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第49話 身をもって知ったその気持ち

第四十九話『身をもって知ったその気持ち』


 スピリタスが操るケペシュは、牛三頭分の大きさがあるケルベロスを、みるみるうちに切り裂いていきます。大きく小さく、切り刻まれた肉片はあちらこちに飛び散って、美月が待機しているエレベーターの中にも飛び込んでいきました。


「これだけ切れ味がいいと、ケペシュの素材が何なのか気になるな。研いだりもするよね? けれど、あの湾曲した刀身… どうやって研ぐんだろう?」


 ほんの少しのはずが、どんどん車椅子から遠ざかっていきます。まぁ、エレベーターの中から出ていませんが。


「毛皮、取れたりしないかな?」


と、両手で肉片を持ち上げた時でした。


「あれ? これ、ユニコーンの羽根。なんでこんなところに」


 しかも、半分ぐらい焦げてる。使えばパッと消えるから、焦げるなんてことはないはずなんだけれど。… そうか。『閉』ボタンを押しながら使っても、発動しなかったんだ。だから私に脱出呪文の準備を…。あ、忘れてた。


 汚れた手を入院着の腰の部分で拭いて、いそいそと車椅子に戻る美月。フゥ… と小さ深呼吸をして、お臍の下に意識を集中させました。


「その前に、やっぱりこれだけは」


 と、パッと車椅子の下に、ケルベロスの尻尾を押し込みました。そして、魔法陣を描こうとして手が止まります。


「リップがないんだった」


 パタパタと入院着のあちらこちらを叩いてみても出てくるわけもなく…


「一か八か、やってみようかな~」


 慌てることなく指先につけたのは、ケルベロスの血でした。


 この血に私の魔力を流しながら… 魔法陣を描く。擦れないように… ケルベロスの血って、濃くって伸びが良いな。食べ物のせいかな?… て、さっき食べてたよね。あれは患者さんかな? それとも、それこそ幽霊? 幽霊でありますように。


「出来た」


 これで、ちゃんと発動してくれたら完璧! さ、スピリタスさんの合図をまとうかな。


 笑顔で鼻歌交じりに立ち上がった美月は、クルリと振り返ったそこに、いつの間にか立っているスピリタスを見て、時が止まりました。全身血だらけで、無表情のスピリタスです。

 カタカタと心霊現象の人形のように動いて、ストンと静かに車椅子に座った美月は、スッと項垂れました。


 終わった…。


 体の芯まで冷え切った美月。そんな美月の顎をガッとつかんで強引に顔を上げさせると、青くなっている美月の顔を覗き込んで一言。


「帰るぞ」


「ひゃい…」


 これ、後でお説教だ。怖い黒崎先生のお説教だ。やっぱり、黒崎先生は三つ子じゃなくって多重人格なんだ。


 プルプル震えながら返事を返したものの、顎を解放されて大きく深呼吸をして、気持ちを切り替えました。


「さ、先に謝っておきます。その、いつも魔法陣を描いているリップがなかったので、ケルベロスの血を使いました。なので、もしかしたら魔法が発動しても、ここに戻ってくる可能性も無きにしも非ず。です」


「かまわない」


 フン。と鼻を鳴らして、スピリタスは車椅子のハンドルを握りました。


成功しますように。


「いきます…。ちょーおなペコ! ガンダで帰ってデニるから、ソクサリ…」


 詠唱の途中で、ガクンと大きくエレベーターが揺れて、ドアの方に片寄りました。スピリタスは素早く美月を片腕で抱き上げると、流れ落ちだしたケルベロスの肉片を足場にエレベーターから出ようとしました。が、その体が一瞬宙に浮きます。そして、落下。エレベーターの箱ごと、勢いよく落下しました。


「ひゃぁぁぁぁぁ~… ソクサリ、サルタヒコの… 靴!」


 そんな中でも、美月は目をつぶって術を発動させました。ギュっとスピリタスの腕をつかんで。



 ドスン! と全身に鈍い衝撃が走って、美月は体を硬直させました。


 いたたた… くない。ドスンてしてけれど、痛くない。あ、そっか。スピリタスさんが庇ってくれたんだ。


 そろそろと目を開けると、スピリタスを下敷きにしたことに気が付いて慌てて下りると、そっと肩に手をかけました。「う」とも「ぐ」とも言わないし、ピクリとも動かないスピリタスを見て、軽く揺らしてみます。


