川は地下駐車場へと戻る。既に宙を舞っていた消化器の中身は掻き消えており、藍川は敵の司祭を探して辺りを見渡す。そして、振り向きざまに背後に迫る仮面の司祭に肘打ちを叩き込む。車を溶かしてその中に隠れるというのは良い作戦だったが、相手は『絡目心中』を使う藍川だ。
「ガハッ!?」
「……なるほど、お前らギョロ目に洗脳されたわけか」
肘打ちを受け気絶する鉛の司祭。立ち止まった彼を仕留めようともう一人の仮面の司祭が背後に向かうが、やはり相手が悪かった。
藍川が車のボンネットに手を突き刺して助手席まで伸ばすと、発炎筒を掴み取り一瞬で着火させる。激しい光を放ちながら燃えるそれを彼は仮面の司祭に向かって放り投げた。それは決して人を燃やす為ではなく暖を取る為でもない。
「ギャッ!」
「強い光が弱点らしいな。丸見えだぞ」
絡目心中は全てを読み取る。目の前の司祭が強い光を直視すると混乱するという弱点であることを先に読み取り、こうして簡単に無力化することに成功した。藍川は力を込めて思い切り相手を蹴り飛ばし、ノックアウトした司祭は自動車を弾きながら飛んでいく。
圧倒的だ。あまりにも圧倒的だ。そんな彼に拳銃の弾丸が直撃する。通常兵器であれば傷が付くようなことはなかったが、それは彼の腕に焼けたような痕を残した。藍川が振り向く。そこには拳銃を構える司祭が居た。
「クソッ、貰った司祭が全部パーじゃねえか」
「ジョン・フレデリック。権能は確率を少しだけ操作する」
「手の内までかよ!政府の犬は容赦がねえな!」
「犬にしては……」
そう彼が言い掛けたその時、脳を揺さぶるような激しい苦痛に襲われる。権能を何度も使った反動が彼の心に襲い掛かり、思考は落書きのようにぐちゃぐちゃにされていく。現実を正しく認識できなくなった彼を引き戻すことができる者は、無線機のない今では存在しない。仮に居たとしても声が届くのかは怪しいが。
「あっ……ぎっ……!?」
「な、何だこいつ……?」
心を掻き乱す苦痛に悶える藍川にジョンが迫る。戦うことすらままならない彼をジョンが蹴飛ばし、至近距離で拳銃を撃ち込む。しかし、概念防御がダメージを軽減したせいか表面が裂けた程度の傷に終わった。彼は作戦を切り替えてそのまま殴り抜け、宙を舞う藍川は自動車に直撃する。
「ちっ、銃の祭具は駄目だな。概念防御が邪魔しちまう」
「ぐっ……ぎぃ……」
「さっきから何がしたいんだ?」
彼は役に立たない拳銃の祭具を捨てる。概念防御を破ることのできる祭具であっても、それが現代兵器であるのなら概念防御は軽減してしまう。故に祭具が現代兵器の司祭は一番のハズレ枠だ。結局のところ、拳で戦うのが一番強く手っ取り早いのである。
ジョンは精神的苦痛に苛む藍川に急速接近すると殴り掛かり、隙を与えぬように連打する。何とか正気に戻った藍川は姿勢を落とすと彼にタックルし、倒れたジョンへ立ち上がると同時に踏み付け蹴り飛ばす。
「俺は幸運だぜ!」
だがその時、藍川の近くにあった自動車が爆発し周囲を爆煙が満たす。彼はジョンを探して周囲を見渡し、手を振って爆煙を吹き飛ばした。それと同時にジョンが彼の背後に現れると彼の背を襲う。確率を操作して壊れかけの自動車を爆発させ、彼の背後に回れる確率を引き当てる。全ては彼が確率を引き上げたおかげだ。
しかし、藍川は振り向いた。
『自傷』
「ん?があッ!?」
絡目心中が発動しジョンは思い切り自分を殴る。彼が怯んだ隙に藍川は拳を何度も打ち付け、全力で殴り抜けると転がる彼を追い討ちで蹴り飛ばした。ジョンが柱や自動車を突き破って飛んでいく中、藍川は佇んで権能の反動に苦しんでいた。使えば使う程の藍川の心は追い詰められ、状況は悪くなっていく。
彼の呼吸は荒い。
「はあ……はあ……!」
「鈴君は、結局どうしたいのかな?」
それは幻覚だった。彼の側に立つ来春が神妙な面持ちで話をする。疲れ切った冷静でない彼と違って、幻覚の来春は静かに彼の言葉を待っている。とっくにおかしくなっていた藍川はもう一線を越えるギリギリだった。彼は休むべきだった。だが、彼はそれを自分で拒否しこの結果を受け入れたのだ。
「……あれ、粳部はどこ行った?」
「僕より妹を優先?少し傷付くが誇らしいね」
「うるさい……黙ってろ」
「音夏を遠ざけたのは君じゃないか」
黙り込む藍川。彼の周囲には誰も居らず何の音も鳴っていない。しかし、彼は一人で存在しない者と喋り続けている。
「音夏が見つかった時、何故顔を出さなかった?あれだけ探してて」
「……」
「君はあの子が怖いんだ。怖くて仕方ないから近くに居たくない」
彼は答えない。否、答えることができない。
「でも放ってはおけない。だから離れられない」
「黙れ」
「鈴君、君は何も決められない。どっちか選ぶ勇気がない」
「……じゃあ、俺はどうすればいいんだ」
錯乱している藍川には何も分からない。
「何言ってっか分かんねえよ!」
瓦礫の中から立ち上がった血塗れのジョンが駆け出し、棒立ちしている藍川を飛び蹴りで弾き飛ばす。だが彼は何も反応を示さず、視界の中の幻覚の来春と話し始める。地面に横たわる彼はもう、何もかもがどうでも良くなり始めていた。何も考えられなくなっていたのだ。
「助けてくれ……来春……粳部」