第五十話『おなぺこギャルの思考回路』
結局、ご飯を食べられたのはお昼を過ぎてからでした。黒崎先生の胸で大泣きした美月はそのまま寝てしまい、元気な腹の音で起きたら病室のベッドの上。ぼんやりとした頭で、何となく時計を確認したら、2時を過ぎていました。
病院のご飯が不味いなんて嘘だなぁ。ちゃんと美味しいし、栄養面も考えられているからありがたいよね。まぁ、難を言えば、もう少し量が欲しいかな。いつもの3分の1しかない。ダイエットはしていないから、せめていつもの半分は食べたいなぁ。お粥はすぐにお腹が空いちゃうんだもん。お腹も満足してないよね。グゥグゥって、音が止まらないんだもん。… ああ、お肉かお魚が食べたいなぁ。
ベッドの上、テーブルの上にデン! と置かれたお椀の中からレンゲでお粥をすくって、ため息が一つ。それでも啜って、よ~く噛みます。とても柔らかいお米でも、噛めば少しは満腹に近づくだろうと思って。
スルスルとお粥を啜っていると、不意に間仕切りのカーテンに人影が写りました。そして、ポスポスと軽くカーテンが押されて、聞きなれた声がしました。
「コンコン、失礼します」
「カルミア社長」
声を聞いて、自然と美月の頬がほころび、声のトーンも上がりました。
「は~ぁい、美月ちゃん。気分はいかがかしら? 四人部屋に一人なんて、ちょっと寂しいわね」
カーテンを開けて姿を現したのは、カジュアルな白のコットンシャツに、ブルージーンズ。大きな紙袋を抱えたカルミア社長です。「失礼」と言って、早々に紙袋を美月の足元に置きました。
「あれ? ほかの人、退院しちゃったんですかね? 気が付かなかった。
体調は、痛みもなくなってすっかり元通りです。ただ…」
ニコニコの笑顔が一転、寂しそうにお粥の上で項垂れました。お腹もグゥ~ と、ひと鳴き。
「聞いたわ~、昨夜の事。大変だったわね」
ヨシヨシと美月の頭を撫でてから、お粥のお椀をトレイごとサイドテーブルに下げて、紙袋の中身をテーブルの上に並べていきます。
「ご飯はね、どうせ病院で出るじゃない。でも、デザートは出ても少ないだろうと思って」
バナナにリンゴにキウイフルーツ、メロンに桃にグレープフルーツ。ミカンやサクランボ、イチゴはコロコロした瓶に詰められたコンポート。それと、500mlぐらいの水筒が一本と数個の紙コップ。
「でも、内臓の細胞が再生したわけでしょう? 美味しいからって、そこら辺の人口調味料や保存食がたっぷり入ったものなんか食べさせたくないじゃない? でも、この時期だから手作りも痛んじゃうのが怖くって。美月ちゃん、甘いものは苦手でも、フルーツは食べられたものね」
ああ~、だからこんなに大量の果物。すっごい量だけれど、今なら完食できる気がする。とっても嬉しい~。
「ありがとうございます。うん、果物なら甘くても大丈夫。嬉しいです」
喜ぶ美月の姿を見て、カルミア社長はニコニコしながら水筒の中身を紙コップに注ぎました。
「これは、ルイボスティーね。ノンカフェインで体に優しいの。
そうね、今なら… バナナかしら。免疫力の向上はもちろんだけれど、赤血球を作ってくれる葉酸が含まれているから、今の美月ちゃんにはピッタリだと思うわ」
うん? 最近、同じようなことを言われた気がする。言い方というか、行動がもっと強引だったような…。確か、黒崎先生に…
記憶をたどり始めてすぐ、昨日の夜のことを思い出しました。ボン! と顔を赤くして、手で扇ぎます。そんな美月を、カルミア社長はニコニコと眺めながら、バナナの皮をむき始めました。
そうだ。私、黒崎先生の胸の中で、小さな子供みたいに泣いていたんだった。そりゃ、あんなに泣いたら頭もボンヤリするよね。目だって腫れぼったいし。せっかくケルベロスに遭遇したのに、見ているだけ…
「あ~!!」
今度は大声を上げて、頭を抱え込みます。
