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16-7

【11】


層展乱雷そうてんらんらい!』

 卜部うらべがそう叫んだ瞬間、彼女から放たれた大出力の電流が森林を切り裂く。発動までの隙はより小さくなり、術式の構築速度や威力は大幅に向上していた。それは到底小学五年生にできる技術ではなく、熟練の法術使いに相当する力だった。

 後ろで眺めていた曾祖父はその実力を見て素直に驚く。

『おお、あっという間に上達したなあ』

『ねっ?私やるでしょ!もっと凄いのもできるよ!』

『これだけ成長が早けりゃ、俺が死ぬ前に全部教えられるな』

 法術使いである曾祖父、卜部翔は今年で八十七歳であった。今でも元気に法術使いの育成を行っているものの確実に老いてきており、寿命という限界が見えてきていた。法術使いになる後継ぎはひ孫だけであり、死ぬまでに全ての技を継承できるかはギリギリというところだ。

 法術の訓練を行ういつもの森は穏やかで、日差しは木々が遮り周囲はマイナスイオンのような涼しさが満ちている。心安らぐ緑の空間は、彼女にとって秘密基地のようなものだった。

『私、おじいちゃんの代わりに師範やれるよ!』

 無邪気にそう言う卜部に対し、嬉しい申し出だというのに曾祖父は悲しい表情をする。後継者問題を抱えている彼からすれば、天才の彼女が後継者になってくれることは願ってもないことの筈だ。しかし、彼は喜んでいなかった。

『……いや、師範にはならなくていいよ』

『何で?私もっとやれるって』

『パパは法術を嫌ってる。それに、この仕事は誰にも言えない仕事なんだ』

 実際、他人から理解を得られる仕事ではない。蓮向かいの支払う報酬の額はしっかりとしており辞める理由はないが、それでも世間体というのは現代社会において軽視できない要素である。生きづらい者が現れるほどに。

『法術を知らない親戚は、俺を怪しい宗教家だと思ってる』

『ちゃんと説明すればいいじゃん!』

『機密があるからなあ。それに、偏見はそう簡単に消えない』

『そんな……!』

 小学生の卜部からすれば理解し難い話だ。親戚間の対立は理屈でどうにかなるものではなく、大人は子供のように素直になれない。彼女からすれば曾祖父への親戚の評価は理不尽なものでしかないが、彼はそれを理解し受け入れていた。それが更に怒りと困惑を呼んでいくのだ。

『法術は、大切な人を守る為にあるんだと俺は思ってる』

『……』

『認められなくたって良い。だから、響夏きょうかはやらなくて良いんだ』

 穏やかな口ぶりで語る彼に恨みの感情はなく、自分に降りかかる理不尽を全て許していたのだ。まるで聖人のような曾祖父の気持ちを理解できない卜部は、ただ彼を見つめることしかできない。法術の実力で彼を超えてもその心のあり方までは辿り着けていなかった。



 そして、それから一か月近くが経ったある日のことだった。

 強い日差しの降り注ぐ住宅街、白線の上を一人で歩いて行く卜部はランドセルと防犯ブザーを揺らしている。明日も今日と同じ日が続くと漠然と思っていた幼い彼女にとって、今日というものはいくらでも替えが効くものだった。

 だが、それが幼さであるということを彼女はその日に知るのであった。

『ただいまー』

 自宅に戻った卜部はポケットから鍵を差して戸を開く。その先には偶然スーツ姿の父親が立っており、突然扉が開いたことに驚いた彼は彼女の方を向く。時間帯はまだ空の青い午後だというのに父が会社から帰ってきている。彼女がそれに少し違和感を覚えた時だった。

『おお響夏、学校に電話したけどもう帰ってたんだよな』

『パパ何で家に居るの?』

『あのな……今から病院に行くんだけど』

 彼の暗い表情を見た卜部は、子供ながらに起きた出来事を察していた。今から起きることは決して嬉しいことではない。いつものように法術で遊びに行くわけにはいかない理由が、これから起きようとしている。それを彼女は肌で感じ取っていたのだ。

