第五十三話『あそこに行きたいの!』
「サルタヒコの矛・リロード」
消灯時間後。カーテンで外からの光もシャットアウトした真っ暗な病室の中。ポツンと呟かれた言葉と同時に、唯一あった人影がシュッと消えました。
その影が現れたのは薄暗いダンジョンの中。左右対称に木のドアが付いている赤レンガの地下道。間には明かり用の松明。パチンと小さな音がして、小さな明かりが灯ります。それは小さいけれど、しっかりと周りを照らしました。黒い地毛を巻いて、ギャルメイクをして、制服をギャルらしく着崩して、ボディバックを斜めかけにして… ロリポップキャンディーを咥えて神妙な面持ちで歩き出したのは、ギャル装備のアイです。
「あぶらーの恋バナ」
スッと動くロリポップキャンディーと指先。低く低く呟かれる呪文。向かってくるモンスターは呪文で瞬殺されていくけれど、いつもと比べものにならないほど、テンションは低いです。
早く行かなきゃ。早く、あの部屋に。
「アテナの
逸る気持ちが足を進めます。左右の部屋から次々と沸いて出てくるモンスターを鋭い竜巻が切り刻んで、アイの前に道を作ります。
どこ? あの部屋はどこ? 例の野良ダンジョンに入っているはず。早くあの部屋に行かなきゃ。今は骸骨剣士とヨーウィーに
「あぶらーの恋バナ・ブレイク」
行く手を阻むモンスターどころか、床や壁や天井までも焼いていく炎。視界が開けても目的の階段は見当たらず、次のモンスターの群れが出てきます。
「ああ、もう。次々とウザイ。アテナの…」
しまった! 西の魔女、魔法封じの呪文だ。呪文の詠唱が出来ない。言葉が頭の中で散れぢれになって、声に乗せられない。どこに?
少し先の十字路の天井。こそこそと影に溶け込むように、黒いローブに身を包み、灰色の髪を垂らした者が居ました。ローブの奥の紫色の瞳で、ジッとアイを見つめて。
左右のドアからモンスターが出てきます。ガシャガシャと甲冑を鳴らして、彷徨う鎧の群れがアイの前を塞ぎました。
よりによって、彷徨う鎧。これしか武器はないけれど、進まなきゃ。
アイはボディバックから果物ナイフを取り出して構えます。
アイテムはあの部屋用にとっておきたい。私の腕で彷徨う鎧の相手ができるか…
「賭ける!」
振り下ろされる剣先をよく見て、ギリギリで避ける! こちらからの攻撃は最小限で、道を作るために。出来るだけ体力温存!
次から次に振り下ろされる剣先を避けられてはいるものの、それだけで進むことがなかなか上手く出来ないうえに、だんだんと囲まれて行きました。
「ア、 アワウ…」
まだ呪文は使えないか。どうにかしてこの輪から抜け出さなきゃ。しょうがない、爪一つ使おう。
次々に襲い掛かってくる剣先を避けながら、左の人差し指の付け爪を歯で剥がした瞬間でした。ほんの一瞬、視線が指先に落ちたその一瞬を、彷徨う鎧の一体は見逃しません。鋭い一撃が、アイの頭上に振り下ろされました。
「ヤバ…」
頭頂部の空気がピリっとした瞬間でした。覚悟をしたアイ。けれどアイの周りの空気がグルっと旋回して、アイを囲んでいた彷徨う鎧達がバタバタと倒れました。
「… スピリタスさん」
空気が落ち着きを取り戻すと、アイの前に見慣れた背中が現れました。ケペシュを携えたスピリタスです。チラっとだけアイを見て、ヒュンと大きなケペシュを軽々と振り回し、残っていた彷徨う鎧を瞬殺しました。
何でここにスピリタスさんが?
「あ、あの…」
アイの呼びかけにスピリタスは振り返ると、無言でアイに近づいて来ました。
あ、怒ってる。目が、雰囲気が… 空気がピリピリしてる。
「た、助けてくれて、ありがとうございます」
無言で近づいて来たスピリタスの雰囲気に押され、ススス… と後退りするアイ。そんなアイとの距離を一気に詰めたスピリタスは、戸惑っているアイを素早く肩に担ぎ上げました。
「ちょっ、スピリタスさん、下ろしてください。自分で歩けます。怪我はしていません。もっと先に行きたいんです。早く下ろしてください」
ジタバタと暴れるアイ。
スパーン!