「あ、あの、ありがとうございます。大丈夫ですか? スピリタスさん、スピリタスさん」


 反応がない。… 着地で頭を打ったとか? 全身て強く打っても危ないんだよね? 心臓とか内臓とか。この血は全部、ケルベロスの返り血でいいんだよね? ああ、もう! 外灯と月明りだけじゃ、傷なんてしっかり見えない。触れば分かるかな? 出血していれば服が濡れているよね。て、返り血と汗でぐしょぐしょだよ。 


 外傷を確認しようとスピリタスの体を優しく触ったり、横や背中を確認しようと転がそうとします。けれど、筋肉質の体は重くて、美月の力では微動だにしません。焦り始める美月。ムシっとした気温も手伝って、ジワリとかいていた汗がタラタラと流れ始めました。


「はぁ… 私の力じゃ無理だ。スピリタスさん、起きてください。スピリタスさん」


 転がすのをあきらめました。流れる汗をぬぐって、上がった息を整えて、今度はスピリタスの胸元に耳を当てました。


 … 良かった、心臓の音はしっかりしているし、呼吸音もある。声掛けに反応はないけれど、生きてはいるね。


「やっぱり、頭を打ったのかな? 失礼します」


 一安心しつつも、頭を心配して大きく息を飲みます。そろそろと右手で頭を抱え込むように持ち上げて、できた隙間に左手を差し込んで後頭部を確認しました。


「お、重い。頭って、こんなに重かったかな? けれど…」


 髪の毛の感触しかしない。… 出血は大丈夫そうだけれど、タンコブらしきモノもなさそうだし。あれ? タンコブって頭を打ってすぐに出来るんだっけ? やっぱり、下手に動かさない方がいいかな?


 そっと頭を戻そうとした瞬間でした。スピリタスの腕がガバッ! と、美月の体を引き寄せるように抱き締めました。


「!!」


 えっ?! 何々?? ちょっ、これって…


 驚きすぎて、言葉どころか悲鳴も出てこない美月。頬にヌルッとした感触とザラッとした感触、自分以外の体温を感じて、さらに混乱しました。


「ケガはしていないですよ」


 耳元で囁かれて、美月の混乱はピークを越えて目の前が真っ暗になりました。



 … ああ、綺麗な月。まん丸できらきら輝いて、でも、きな粉餅みたい。


 フッと目を開けると、上に満月が見えました。それがあまりにも美味しそうに見えて、そろそろと手を伸ばしてみたら


 グゥグゥ…


と、腹の虫が大きな音を立てました。


 やだ、お腹が鳴っちゃった。そんなにお腹が空いていたかな? お夕飯食べないで寝ちゃったんだっけ? 喉も乾いたし、起きて何かお腹に入れようかな。


 グゥゥゥ…


 また鳴った。やだ、グゥグゥて止まらない。お腹の中にカエルがいるみたい。


「フフ…」


 え? 背中から笑い声? 何か動いてる? モソモソしているけれど… そういえば、背中が温かい。


「フフフ… フフ… アハハハハ」


 ガバッと体を起こすと、自分の下で笑っている汚れた男を見つけて、美月は身構えました。けれど、よくよく見てみると…


「… 黒崎先生」


 それは良く見知った顔で、とにかく警戒心を解きました。


 なんで外? 私は病院の入院着だし、黒崎先生はとっても汚れているし… ああ、そうだった。レストランに行こうとしてケルベロスと鉢合わせして… 戦闘になって脱出しようとしたら、エレベーターごと落ちて… 先生、動いてる。笑ってる。


 ようやく記憶がハッキリした美月は、目の前で笑っている黒崎先生を見て全身の力が抜けました。


「よかった、ケガがなくって」


 ちょっと、涙目です。


「すみません、ご心配をおかけしました。少し、悪戯が過ぎましたね。あそこまで驚かれるとは思ってもいなくって。でも、僕やカルミア社長の気持ち、少しは分かってもらえましたか?」


 フフフ… と笑いながら体を起こした黒崎先生は、美月の瞳にたまった涙をそ… っと、指先でぬぐいました。


「… こ、怖かったです。先生が、死んじゃったんじゃないかって… 見えないところに大きなケガをして意識がないんじゃないかって…。ごめんなさい、先生ぇ~」


 ホッとすると、涙は次から次と出てきます。その涙をぬぐったのは、黒崎先生のワイシャツでした。美月は優しく抱きしめられて、確かな鼓動を感じて、ボロボロボロボロ涙がでるままにまかせました。何も考えず、ただただ泣きました。黒崎先生はそんな美月の頭や髪、背中を優しくなでてくれました。何も言わず、何も聞かずに。


 美月、他人の気持ちを、身をもって知りました。同時に、心配しているからこその恐ろしさと、優しいぬくもりも感じ取ったようです。Next→

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