 いや、起きていたの方が正しい。

『おじいちゃんがな、亡くなったんだ』

『……えっ?』

 いかに高名な法術使いでも、死からは逃れることはできない。



 そこは静かな寺だった。遠くの木々の向こうには墓が立ち並び、木陰の忘れ去られたような古い墓石には苔がむしていた。縁側で呆然と外を眺めている卜部は何かを見ているわけではない。今までそこは彼女にとって、法事の度に連れてこられる退屈な場所でしかなかった。だがその日、この場所は初めて彼女にとって意味のある場所になったのだ。

 彼女の背後にある障子の向こう側では両親や親戚が集まって話をしている。

『でもまあ、八十七だしねえ。生きた方だよ』

『結局、あの人何してる人だったんだ?』

『さあ?金はあったみたいだけど』

『胡散臭い商売だろ。昔から変な奴だったしなあ』

 無神経な言葉が卜部の胸に突き刺さる。蓮向かいの職員である曾祖父はその仕事の内容を家族にも話すことができなかった。他人から理解されなくても良い彼にとって、親戚から何を言われようと何も気にならなかったのだ。だが、その溝は開くばかりだった。

 卜部の目が揺れる。

『ボケてたってこと?』

『いやあそうじゃなくて……頭がねえ』

『祈祷だっけ?なんかそういう宗教かなあ』

『まあ、十分生きたんだから良いんじゃないか?』

 怒りに耐えられなくなっていく彼女が拳を握り、唇を噛んで口から出そうな言葉を抑え込む。卜部が何よりも許せなかったのは自分の祖父が罵倒されても碌に喋らない両親だった。言われっぱなしのまま傷付けられたまま、曾祖父の名誉を取り戻そうともしない彼らが許せなかったのだ。

『おじいちゃんも……満足してるんじゃないですかね』

『まあ、子供に遺伝したわけじゃないし良いだろよ!はっ』

『ははっ!おいおい遺伝性は勘弁してくれ』

 遂に、我慢できなくなった卜部が振り向いて障子を睨み付ける。奥に居る無遠慮の親族達への怒りで彼女は暴走寸前だった。喉の奥の言葉を我慢せずに吐き出し浴びせようと、か細い導火線に火を点けようとする卜部。だが、彼女の弱さがそれを止める。

 怒りに震える彼女は何もできない。怒ることすらも。

『ばっ……ば……』

 罵倒することすらも彼女にはできなかった。それは優しいからではなく弱いから、何も選ぼうとしなかったから。だが、それで彼女を責めるのはお門違いだ。弱いことは決して罪ではないのだから。

 耐えられなくなった彼女が縁側から飛び出し、墓場を走り出した。強化法術が発動すると全身に回路のような光が流れる。そして、車よりも速く彼女が駆けていく。曾祖父から教わった法術は彼を凌駕する領域に到達し、天才は遂に前人未到の領域に足を踏み入れた。

 彼女が墓の合間を駆け抜け、墓を飛び越えると着地と同時に墓を蹴り飛ばして更に飛ぶ。彼女を止められる者は誰も居ない。そう、たった一人を除いて。

 町を駆け抜けた果てに二人は出会ったのだ。

『……ねえ、暇してる?』

 タヌキを前に虫取り網を構えている柳竹子やなぎたけこに声をかけられ、走り続けていた卜部が足を止める。そんな滅茶苦茶な出会いが全ての始まりだったのだ。奇抜な女と天才な女が出会ってしまった時、全ての無茶は可能になった。




【12】


 卜部うらべ粳部うるべが向かい合う。二人の天才の間に緊張が走るが、卜部の余裕がなくなることはない。粳部の目の前に居るのは身長百四十センチの小柄な少女。しかし、その中身は前人未到の領域に至った歴史を塗り替える法術使い。