乾いた音が響きました。
「いっ…」
想定外の痛みは言葉もでなくて、代わりに叩かれた尻を両手で押さえました。
痛い痛い痛い! 何?! 何なの? 何でお尻を叩かれなきゃいけないの?! 私、叩かれるような事…
「… ごめんなさい」
した。スピリタスさんに怒られて当然だ。
倒された彷徨う鎧が視界に入ったアイは、憑き物が落ちたように冷静になりました。そんなアイをチラッと横目で見て、スピリタスはアイテムを使ってダンジョンを出ました。
■
ダンジョンから出ると、そこは元の病室でした。
「行っちゃうかな? とは思ったわ。でも、違反行為よ」
戻ったアイを待ち構えていたのは、
いつも以上に優しい手つき。社長、とっても心配してくれていたんだ。
「ごめんなさい」
素直に謝った美月の頭上を、ケペシュが横切りました。ゴトン! と床に落ちたのはトロールの太い腕。自分とカルミア社長の間に落ちたそれを見た瞬間、美月は勢い良く見上げました。
アイテムで出てきたはずなのに、入り口が出来てる。もしかして、私が魔法で入った時も入り口が出来た? それなら、カルミア社長が鞭を構えていたのは納得だけど。
自分の頭上にポッカリと開いた穴から、鈍い紫色に光る両目を見ました。その目を、スピリタスはアイスピックを投げて潰しました。「ギャッ」と言う悲鳴とともに、暗い穴が閉じました。それを確認して、スピリタスはケペシュを脇差しをしまう様に左腰に納めていきます。
不思議。
「2度はない。と言ったよな」
それまでケペシュの柄を握っていた手が、素早く美月の顔、鼻から下を鷲掴みにしました。
… はい。言われました。
「やめなさい」
カルミア社長がスピリタスの脇腹に拳を入れると、美月の顔が解放されました。
「美月ちゃん…。ダンジョンに、あの部屋に行きたい気持ち、痛いほど分かるわ」
スピリタスを押しのけて、カルミア社長がアイの、美月の前に跪いて脚を拭き始めました。
「けれど…」
シュンと項垂れた美月の視線は、落とされたままでどこも見ていません。
「行きたいです。もう一度、あの部屋に」
お父さんの手がかりが、他にもあるはず。
「そうね。私も同じ気持ちよ。でも、今は…」
右脚を拭き終わり、美月の顔を見上げた時でした。スラックスのポケットから着信音が流れて、カルミア社長は「タイミング!」と言いながら病室を出ました。
「「本当に、私の気持ちが分かるんですか?」 とは聞かないのですか?」
いつの間にか髪を崩して黒縁眼鏡をかけて、『スピリタスモード』をオフにした黒崎先生が、美月の横に座りました。差し入れの残りのバナナを食べながら。
美月は反射的に体を強張らせ、俯きました。
… いつもの黒崎先生だよね。もう、怒っていないのかな?
ドキドキしながら、チラっと黒崎先生を見る美月。その視線を、差し出されたバナナが遮りました。なんとなく、受け取る美月。
「わ、私の気持ちを、誰よりも理解してくれているのは、カルミア社長です。私が産まれた時から居てくれて、お母さんが亡くなった時はお父さんを一番支えてくれて、お父さんが居なくなったら私を支えてくれて… カルミア社長は一番私の気持ちを理解してくれています」
お父さんがダンジョンで消息を絶った時、知らせてくれたのはカルミア社長だった。いつもとは違った真面目な顔が、雪のように真っ白だったのを覚えてる。必要な手続き関係を、私とお婆ちゃんの代わりにやってくれた。私が探索者になりたいと言った時、喜びはしなかったけれど反対もしなかった。
「そうだろうな〜 って、思ってたわよ」
ただそう言って、困ったように笑ったのは覚えてる。私は…
「ダンジョン探索以外は、本当に良い子ですね」
リンゴにします? と、真っ赤なリンゴを差し出す黒崎先生。
「… す、すみません。ダンジョン探索は本当に夢中になっちゃって…」
私は、消えたお父さんの手がかりを探すために探索者になった。それなのに、いつの間にか探索を純粋に楽しんでた。もちろん、お父さんの事は忘れていなかったけれど、探索の楽しさが勝ってた。
「「気持ちを理解してくれている」と言うのなら、黙って単身乗り込まなくてもいいのでは? 危険はもとより、今は組合規定で単独での探索は禁止されています。それに、スマートホンもナハバームも持っていませんでしたよね? 活動記録の録画も規定内ですよ」
パカっとリンゴを素手で真っ二つに割ると、半分を美月に持たせました。強引に、バナナと交換です。
組合規定… そんな事、すっかり頭から抜けてたな。ただただ、もっとお父さんの手がかりが欲しくて、早くあの部屋に行きたかっただけだった。
「ご、ごめんなさい。… あの部屋に、もっと手がかりが欲しくって… ただ本当に、ただそれだけしか頭になくって…」
黄色いバナナが赤いリンゴに変わっても、美月の視線はボンヤリ。見えているのは脳裏に浮かんでいるダンジョンのあの部屋です。
「社長、哀川さんと一緒に、本の中からお父さんの声を聞いたのでしょう? それなら社長も、哀川さんと同じ気持ちだと思いますよ」
カルミア社長の気持ち… そうだ。社長だってお父さんの事…。でも、もう諦めていたら? 社長はお父さんが消えてから、ダンジョンに入るのを止めたんだよね。今回私と入るまでは、全然入っていなかったはず。
「大人には… と言ったら、都合のいい逃げ文句に聞こえると思いますが、大人には大人の役割があります。気持ちだけで突っ走ってしまえるのは、子どもの特権ですよ」
黒崎先生、やっぱり私の考えが読めるんじゃ? でも、そうだよね。カルミア社長は『社長』さんだから、私みたいに自分の事だけ考えてなんて出来ないよね。実際、私のサポートをしてくれているのは最初から今でもカルミア社長だし。
「だから、子どもの哀川さんは特権を行使しても構わないんですよ」
「特権の行使って… ようは、我儘を通すって事ですよね?」
カルミア社長の言い分も分かる。それに、私は我儘を言える子どもじゃ駄目なんじゃないかな? ダンジョン探索は『仕事』なんだから。
「私は仕事で…」
「仕事への意識が高いのは褒められるところですが、今は純粋な『探検者』でもいいのでは?」
純粋な探検者…
その言葉に美月が横を向くと、ニコッと穏やかな微笑みを向けてくれている黒崎先生と目があいました。
「「独り」で「相談もなく」行動するから怒られるのですよ。仲間を連れてちゃんと相談したら、カルミア社長の気持ちも揺らぐかもしれませんよ」
その言葉がポン! と、私の背中を押してくれました。
美月、組合の規則違反を犯しても行きたかった場所に再度行ける? →Next