「そうだ、ケルベロス! せっかく尻尾をゲットできるかと思ったのに~。え、でも待って? あの15階はダンジョンじゃなかったよね? それとも、あそこだけがダンジョン? 野良ダンジョンの出入り口みたいな感じと思っていいのかな。そうだとしたら、ダンジョンのスタートからケルベロスって、どれだけレベルが高いダンジョンなの?! クリアしたらどんなアイテムがあるんだろう? てことは、もしかして、あそこで脱出しなかったら本格的なダンジョンに進んだのかなぁ? でも、パギャルでもないどころか、体中の細胞が再生したばかりの私じゃぁ、大荷物だし… そもそも細胞再生って凄くない?! ある意味綺麗な体って言うことだよね? 生まれ変わりました~! ってことだよね?」
心の声が駄々洩れになってしまった美月は、抱えた頭を振りながらつぶやいています。そんな美月を見て、カルミア社長は笑いをこらえるのに必死でしたが、とうとうこらえ切れなくなったようです。
「待って待って、ちょっと落ち着いて。ね、落ち着きましょう、美月ちゃん。深呼吸して、深呼吸」
笑いながら美月の背中をさすって声をかけて、美月の思考を一時中断させました。
「今日のお見舞いはね、もちろん美月ちゃん体が心配だったからと、今名前の出たケルベロスの事を聞きたくて」
はい。と、剥いたバナナを美月に持たせました。
「ダンジョンだったらもちろん、ダンジョンじゃなかったとしても、モンスターが出現してしまったから、報告書は出してもらわないといけないのよ。でも、今の美月ちゃんにはちょっと大変でしょう? もう少し落ち着いてからの方がいいのだろうけれど、こういうものは記憶が新鮮なうちにね。だから、私にお手伝いさせてちょうだい。」
カルミア社長はまだ少し笑いながら、トントンと美月の背中を叩いて、ルイボスティーの入った紙コップをすすめます。そして、ジーンズのポケットからスマートホンを出すと、画面をタップしてアプリを起動させました。
そういえば、私のスマホとナハバーム、まだ返ってこないのかな?
すすめられるまま、ルイボスティーを啜る美月。カルミア社長がスマートホンを操作しているのを見て、ぼんやりと思いました。
「美月ちゃんのスマホね、あと2~3日したら返せると思うわ。ごめんなさいね、大事なスマホをずっと借りちゃって。何かと不便でしょう?」
不便… 不便かぁ。確かに、ちょっとした不便さは感じたけれど、しょっちゅうLINEを交換するような友人もいないし、やり込んでいるアプリゲームがあるわけでもないし。
「スマホがなくって不便を感じるのは、ダンジョンに関することぐらいかな」
「そう? ならいいのだけれど。そうそう、録画もさせてね」
パチンとカルミア社長が指を鳴らすと、どこに止まっていたのか、インコタイプのナハバームが飛んできて、メロンの上に止まりました。
ナハバームて、こんな事も出来るんだ。プログラミングかな? それともAI機能? 反復していけば覚えるとか? 私もナハバームが戻ってきたら、何か仕込もうかな。
「録画するって言っても、私が美月ちゃんのお話を取りこぼしちゃった時の保険だから、緊張しないでね。もちろん、果物を食べながらでもかまわないわよ。むしろ食べてちょうだい。今の美月ちゃんはエネルギー不足だから。
そうそう、録画はもちろん研究員たちも見るから、ここからは『アイ』ちゃんね」
「えっ?! ギャルメイクしてない。ウィッグもないし」
やだ。このスッピンを『ギャルのアイ』として、資料動画に残すのは勘弁してほしいです。会社の研究員さんたち数人にはバレているけれど、今日のデータ、組合にも回される可能性あるよね?
「大丈夫。口から下しか映さないわよ」
そう言うと、カルミア社長は紙袋の中からリップを取り出して、美月の唇に塗りました。
「悪くはないけれど…。退院したら、お買い物に行きましょう。ダンジョンバーの特別報酬として、新しいコスメを買ってあげるわ」
「やった! ありがとうございます。カルミア社長」
今つけてくれたリップ。私にはイマイチだったんだな。きっと。
「今からは「大ちゃん」よ。じゃぁ、始めるわね」
なんだか、ちょっと緊張。でも、いつもの生配信だと思えばいいか。さ、ここからは『アイ』ね。ギャルのアイ。
美月、入院してもお仕事は待ってくれません。さぁ、停滞した思考回路をどんどん動かして。Next→