 その練度は粳部を超えている。

「う、卜部さん!私は警察です……家に帰りましょう」

「聞こえなかったかな?帰って欲しいんだけど」

「……四人で家出して……暮らしてるんですか?」

 卜部の傍にある古い小屋は所々が修繕されており、青々と野菜が伸びている畑はここで生活していることを示している。小屋の脇にはドラム缶の風呂もあり、四人の生活に必要な物は一通り揃っているように見えた。

 法術使いがこれだけ居れば余裕なのだ。

「そうだよ。おかげでみんな生き生きしてる」

「……家族と仲が悪いんですか?」

「仲ねえ」

「そ、相談乗りますよ……児童相談所だって動かせます」

 それを聞いて卜部は嘲笑と呆れの混じった笑い声を上げる。彼女からすればそれは、鼻で笑ってしまうほどに滑稽な話だった。四人は現状を解決する為に集まって家出をしたわけではない。粳部の発言は全くの的外れであった。

「あんた法術使いみたいだけど、面白くないね」

「生憎、面白さを求めてないので」

「そっか。じゃあぶっ飛んじゃえ」

 卜部が強化法術を使い全身に回路のような光が走る。その瞬間、彼女が消えたかと思った途端に横からの飛び蹴りが粳部を弾き飛ばした。法術の天才の強化法術は次元が違う。β相当の司祭に匹敵する速度を彼女は出していた。

 粳部が体勢を立て直すと、追い打ちをかけるように放たれた層展乱雷そうてんらんらいが粳部を弾き飛ばす。普通であれば雷が彼女の体を切り裂いたことだろうが、反射的に使った硬化こうか法術がそのダメージを緩和していた。それを見て驚く卜部。

「あんた硬化法術も使えるんだ」

「あなたが手本を見せたんですよ……!」

「……私の真似をした?そんなわけ……」

 彼女は卜部が強化法術と同時に硬化法術を使っていたのを見逃していなかった。身体を硬化して防御する法術と身体能力を引き上げる法術。二つ揃えばそれはもう司祭に匹敵する。

 相手の才能に勘付き始めた卜部は駆け出し、彼女の腕を結鎖けっさで縛ると地面に叩き付けた。しかし、今度は粳部が鎖を掴んで彼女を遠くへ放り投げる。地面を跳ねる卜部を粳部は追って行き、隙を突いて呼縛散宣こばくさんせんで縛ろうと試みた。だが、鉄の輪が卜部を縛るのよりも先に彼女が跳び上がって回避する。

「Ruins of phantasm」

 空中の卜部が法術を発動した瞬間、二人の周囲にいくつもの高いコンクリートの壁が形成される。粳部の視界は壁で制限され、卜部がどこに行ったのかが分からなくなってしまった。

「これは……!?」

『粳部、状況は?』

「コンクリートの壁が急に生えてきて……」

 ラジオに対してそう言いかけた時、曲がり角から突然現れた卜部が彼女を蹴り飛ばす。彼女が反撃しようとした時には既に卜部は消えており、彼女を探して粳部が迷路を駆けるとまた曲がり角から卜部が現れた。そして、卜部がラリアットを叩き込もうとするも彼女はしゃがんでそれを回避し、卜部は壁をすり抜けて消えていく。

「消えっ……!これはまさか!」

『コンクリートは急に生えない。幻だよ』

 それに気が付いた粳部が壁をすり抜けて向こう側に出る。しかし、その先で待ち構えていた卜部はその行動を予測していた。彼女がそう動くことを。

「うわっ!」

蝶層ちょうそう!」

 卜部の手から溢れた大量の蝶が粳部を包み込む。輝く鱗粉を撒き散らしながら飛ぶ蝶の群れに巻き込まれた彼女は、吐き気と幻覚の症状でふらついてしまった。卜部の自作したこの法術は足止めには最適だ。

「目が……回っ……」

順光じゅんこう!」

 視界が歪曲し戦えない彼女に卜部は順光を浴びせ、爆発と共に吹き飛ぶ彼女は地面を跳ねて畑まで突っ込んだ。いかに粳部と言えど、初見の法術を完璧に対処できる筈がない。そして、彼女がそこまで怪我をしてないのも卜部の手加減だった。

 卜部が歩いて彼女に近付く。

「手加減してんだから諦めて帰ってよ。殺し合いなんてやだ」

「い、今の法術は何ですか……?」

「私が作った新技。蝶層ちょうそうは鱗粉を吸うと幻覚を見るの」

「凄い……その若さで新技なんて」

溺滴できてき霧御殿きりごてんも私が作ったんだ」

 通常、新しい法術を作るには数十年という時間を必要とする。しかし、彼女は短期間に複数個もの新しい法術を編み出している。これだけの偉業を成し遂げた者は過去には存在しなかった。そして、重光結鎖じゅうこうけっさを編み出した粳部も格が違う。

 幻覚から立ち直った粳部が卜部を直視する。ホログラムのコンクリート壁はもう消滅していた。視線が合うと同時に試合のゴングが鳴る。

夢鬼火ゆめおにび!」

夢鬼火ゆめおにび!」

 二人が同時に同じ法術を使用する。複数個の火の玉が放たれると互いを追尾して進み、その全てが対消滅し爆発した。走り出した卜部は続けて層展乱雷そうてんらんらいを放つが、粳部は雷撃の合間を縫って彼女に迫る。そして至近距離から順光を放つも、卜部も彼女と同様にのけ反ってそれを躱す。

 卜部が笑って見せた。

「意外とやるじゃん!」

「あなたこそ!」

 粳部が彼女の足を払ってこけた所に重光結鎖じゅうこうけっさを発動する。複数の鎖が彼女を狙う中、卜部は地面に両手を着くとそのまま何度もバク転でそれらを躱す。そして、直立すると同時に粳部を両目で補足した。そして、法術発動の構えを取る。

信号領域しんごうりょういき!」

「えっ……?」

 それは粳部の知らない初見の法術。卜部が開発した新しい法術。卜部を中心とした半径百メートルに無造作に道路の白線が引かれ、卜部と粳部はその白線の上に立つ。卜部が白線を飛び跳ねながら彼女に向かっていく中、粳部が白線でない地面を踏んだ。その瞬間、彼女の足下が溶岩のように黄色に発熱すると靴が融けていく。

「があっ!?あっつ!」

 彼女が咄嗟に足を引っ込めて白線の上に戻る。卜部は器用に白線の上だけを駆けて行き、普通の地面には触れようとしない。

信号領域しんごうりょういきは白線の上を歩かないと火傷しちゃうよ!」

「こ、子供の遊びですか……!」

 粳部も負けじと走り出し、白線を次々と乗り換えながら卜部に目掛けて順光を放つ。彼女はそれを器用に避けると結鎖を使い粳部を襲う。何とか粳部もそれを躱すが、姿勢が崩れたことで再び足が白線以外に触れてしまう。激痛を感じた彼女は足が融ける前に大きく飛び跳ねた。

流光りゅうこう三連!」

 フルパワーの粳部が空から高火力の流光を三発同時に発射する。谷口が見たら泡を吹くような攻撃が白線のある大地を破壊し、信号領域しんごうりょういきの効果は失われる。余りにも力技だったが、真面目に相手するよりはずっとマシだ。

 地上の卜部も反撃に出る。

「火力馬鹿がよお!天穂てんほう!」

 粳部が小屋の屋根に着地した瞬間、空から無数の光の雨が降り注ぎ彼女を襲う。天穂てんほうは雨のように光線を降らせる法術。粳部はなるべく光線を避けて屋根から飛び降りるが、躱し切れずに光線が彼女を焼く。

「見たことのない技を……!」

「ふふっ……まさか私と互角とは」

 傷だらけの粳部の体はどういうわけか再生していない。靴は高温で融けて壊れ火傷した素足だけになり、全身が打撲と天穂てんほうのダメージで弱っていた。しかし、粳部はまだそのことに気が付いていない。それよりも、自分のテンションが上がってきていることを不思議がっていた。

 二人が笑い合う。

「温まってきましたよ!卜部さん!」

「なら壊れるまで本気見せてやるッ!」

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